パリ ダカール ラリー。 篠塚建次郎

篠塚建次郎

パリ ダカール ラリー

概要 [ ] をモチーフにしたであるが、各エリアごとにゲームの内容が大きく異なり、やなどの要素が加わったエリアもある。 クラッシュで減少するライフが0になるか各ステージに設定されている規定タイムを超過するとゲームオーバーになる。 コンティニューは無制限で、パスワードによる再開も可能。 道中にはライフアイテムや燃料アイテムなどが落ちている場合もある。 規定タイム以外にもトータルタイムが集計(チェックポイントに到達したタイムのみが集計され、ゲームオーバー時のタイムは集計されない)されており、ゴール時の順位となる。 ステージ構成 [ ] プレイヤーはまず日本国内でラリーカーなどを用意する必要があり、スポンサーを探して車を購入 、訓練を受けたのちにラリー本編がスタートする。 ステージ1 市街地ステージ。 他の車や障害物であるドラム缶に当たるとクラッシュ。 ステージ2 市街地ステージ。 迷路状になっており、他の車に当たらないように先に進む。 ステージ3 郊外ステージ。 サイドビューになっており、プレイヤーは時折車から降りてボタンを押しに行く。 このステージから第6ステージまではプレイヤーも弾を発射できる。 道中で妨害する敵キャラには、丸太・ヘリコプター・鳥などがいる。 ステージ4 海ステージ。 このステージもサイドビュー。 に相当する潜水エリアが中心で、海底火山の噴火や海の生き物、ヘリコプターの攻撃などを回避して進む。 前半の陸上部で海中に落下すると一定時間経過後にナビゲーターがはしごを下してくれる。 ステージ5 ステージ。 や、などをよけながら進む。 途中の川渡りや崖渡りでは失敗すると、1回でリタイアになってしまう。 BGMはご存知「パリダカのテーマ」。 ステージ6 荒野ステージ。 戦闘機やヘリコプターなどの攻撃を避けて進む。 ステージ7 海岸線ステージ。 崖に落下すると1回でリタイア。 ボーナスステージ プレイヤーをトランポリンの要領で操作して燃料アイテムとタイム延長アイテムを取得するミニゲーム。 ゲーム誌『』の「クロスレビュー」では、3・7・6・3の合計19点(満40点)となっており 、レビュアーの意見としては、レース前にRPGともアドベンチャーともいえるパートが入っていることについて作業が面倒で前置きが長いとする者とゴールすると1つのドラマになる過程であるとする者で分かれ、レース内容について単調にならないようにレース中のアクシデントをアトラクションとして見せているとする者やスピード感がない、一昔前のゲームとする者や駄菓子屋のようなごちゃまぜ感が懐かしいとする者がおり「結構ショボいゲーム」だとした。 ゲーム誌『』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は15. 15点(満30点)となっている。 項目 キャラクタ 音楽 操作性 熱中度 お買得度 オリジナリティ 総合 得点 2. 63 2. 54 2. 48 2. 58 2. 40 2. 52 15. 15 脚注 [ ] [].

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パリ・ダカール・ラリー・スペシャル

パリ ダカール ラリー

世界一過酷なモータースポーツ競技といわれるパリ・ダカール・ラリー(以下パリダカと略す)を題材としたゲーム。 題材にしたものがしたものだけにレースゲームと思った人が多いだろうが、レース要素はそれほどない。 ちなみに何故タイトルに「スペシャル」と付いているかと言うと、約3ヶ月前にハドソンがPCエンジンで発売した『ビクトリーラン』が当初『パリ・ダカール・ラリー』とそのまんまのタイトルで発売する予定だった為である。 ゲームの目的はパリダカを完走すること。 各コースのクリアタイムによって成績が決まり、1位になった場合のみ「すばらしいなにか」を見ることが出来る。 コースは全部で7つあり、コースによって操作方法が大きく変わる。 これが本作がバカゲーと呼ばれる所以である。 ゲーム内容 コース0• 名前を入力し、いざパリダカ、と意気込んだプレイヤーを待つのは何故か、街中にぽつんと佇む主人公である。 まず、コース0では車とパートナーを手に入れて、ラリーへの参加資格を得るというアドベンチャーゲームである。 このコースのBGMが間の抜けた感じであり意気込みを折られた上に脱力感さえ味わうことになる。 まだ本番のレースは始まってないにも拘わらず、である。 スポンサーを探すために街中を(何故か)走り回る人を捕まえたり、反射神経を問うミニゲームをやらされたりするが、正直意味がほとんどない。 スポンサーとなる会社を見つけたら、なんとプレイヤーに 現金を引き出すカードを渡すといったありえないことをしてくれる。 この時点でツッコミどころ満載。 反射神経ゲームは結果に応じてナビゲーターを務めるパートナーのランクが変わるが、活躍の場はほとんどない。 購入できる車は2種類あるが 見た目が変わるだけでコース7以外では性能の違いはない。 コース7では、スポーツカーの方が最高速が早い。 しかし、一定以上の速度で壁にぶつかると即死となるデメリットがある。 4WDカーは1ダメージで済む• 準備が揃うとようやくパリダカへの出場がかない、念願のレースがはじまる。 