スペイン 風邪 致死 率。 スペインかぜ5000万人死亡の理由

新型コロナウイルスと「スペイン風邪」の比較によって、“怪しげな統計”に基づく数字がひとり歩きしている

スペイン 風邪 致死 率

過去におこったインフルエンザ・パンデミックにはどのようなものがありますか? インフルエンザ・パンデミックと考えられる流行の記録は1800年代ころからありますが、パンデミックの発生が科学的に証明されているのは1900年ころからです。 また、最近1889〜1891年にもH3N8によるパンデミックが発生していたとの報告(Taubenberger J, 2006. があります。 世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E. 1942. )で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2. )、死亡者数は全世界で4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )、一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )ともいわれています。 日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006. )という推計もあります。 スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかったとされています。 また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3回の流行がみられたことになります。 これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません。 1918年の多くの死亡は細菌の二次感染による肺炎によるものであったとされていますが、一方、スペインフルは、広範な出血を伴う一次性のウイルス性肺炎を引き起こしていたこともわかっています。 非常に重症でかつ短期間に死に至ったため、最初の例が出た際にはインフルエンザとは考えられず、脳脊髄膜炎あるいは黒死病の再来かと疑われたくらいです。 もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。 このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。 多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会は禁止されました。 患者隔離と接触者の行動制限は広く適用されました。 感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。 このなかでオーストラリアは特筆すべき例外事例でした。 厳密な海港における検疫、すなわち国境を事実上閉鎖することによりスペインフルの国内侵入を約6ヶ月遅らせることに成功し、そしてこのころには、ウイルスはその病原性をいくらかでも失っており、そのおかげで、オーストラリアでは、期間は長かったものの、より軽度の流行ですんだとされています。 その他、西太平洋の小さな島では同様の国境閉鎖を行って侵入を食い止めたところがありましたが、これらのほんの一握りの例外を除けば、世界中でこのスペインフルから逃れられた場所はなかったのです。 また、このころにはスペインインフルエンザの時代以降の医学の進歩もあり、インフルエンザウイルスに関する知見は急速に進歩し、季節性インフルエンザに対するワクチンは開発され、細菌性肺炎を治療する抗生物質も利用可能でした。 またWHOの世界インフルエンザサーベイランスネットワークはすでに10年の稼働実績がありました。 1957年2月下旬に中国の一つの地域で流行が始まり、3月には国中に広がり、4月中旬には香港に達し、そして5月の中旬までには、シンガポールと日本でウイルスが分離されました。 1週間以内にWHOネットワークは解析を終了して新しい亜型であることを確認後、世界にパンデミックの発生を宣言しました。 ウイルスサンプルは即座に世界中のワクチン製造者に配布されました。 国際的伝播の速度は非常に速く、香港への到達後6ヶ月未満で世界中で症例が確認されました。 しかしながら、それぞれの国内ではかなり異なった様相を呈し、熱帯の国と日本では、ウイルスが入ると同時に急激に広がり、広範な流行となりました。 欧米では対照的で、ウイルスの侵入から流行となるまで少なくとも約6週間かかったとされています。 疫学的には、この間に静かにウイルスが播種(seeding)されていたと信じられています。 すなわち、あらゆる国にウイルス自体は侵入していたものの、感染拡大のタイミングが国によって異なっていた、ということです。 この理由は定かではありませんが、気候と学校の休暇の関係だったと考えられています。 一旦流行が始まると罹患のパターンはどこの国もほとんど同様で、スペインフルの第一波の時のように膨大な数の患者と爆発的なアウトブレイクの発生がみられましたが、致死率はスペインフルよりもかなり低かったとされています。 死亡のパターンは、季節性インフルエンザと同様、乳児と高齢者に限定されていました。 第一波では患者のほとんどは学童期年齢に集中していました。 第一波の終息後2〜3ヶ月後、より高い致死率の第二波が発生しましたが、これは主に学童中心だった第一波と異なり、第二波では高齢者に感染が集中したためと考えられています。 このパンデミックにより世界での超過死亡数は200万人以上と推定されています。 アジアフルのときにも、1918年よりは少数でしたが、同様の細菌感染が見つからないウイルス性の肺炎も存在しました。 剖検所見も1918年にみられたものと類似していましたが、ほとんどのこのような症例は基礎疾患のあるかたに限られており、以前より健康な人ではまれではなかったものの少なかったとされています。 ニューヨークでの報告によると、特にリウマチ性心疾患と妊娠第三期の妊婦においてもっともよく見られたとされています(Louria DD,Blumenfeld HL, Ellis JT, et al. 1959. ワクチンは米国では8月に、英国では10月に、そして日本では11月に使用可能になりましたが、広く使用するのは少なすぎる量でした。 多数の人が集まるような、会議やお祭りなどの場で感染が広がったという事実から、非医学的な対策としては、集会の禁止と学校閉鎖がパンデミックインフルエンザの伝播を防止できる唯一の手段だったとされています。 初期の国際的な伝播はアジアフルに類似していましたが、世界のいずこでも臨床症状は軽く、低い致死率でした。 ほとんど国では、その前のパンデミックにみられたような爆発的なアウトブレイクはなく、流行の伝播は緩やかで、学校での欠席や死亡率に対する影響は非常に少ないか、全くありませんでした。 そして、医療サービスへの負荷もほとんどみられず、インフルエンザに起因する死亡は、実際前年の季節性インフルエンザよりも少数で、世界での超過死亡は約100万人でした。 この原因については、直前のパンデミックがH2N2亜型であり、香港フルのH3N2とN2を共有していたため、これに対する免疫が防御的に働いたとの説が多くあります(Schulmann JL, Kilbourne ED. 1969. ; Stuart-Harris C. 1979. ; Monto AS, Kendal AP. 1973. ; Viboud C, Grais RF, Lafont BA, et al. 2005. 1969. )もあります。 また、1889年に発生したH3N8亜型によるパンデミックにより、これに対する免疫をもっていた高齢者は守られたという報告もあります(Taubenberger J. 2006. 参考文献:.