コース1• コース1は縦スクロールの 障害物避け。 ひたすら上に向かっていきゴールを目指す。 コース中には他車が存在し、ぶつかると一機消滅、三機消滅するとゲームオーバーとなる。 なお、この残機システムは以後のコースでも同様となる。 十字キーの上で加速、下で減速。 左右でハンドルを切る。 他者はこちらよりもやや遅いスピードで走るものが画面上部から出現するか、やや速いものが画面下部から現れる。 いずれもこちらの真正面・真後ろに出現するため、左右に動いて回避しなければならず、まっすぐ走り続けるだけではいけない。 ある程度以上のスピードが出ている時にしか他車は出てこないため、再スタート直後に高速で突っ込んでくる他車に轢かれるという事態が起こらないようになっているのは親切。 更に、道中にはドラム缶が置いてあり、当然触れると一機消滅である。 更にコース終盤では道の外からもドラム缶が転がってくる。 ドラム缶は配置されていないが、他車は同じように出現し続けるため、混雑しやすく回避が難しくなる。 なお、最初のコースではあるが、難易度は結構高め。 もっとも、終盤を除けばまだレースゲームらしさはあるため、ある意味では「かなりマシな方」とも言える。 ボーナスステージ• コースをクリアするごとにボーナスゲームがスタートする。 いきなり画面上から落下してくる主人公(パートナー?)を車体の上にトランポリンがついた車を左右に操作しジャンプさせてアイテムを回収する。 往年の『サーカス』を思わせるようなゲーム性である。 壁や天井に叩き付けられても平気なキャラの姿はシュールである。 ボーナスの結果によって次のコースのガソリンとタイムアウトの上限が増える。 ただし、ガソリンについては気休め程度のものである。 コース2• コース2はコース1と打って変わって迷路のような市街を抜けてゴールに向かう。 ゲーム性でいえば『ラリーX』か。 このコースでは足下にオイルを撒くことが出来る。 オイルを踏んだ他車は180度方向転換し、これを駆使して他車を避けていくことになる。 他車を2回跳ね返すとオイルはガソリンアイテムに変化するため、ガソリンは無限に補給できる。 プレイヤーはオイルを踏んでも特にペナルティーはないが、このオイル一体何なのだろうか。 左端はゴール前までずっと続く一直線であり、ここを走れば右往左往する必要はないが、ここは時折トラックが高速で走り去っていく。 もちろん轢かれれば1ミスなので、ここを走るならばトラックの出現に反応してオイルを即座に置く反射神経が求められる。 このトラックは、直線部分にひょっこり出てきた他車を轢いていく事もある。 その場合轢かれた車は爆発しLIFEアイテムを残す。 スピード感はコース1よりなくなっているが、まだ辛うじて「ラリーをしている感じ」はあるかもしれない、そうここまでは……。 コース3• ここで何故か横スクロール型のアクションゲームとなる。 車はいきなり弾を撃てるようになっている。 この時点でおかしい。 しかし、コースでも「ヘリコプターの墜落」「糞を落としてくるカラス」「どこからか転がってくる丸太」「ネズミ」といった様々な敵が登場する。 墜落してくるヘリコプターや丸太はともかく、カラスの糞やネズミに当たるだけで一機消滅、車が脆すぎるのか、生物が強すぎるのか。 道中、道が欠落していたり、壁で塞がれている箇所があるが、この際には主人公が車を降り、欠落を塞いだり、壁を撤去するスイッチを押さなければならない。 なお、主人公はジャンプできる。 ある部分では雲の上にはしごで乗るといったファンタジックな世界観を彷彿とさせてくれる。 もっとも、グラフィックにファンタジー要素は皆無だが。 車から降りた主人公が地下で大岩が転がる場所を進んでいく場面があるのだが、なんと大岩に当たってもタイムロスになるだけでダメージは受けない。 車より強いというのかこの男は。 コース4• 前半はコース3と同様の横スクロールアクション。 スイッチを押す際に失敗すると主人公が海に落ちる場面がある。 浮くことが出来ずに、普通に水底で佇むことに。 水底に落ちてしまった場合はパートナーが助けてくれるが、パートナーが助けてくれるまでの時間はナビゲーターのランクに依存する。 なお、ナビゲーターが唯一役に立つ場面である。 後半はなんと躊躇なく海へ潜っていき、横シューティングとなる。 水中を自由自在に上下左右に動くことが出来る車、そして弾も発射できるシュールな状況。 敵の顔ぶれもエビやサメ、クラゲ、魚群といった海中生物が出現する。 しかし、後半になると海底火山が存在したり、どこからともなく魚雷が飛んできて、意識を生死の境目に引き戻される。 サメは弾一発で倒せるがエビは弾二発撃たないと撃退できないといった現実世界との強さの不一致も頭を悩ませる。 主人公のタフさもそうだが、この世界を現実世界と同様に考えてはいけないようだ。 コース5• 海中から舞台は一変。 荒野を走り抜けるコースであり、コース1と同様に上方向に進んでいくシューティングゲーム。 車が弾を発射することは変わらず、他車との競争ではなく原生生物と戦いを繰り広げているという点を除けば、コース的には比較的ラリーをしている感はある。 敵はラクダ、モグラ、ムカデ、蛇、岩を落としてくる鳥など。 後半は川(?)が存在しており、落ちると残機の数に拘わらず即ゲームオーバーとなる。 前のステージで水中を我が物顔で走り抜けたのは一体何だったのか。 