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人類と感染症8 スペイン風邪、日本で最初は「相撲風邪」

スペイン 風邪 致死 率

5月25日。 首都圏を含めた日本全国で、緊急事態宣言が解除された。 新型コロナウイルスにより、日本を含めて世界が破壊的なダメージを被っている。 5万人 致死率:約6. 人々は疲弊しきっている。 今後、この状況からどのように立ち直っていくのだろうか。 経済は回復するのだろうか。 外出制限が解除された後の、第二波の心配はないのだろうか。 スポーツやエンタメなどのイベントは、いつ再開されるのだろうか。 新型コロナウイルスとの戦いは、いつ終息するのだろうか。 そのすべてに見通しが立たない状況だと思うが、 「過去のパンデミック時のことを知れば、何かヒントが得られるかもしれない。 」 と考え、約100年前に起きたパンデミックである、 「スペイン風邪」 について調べたことを、複数回に渡ってまとめてみたいと思う。 スペイン風邪概要 スペイン風邪とは、1918年(大正7年)から1920年(大正9年)にかけて世界各国で多くの死者を出したパンデミックのことである。 「風邪」と称されているが、「インフルエンザウイルス」が原因である。 「スペイン」という冠がついているが、発症元は、アメリカのサウスカロライナ州だったと言われている。 そこから、アメリカの軍人が広めたと言われている。 1918年当時は、第1次世界大戦中であり、各国が情報統制を行っていたため、各国からの情報はほぼなかった。 そんな中、中立国であったスペインでは、大々的に報道されていたため、「スペイン」という冠がついたと言う。 スペイン風邪は、1918年から1920年にかけて、大きく3回の感染者増の波があったという。 その3回の波の影響により、 感染者数:約6億人 死亡者数:2000万人から5000万人 という多大なる被害を世界各国にもたらした。 当時の世界の人口は、約20億人と言われているので、全世界の約3割の人が感染したことになる。 日本での感染者数と死亡者数 日本では、1918年の夏に、台湾巡業にでかけた力士がなぞの風邪にかかったのが、最初だと考えられているようだ。 当時は、 「相撲風邪」 と称されていた。 日本での流行の波は、3回あったとされている。 感染力が高かった、第1回目。 致死率が高かった、第2回目。 季節性インフルエンザ並みになった、第3回目。 という特徴がある。 その3回の流行期の感染者数と死亡者数は、以下の通りだ。 1920年当時、日本の総人口は、約5600万人。 スペイン風邪は、およそ4割の日本人が感染し、現在猛威を振るっている新型コロナウイルス以上の破壊力で、日本を攻撃した。 致死率が高かった第2回流行期では、第1回目の流行期に感染しなくて、抗体ができていなかった人の感染が目立ったと言う。 また、スペイン風邪の特徴として大きいものは、 「20代から30代の若年層が多く亡くなった」 という事実だ。 東京都健康安全研究センターによる、」を元にした分析がこちらだ。 なお、スペイン風邪により若年層が多くなくなった理由は、2010年代に発表された論文によると、 「1889年頃に猛威を振るった『ロシア風邪』の免疫を持っていなかった若者が多く亡くなったため」 ということだ。 日本を含め、世界各国に多くのダメージを与えたスペイン風邪は、約3年の月日を経て、終息することになる。 その理由は、世界中の多くの人がスペイン風邪に晒されたことにより、「集団免疫」を獲得したためだとされている。 当時の日本の様子 1918年、大正7年。 第1次世界大戦の影響により、日本は空前絶後の戦争特需の好景気を迎えていた。 スペイン風邪の影響により、経済活動が一時的に中止になった影響は小さく、それ以上に戦争特需が大きく、戦争バブル期を迎えていた。 その当時、1920年代の貴重な映像を、イギリスの団体である「HuntleyFilmArchives」がYoutubeに公開している。 また、大正12年当時の鉄道網の古地図が公開されいる。 日本全国、幹線の鉄道網は配備されていたことが分かる。 なお、インフルエンザウイルスが発見されたのは、1933年だと言われている。 スペイン風邪が流行した当時の1918年から1920年は、何が原因で、病気になるのか、まったく分かっていなかったのだ。 新聞から分かるスペイン風邪当時の様子 1918年11月3日の福岡日日新聞では、以下のような紙面だった。 この頃、政府による外出自粛などの規制は行われていなかったようだが、感染者が多く、休校になる学校が続出。 さらには、郵便や鉄道や炭鉱など、感染者の増加に伴い、営業に大きな影響を与えていたことが分かる。 また、1920年1月18日付の九州日報の紙面がこちらだ。 こちらは、1920年の土陽新聞と高知新聞の紙面だ。 マスクしなければ、劇場や電車への入場が断られたこと。 など、マスクが感染予防として定着していたことが分かる。 休校、廃業、医療崩壊、マスク問題。 基本的には、スペイン風邪から100年たった今も、同じことを繰り返している。 スペイン風邪での感染予防対策 日本における、スペイン風邪流行期の感染予防対策については、」のP. 131に記載がある。 1.近寄るなー咳をする人に 2.鼻口を覆えー他の為にも/身のためにも 3.予防注射をー転ばぬ先に 4.うがいをせよー朝な夕なに ソーシャルディスタンス、マスク、予防注射、うがい。 当時の対策は、今とほぼ変わらない。 ただし、当時は、インフルエンザウイルスが発見されていなかったため、予防注射は、医学的にほぼ効果がなかったと思われる。 また、当時は「手洗い」については、対策として流布されていなかったようだ。 日本人の「手洗い」文化は、第2次世界大戦後、学校給食が普及するとともに、学校を起点として広まったとされている。 「手洗い」は、感染予防として、かなり効果が高いと考えられるので、しっかり行った方が良いと思う。 当時、政府は、感染予防のために、ポスターを作製したとされる。 そのポスターでは、とくに「マスク」と「うがい」と「感染者の隔離」が強調されていることが分かる。 何が原因の病気か分かっていなかった。 ただ、基本的には、100年たった今も、対策の内容は、ほぼ一緒だ。 新型コロナウイルスに対する、ワクチンがなく、特効薬がない、今。 予防としてやれることは、100年前と何も変わらないということだ。 まとめ 100年前のパンデミック、「スペイン風邪」。 その当時のことは、あまり記録として残っていないようだ。 その中でも、非常に貴重な資料は、当時内政を司っていた内務省の書籍。 ただし、こちらは、ひらがなではなく、カタカナで書かれているため、めちゃくちゃ読みにくい。 また、こちらの論文は、スペイン風邪の概要を知るには持ってこいのものだ。 今回は、スペイン風邪の概要と、当時の様子、予防対策についてまとめてみた。 そこで分かったことは、 「100年経った今でも、未知のウイルスに対する対策は、何も変わらない」 ということだ。 様々な技術が発展し、生活が豊かになった現代。 でも、未知のウイルスに対しての初動の対策は、変わらないのだ。 スペイン風邪の終息は、集団免疫を獲得したことによる自然消滅。 新型コロナウイルスの終息は、どのように迎えるのだろうか。 集団免疫を獲得するには、現時点では少なすぎる感染者数。 ワクチンの完成には、そこそこ時間がかかると思われる。 インドネシアなど高温で多湿の国でも増えている感染者数。 緊急事態宣言が解除されたとは言っても、ワクチンや特効薬などの根本的な対策ができていない、今。 自分や家族の身を案じるのであれば、予防のためのできる限りの対策はしっかり行っていくとよいと思う。 これだけ長いこと書いたにも関わらず、自分の身を守るための有益な情報がなくて、すいません。。。 応援のポチ、お願いします! Alloutrun.