しかも川を渡るには筏を使わなければならない上、筏の乗り換えという高等技術も必要になる。 コース6• コース5同様のシューティングだが……。 なんと、敵として登場するのは戦車や戦闘機、ヘリコプター……この時点でラリーではなく戦場につれてこられたことを実感することになる。 自車も対空弾、対地弾を打つことが出来る上、戦車ですら一撃で倒せる威力。 エビ相手に二発打たされたのは一体何だったのか。 なお、タイムを競うはずのゲームだが、強制スクロール、つまりタイムを短縮する技術がほぼない。 戦車に体当たりされると強制ゲームオーバーである。 コース7• 最終コースとなりようやくまともなレースゲーム。 細い道をひたすらゴールまで突き進んでいく。 岩肌に衝突すると残機消滅。 数は少ないが他車も存在するので気をつけなければならない。 このコースではドリフトのようなアクションを見せてくれたりと手が込んでいる。 裏技だが、岩壁側の特定のポイントに隣接して静止し、十字キーを壁側に押し続けると車が少しずつ動いていき、壁の中にめり込んでコース外を走れる。 画面 内を走ると川ポイントで川に落ちた判定を受けてミスしてしまうが、画面 外まで行って走るとそれがなくなるので、ゴールまで一直線に走れる。 よってこのエリアまで来ればクリアはすぐそこ。 エンディング、その他• コース7をクリアするとエンディングとなり、ナビゲーターと一緒に夕日を見る演出が入る。 その後、成績画面となるが 「せいせきはぴょう」という誤字で最後の最後までプレイヤーを混乱させる演出完備である。 この成績が1位なら「すばらしいなにか」を見ることが出来るが、2位以下の場合はこの画面から変わらずゲーム終了となる。 評価点 エリア7の出来は良い。 カーブでの加減速、ドリフトの演出といったレースらしい出来が実現されている。 加減速は一部のエリアでも重要な要素ではある。 この点は一応レースゲームらしいとも言える。 本来のレースゲームのように可能な限りスピードを出しつつ、カーブを曲がる、といったテクニックで好タイムを狙うことも出来る。 ツッコミ要素がおおく笑える• 車より強い主人公、鳥の糞で一機消滅する車、何故かレースなのに戦場に連れてこられると言った展開などツッコミ要素が多い。 もっとも、笑えるのは最初だけかもしれないが……。 実際のパリ・ダカールラリーも政情不安なアフリカでレースをする事から、テロや強盗からの銃撃によってドライバーや関係者に被害が続出。 テロで一度開催が中止された事などにより現在では南米に開催地が変更され、パリもダカールも関係なくなってしまっている。 それを考えれば多少は根拠がある? 問題点 パリ・ダカール・ラリーの名を称していること• パリダカの名を打っているにも拘わらず、道中の大半はおよそラリーレースからかけ離れたゲーム内容となってしまっており、原作レイプならぬ現実レイプである。 ステージ7以外の出来の悪さ• ステージ7だけはレースゲームらしさが出ているのだが、他のステージはというとミニゲームレベルといわれも仕方のない出来。 各ジャンルの最低限レベルの基礎的なものを世界観に合わせている(合わせられているかが微妙なものもあるが)だけの内容。 ツッコミ要素のあるステージばかりではあるが、何度もやりたいと思わせる魅力は感じられない。 さらに意外に難易度高め。 反射神経と間合いの取り方を試される。 決して遊べない出来ではないものの、このゲームに関しては実際にプレイするよりも見ていた方が面白いかもしれない。 パスワード入力のバグ• ゲーム中でカーナンバーと呼ばれるパスワードにより途中再開できるシステムだが、このカーナンバー入力中にバックスペースを1度でも使うと、以降正しい入力をしても最初のカーナンバー入力画面からやり直さない限りパスワードエラーになってしまうバグがある。 総評 レースゲームのはずだが、アドベンチャーやシューティングといった他のジャンルも体験できるお得感があり、意欲的な作品ではあったのだが、それぞれの内容が薄くなってしまっており結果として、意欲だけが空回りしたといえる。 実際、レースっぽさがあるコース7のみはレースゲームらしい爽快感も存在していることから、純粋にレースゲームらしさを追求した作品を作れば相応の評価はされたのではないかと思われる。 パリダカという実在のレースを題材とした作品であり、子ども達にパリダカというものを知らしめる効果はあっただろうが、実際にパリダカを知っている人にとっては 原作レイプと言われてもしょうがない出来であり、この辺りは善し悪しであろう。 結果として、複数ジャンルを継ぎ接ぎして組み合わせた目論見は失敗し、唯々壮大な 苦笑いの種が残る結果となった。 この出来から一部では「パリバカ」と言われてしまっている。 レトロゲーム番組『ゲームセンターCX』で有野が挑戦した際には、「クソゲーと呼ばれた」とナレーションが入ったり、有野自身も「この画の粗さと理不尽さでいうとクソゲーなのか?」と言うほどであった。 一般にクソゲー扱いされているゲームでも、番組内でクソゲーと呼ばれることはあまりないのだが、はっきりクソゲー呼ばわりされたのはこのゲームと「」と「」と「」ぐらいである。 有野がパスワードコンティニューで正確なパスワードを入力したにも拘らずパスワードエラーとなり、スタッフを焦らせる一幕があった。 これは上述の「バックスペースを使うとパスワードエラーになる」バグのためだと思われる。 スタッフ内でこのバグを存在を知っているものはおらず、番組では謎のバグ?として現場の混乱振りが放送された。 なお収録済みのテープを確認し、有野が駄目元でもう1度入力し直した結果無事再開することが出来た。

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ダカール・ラリー

パリ ダカール ラリー

2011年大会 開始年 1979 主催 A. O 公式サイト 旧称パリ-ダカールラリー ダカール・ラリー( Dakar Rally)とは、フランス人冒険家の発案により1978年から例年1月に開催されている競技大会である。 が主催。 「世界一過酷な競技」とも言われている。 元々はのを出発点、のを終着点として主にで競技が行われ、 パリ-ダカール・ラリー( Paris-Dakar Rally、日本での略称「 パリダカ」)と呼ばれていた。 2009年からはに開催地を移し、2020年からはでの開催となる。 大会の公式語はフランス語であり、フランス語では一般に「ラリー・ダカール( Rallye Dakar )」と呼び、さらに短縮して「ル・ダカール( Le Dakar)」と呼ぶこともある。 日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。 2011年の優勝トロフィー。 (カミオンクラス T4) に始まり毎年行われているラリーレイド大会であり、より(FIA)と(FIM)の公認イベントとなっている。 以前は、例年(前年の12月末に始まることもある)にの首都・からスタートし、のからアフリカ大陸に渡り、の首都・までのおよそ12000 kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米の首都からを回る周回コースに、2012年からはを加えた3カ国を通るルートとなった。 また2019年はペルー、2020年はサウジアラビアのそれぞれ1カ国のみとなっている。 かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないを縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、アフリカ大陸時代は年によってはが発生することもあった。 競技区間には、など政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。 それ故、「 全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「 ビクトリーラン」と呼ばれている。 同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、的だとする批判が根強く存在し、や強盗集団の標的にされる理由の一つであった。 またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。 それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。 しかし南米も治安の問題などから開催国が減少し、2020年には中東へと移った。 は2007年はポルトガルで(日本でいえば)を販売するが務めた。 過去には(:ドイツの電機メーカー)、(フランスの石油メーカー)、(スペインの通信会社)などが務めている。 日本企業ではが1988年 - 1991年に冠スポンサーを務めた。 舞台が南米大陸になってからの2009年は、2010年と2011年は社が冠スポンサーを務めた。 : I will take you to the gateway of adventure, but you alone can challenge fate. 扉の向こうには、危険が待っている。 扉を開くのは君だ。 望むなら連れて行こう。 ティエリーは運営団体として()を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。 しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去 、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。 だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1月に引退。 TSOは主催者権を売却し、からはフランスのアモリー・グループである「ASO」()が主催している。 の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)の息子のが競技中に一時行方不明となり、世界を巻き込んだ大騒ぎとなった。 この際、サッチャーは「息子が発見されなかったら、このような危険なレースを2度と開催させない。 」と発言している。 TSOによる捜索の結果、マークは数日後に無事発見・保護された。 この騒動でラリーが世界的に認知される事となる。 大会では三菱パジェロが初優勝。 出場者も非常にバラエティに富んだものとなりのとアルベール二世の姉のカロリーヌ 、日本からはらが出場した。 