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人類と感染症8 スペイン風邪、日本で最初は「相撲風邪」

スペイン 風邪 致死 率

Contents• スペイン風邪 スペイン風邪の患者数と死亡者数、致死率 第一次世界大戦中の1918年に始まったスペインインフルエンザのパンデミック(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、被害の大きさできわだっています。 世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E. 1942. )で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2. )、死亡者数は全世界で 4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )、一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )ともいわれています。 日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、歴史人口学的手法を用いた死亡45 万人(速水、2006. )という推計もあります。 国立感染症研究所感染症情報センター スペイン風邪は世界的大流行しました。 感染者数はおよそ世界の3分の1の人で、感染者の致死率は2. 致死率が小さいため、軽症の人が病気を拡散し、死ななかった患者が医療リソースを占領し混乱に拍車をかけたと推察できます。 スペイン風邪の時系列(一波・二波・三波) スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかったとされています。 また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3 回の流行がみられたことになります。 これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません。 国立感染症研究所感染症情報センター スペイン風邪には、第一波、二波、三波の3回の流行がありました。 第二波の致死率は一波の10倍である事から、ウイルスが変異し、もしくは別のウイルスが拡散したのかも知れません。 いずれにしてもパンデミックにおいて第一波があるという事は、感染者が広がる社会システムが存在しているため、続く第二波、第三波にも警戒する必要がありそうです。 ダウ平均株価チャート スペイン風邪のダウ平均株価への影響は軽微 下図がスペイン風邪流行時のダウ平均株価チャートです。 点が終値、赤の破線が5日移動平均線です。 ダウ平均株価において、スペイン風邪の一波・二波・三波の面影はどこにもありません。 第一次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)からの復興需要があり、また、現代と比べて金融システムが単純だったため金融商品の危機が芋づる式に連鎖し金融危機に到る事もなかったのでしょう。 インフレを加味すれば、株価上昇幅は小さい むしろスペイン風邪で株価は上がっている、と思うかも知れませんが、実は実質的な株価上昇ではありません。 この時代は、第一次世界大戦によって世界的に物価が上がっており、年率20%に達する事もあるくらいでした。 インフレで通貨の価値は薄まりますので、それを加味すれば大した株価上昇ではありません。 参考までに、下に、GDP成長率とインフレ率の5カ国比較を掲載します。

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