の大会では15000キロにも及ぶ過酷なルート設定と酷い砂嵐に見舞われ、大会主催者であったティエリー・サビーヌと、日本人ライダーのを含む計6人の死者を出した。 しかしサビーヌ亡き後も86年のラリーは継続されゴールを迎えた。 86年をもってポルシェワークスは撤退。 この年よりが初参戦。 の大会よりティエリーサビーヌの父親で歯科医だったジルベールがラリーを主催。 がにおけるの廃止に伴って行き場がなくなったを投入 し、圧倒的な速さでラリーを席巻した。 それまでのパリ・ダカは耐久ラリーの色合いが非常に濃いものであったが、プジョーはWRCのサービス体制をそのままパリ・ダカに持ち込み、どんなトラブルやアクシデントに見舞われようとも、ゴールまでたどり着けば翌日のスタートには新品同様に車両を修復するという手法でパリ・ダカの長丁場を乗り切った。 プジョーの手法は三菱をはじめとした他のエントラントにも大きな影響を与えることとなり 、この年以降、この動きに追従した三菱とプジョー(1990年からは同じの)による優勝争いはより激しさを増し、パリ・ダカは高速化の一途をたどることとなった。 Kees van Loevezijnの1988年の死亡事故によって残されたDAF FAV3600 95X2 TurboTwinの残骸。 の北部にて。 の大会では、オート部門首位だったの車両がに遭うという事態が発生し、後に失格の裁定が下された。 この時、失格の裁定を巡って、プジョーと、というより、以前から遺恨があったとされる、プジョーチーム監督とFIA会長個人の間で深刻な対立が生じている(ジャン・マリー・バレストルの項目参照)。 篠塚健次郎が2位入賞。 なお、この年から日本のがを務めることになった。 にはチームのサポートカミオンが、国内でが敷設していたを踏み、が逃げ遅れてする事件が発生した。 事前警告で地雷が存在するため、メインピストから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピストを外れて走行していたのが原因とされている。 、パリ・ダカの歴史上初めてゴール地がダカールから南アフリカのに移された。 名前もパリ〜ル・カップに改められ、タイトルスポンサーは日本のパイオニアからフランスの石油メーカーの(TOTAL)に変更になった。 この年は大会のが事故を起こし、救護に駆け付けようとしたメディカルカーに1989年のモトクラス覇者が接触し、この世を去るアクシデントが発生した。 にはの取材担当者らがに襲われた。 この事件だけではなく、特に近年の同レースはテロ組織以外にもも現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくなかった。 銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、事件例は枚挙に暇が無い。 通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。 のサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、のサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生した。 [ ] は走行区間のアフリカ北西部の治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された。 2008年の再開催の予定はなし。 末の旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。 レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてであり、主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した。 2008年、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりにを舞台にしたラリー「」を創設、 - に開催すると発表した。 の首都・からスタートし、途中を通過、同国西部のまでのおよそ4800 kmを走る。 同年にはのダカール・ラリーはのとを舞台に行われると報じられた。 が発着点となる。 この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。 2月、2010年も引き続き南米で開催されることが発表された。 この年、長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りで撤退を表明した。 撤退が噂されていたは後に参戦継続を表明したが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め岐路に立たされた。 、この年もアルゼンチン・チリを舞台にし、同年8月にが発生するもルートに設定された。 、大会ではペルーが開催国に加わり、南米開催となって以来初の片道ルートとなった。 また、大会ではアルゼンチン、大会ではペルー1国での開催となっている。 コース [ ] コースの一部(2005年) コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。 経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行することはほとんどない。 なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。 日々のコースは、 リエゾンと呼ばれる移動区間と SS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。 リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500 kmから800 kmにも及び、過去には1,000 kmを超える競技区間が設けられた事もあった。 また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。 これは競技車が到着後、通常はその日の地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。 2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即に繋がる。 そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。 競技期間中には1日ないし2日の休息日があり、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。 細かくクラス分けされている。 グループT1 [ ] 改造範囲が極めて広い、事実上のプロトタイプカー。 年間1000台以上生産される車両のシャーシかモノコックボディ、または単一製造の鋼鉄製パイプフレームシャーシを使用する必要がある。 エンジンは、GT(2012年GT公認規定)、T2のいずれかの規定でホモロゲーション取得されているものが使用可能。 また車は規則が非常に緩い(排気量次第で重量を200 kg - 650 kg軽くできる、タイヤを130mm太くできる、コックピットからタイヤの内圧調整ができるなど)ため、ときに車以上のパフォーマンスを発揮する。 これに目をつけたは後輪駆動のを開発し、2016 - 2018年において3連覇を果たした。 3 - 二輪駆動のガソリン車• 4 - 二輪駆動のディーゼル車• 5 1. S - 先進的なクロスカントリー車• E - 電気自動車 グループT2 [ ] 、あるいはそれ以上の駆動輪を持つ量産車のためのクラス。 年間1000台生産されている車両がホモロゲーション対象。 T1とは逆に改造範囲が極めて狭く、安全装備や粉塵対策、アンダーガードなど最低限のボディ補強しか認められない。 ガソリンエンジン車について過給器は禁止されている。 長きに渡りが猛威を振るっている。 1 - ガソリンの量産車• 2 - ディーゼルの量産車• ベースのシャーシ・モノコックについて最低生産台数を必要としないが、鋼鉄製パイプフレームシャーシである必要がある。 エンジンは1050 cc以下の自然吸気(例外あり)で搭載位置は自由だが、前部車軸を含むエンジン、トランスミッションのアセンブリー全体は市販車両からのものでなければならない。 1 - 排気量1050 cc以上の、またはT2で公認されたエンジンを搭載する軽量車両。 2 - 排気量1050 cc未満の自然吸気ガソリンエンジンを搭載する軽量車両。 3 - 排気量1050 cc以上のバイクのエンジンを搭載した軽量車両。 3オープン - 排気量1000 cc未満のガソリンターボを搭載する以外はT3の規則に合致する軽量車両。 グループOP(オープン) [ ] など北米オフロードレースを主催するSCOREインターナショナルの規則に合致した車両。 1 - OP. 2以外の全てのSCORE車両。 2 - 重量2. 8 t以上、幅2. 2メートル未満の四輪駆動のSCORE車両。 グループT4と呼ばれる規定で、量産車の T4. 1、改造車の T4. 2、サポートトラックのための T4. 3の3つに分けられている。 競技に参加しないサービストラックにもT5、T5. 1という規定が存在しており、二輪駆動のサービストラックの使用は不可となっている。 全車両最大排気量450 cc、気筒数は1 - 2に制限されている。 グループ1(エリートクラス)と グループ2(ノンエリートクラス)に分かれて競う。 また車両は改造範囲の広い クラス1(スーパープロダクション)と、狭い クラス2(マラソン)に分けられており、エリートクラスはクラス1車両のみとなっている。 またサービススタッフを雇わないライダー、女性ライダー、初参加者のための賞典が用意されている。 グループ3と呼ばれる規定で、二輪駆動・単気筒・最大750 ccの グループ3. 1と、四輪駆動・2気筒・最大900 ccの グループ3. 2に分けられている。 部門創設から2017年現在までの全ての開催でが部門制覇を収めている。 車両は グループT3. 3及び T3. 3オープンに合致したものが使用される。 クアッドのヤマハ・ラプター700 過去の規定 [ ] ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、が取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。 そのため参加車両には、街中を走るごく普通の市販車を改造したものもあり、たとえば2輪部門ではやも参加したことがあり、また自動車メーカーの・カー、の流用などもあった。 時点の大まかなクラス分けは下記のとおりで、更に燃料の種類や排気量で細分化されていた。 プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)• スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車。 バギーを含む:二輪・四輪共通)• カミオン(トラックベース)• エクスペリメンタル(や三輪・四輪のATVなど) にワークスチームの(競技専用車)とを搭載しての参戦が禁止されたが、からスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。 ガソリンNAエンジンの市販改造車のほか、エンジンを採用するチームが多く登場した。 歴代優勝者 [ ]• Amaury Sport Organisation 2019年. 2019年1月18日閲覧。 第1回大会(1979年)は部門・クラス区分なし(オート・モト・カミオン全車の総合順位)。 オート(四輪) [ ] 回 参加台数 完走台数 優勝クルー 優勝マシン 備考 ドライバー ナビゲーター 第1回(1979) 80台• アンドレイ・モケエフ• 個人別 [ ] (1995年優勝車) 日本からは個人での参加、企業での参加、それぞれ様々なものがある。 企業は二輪・バギーはヤマハとホンダ、四輪は三菱、トヨタ、日野、日産、いすゞの各社が健闘してきた歴史がある。 モト部門ではかつては、、がワークス・チームを編成して参戦していた。 ヤマハはフランスの輸入代理店ソノート社 Sonauto でが計画の中心となり、ホンダはフランス支社(フランス・ホンダ)が運営を担当した。 第1回(1979年)と第2回(1980年)は、第4回(1982年)はに乗るライダーが優勝した。 その後、ホンダは打倒を目指して HRC 製VツインマシンNXR750を投入し、1986年から1989年まで4連覇を達成。 オリビエに見いだされたがモト部門個人最多の6勝を挙げた。 その後、各メーカーともワークス参戦を見送る時期が続いたが、2013年からホンダがで、2015年からヤマハがでワークス参戦を再開させている。 また、2009年に創設されたクアッド部門では、ヤマハ・ラプターが連勝を続けている。 、1997年にカミオン部門総合1-2-3フィニッシュ。 オート部門の改造車クラスではの活躍が目覚ましく、1985年に三菱のワークス・チームが1・2位を独占した。 2009年にはディーゼル車のレーシングランサーをデビューさせたが、後の景気悪化に伴い、大会終了後にラリー活動からの撤退を表明した。 日産は2003年にワークスの日産・ピックアップを投入し 、、、らビッグネームを迎え入れたが、4年以内に優勝するという計画を前倒しして2005年限りでワークス撤退を決めた。 2012年には南アフリカトヨタ TSAM がオート部門のT1に「 South Africa」名義でで参戦を開始し、2019年にトヨタのダカール初優勝を達成した。 2019年8月21日閲覧。 、2005年 - 2011年 にかけて6連覇を2度、2014から2019年まで6連覇を達成している。 ちなみに2012年と2013年にTLCの優勝を阻止したのは、スペイントヨタの運用するであった。 この他にもオート部門には、様々な日本のが国内外のプライベーターの車両として選ばれ参加した。 また、かつてはプロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、テラノのシャシーにGTi-R風のボディーを被せたものや、パジェロを国産初の四輪駆動車・PX33風に改造した車両もあった。 カミオン部門ではが親子のチームスガワラとジョイントしてで2019年現在まで参戦しており、27回連続完走と10L未満部門クラス10連覇、1997年には部門総合1-2-3フィニッシュを達成。 過去にはが1997年にはで、1998年には純粋な競技車輌ではなくサポートカミオンとしてではあるが、で参戦したことがある。 なお、日本の自動車メーカー各社では販売網やその末端の士気向上を目的に、全国各地の系列のが参加するグループ内部の技術コンテストなどの成績優秀者などを選抜して、実際にラリーに参戦するチームのメカニックに起用することも多く行われている。 出場した日本人 [ ] ダカール・ラリー日本事務所の公式サイトには、2014年までの日本人参加者名および結果のリストが掲載されている。 第3回(1981年)、プライベーターのチームACP Adventurous Creative Persons が日本人として初めてパリダカに挑戦し、無謀と思われた市販車無改造2WDクラスので時間外ながら完走を果たした。 それから数年で出場者が増えてゆき、その後はほぼ毎年10人以上の日本人が出場している。 1980年代末 - 1990年代初頭にかけてはパリダカの知名度上昇とが重なり、50人以上のプライベーターが参加したこともあった。 当時は世間で名の知れたタレントや文化人の出場もマスコミの話題となった。 ワークスドライバーでは三菱の(1997年)と(2002・2003年)が四輪総合優勝を果たしている。 四輪(カミオン含む)• - チームACP代表。 TV番組の取材などでアフリカの道に親しみ、日本勢のパリダカ参戦のきっかけを作る。 1981年に久保田車のナビゲーターとして初参戦し、1989年まで9年連続出場。 1990年・1992年はドライバーとして出場。 - 1981年にACPのドライバーとして初参戦し、翌1982年には市販車無改造・二輪駆動・バギー・マラソンの4クラス(現在は廃止)において日本人として初優勝する。 1992年まで11年連続で参戦。 - 自動車ジャーナリスト。 1981年にACPのドライバーとして初参戦。 1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。 - チーム「子連れ狼」を組織し、1983年から2019年まで参戦。 日本人で唯一、モト・オート・カミオンの全部門に参戦。 2008年1月、に ダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者として認定された。 2019年には記録を36回にまで伸ばした後、引退を発表。 - 俳優。 1985年と1986年にドライバーとして、1987年 - 1993年に「チームシチズン夏木」の監督として参戦。 1986年から参戦、1997年に総合優勝。 - 三菱自動車。 1987年からダカール・ラリーに参戦。 2002年・2003年に総合優勝。 - テレビディレクター。 1987年にテレビ番組のスポンサードを受けた「号」でドライバーとして出場。 市販車改造ディーゼルクラスで優勝した。 - 元チャンピオン。 1990年に三菱パジェロ改のPX33で完走。 1991年に日産パルサーベースのオリジナルマシンで出場するもリタイヤ。 [ ] - 元モトクロス国際A級ライダー。 1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。 - 作家。 ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。 - 女優、タレント。 トヨタ・フランスよりドライバーとして1991年参戦。 1992年完走などの結果を残す。 - ラリードライバー。 、1997年参戦、総合32位完走。 市販車部門で4連覇を挙げている。 - 元F1ドライバー。 フリーランスとして2007、2008、2009年参戦。 - 父・のチームである日野チームスガワラでナビやチームメカニック、サポートカミオンで経験を積み、2005年からドライバーとして参戦。 2010 - 2019年のカミオン部門10L未満クラスで10連覇を達成した。 三浦昂 - の社員。 TLC(チームランドクルーザー)に2007年から2016年まで三橋淳とニコラ・ジボンのナビとして参戦し、2度の市販車部門優勝を果たす。 2017年からはドライバーに転向し、2018年にクラス優勝を達成した。 ナビ・ドライバーの双方で部門優勝を達成したのはTLC史上三浦が初めてである。 - 2020年からチームスガワラ2号車のドライバーとしてで参戦。 - ・及び。 パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。 日本に紹介されるこのラリーの画像のほとんどは彼の撮影によるものである。 パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。 - 冒険家。 1982年に参戦し(日本人として賀曽利隆と共に初)、完走(クラス6位で総合18位)。 2004年にも再挑戦するが、リタイア。 - 冒険家。 ジャーナリスト。 1982年に風間深志とともに参戦し(日本人として風間深志と共に初)、事故でリタイア。 - ・。 1986年・1988年に「チーム・シンバ」として参戦。 - ジャーナリスト。 1986年に取材。 - 1988年から合計5回参戦。 1997年は二輪総合57位(女性クラス優勝)、夫のと共に完走したことで敢闘賞も受賞。 1998年は夫婦で四輪部門にで参戦し完走。 - 元。 1991年に準ワークスの・レーシングより参戦し、完走。 - ジャーナリスト。 1992年参加。 - エンジニア。 1992年参加。 1997年には日本人プライベーター2輪チームのマネージャー兼メカニックとして参加した。 - 出身。 などでの優勝経験あり。 ダカール・ラリーでは、1998年20位、1999年15位。 - ライディングスクール校長。 ジャーナリスト。 計4回参戦:1996年、1997年(35位完走)、1998年、2006年(62位完走)• - の元市長。 同時代の2001年に参戦し、完走した。 -2002年大会出場・聴覚障害の持病がある中ダカールラリーに参戦。 総合での上位入賞はないが、クラス別や部門別では常に上位成績を収める実力派。 普通の会社員(SE)でありながら有給休暇を利用して参戦した。 エコエネルギー(新エネルギー)推進やフォトジャーナリストとしても活躍している。 2007年に参戦し完走した。 - 風間深志の三男。 2017年より「チーム風間」として参戦。 過去には大会期間中の死亡事故も起きている。 1986年、二輪部門にプライベート出場した金子靖雄はフランスのセッテでリエゾン区間を走行中、酒酔い運転の対向車と衝突して亡くなった。 メディア [ ] 日本国内におけるテレビ放送は、かつてはやがダイジェストを大会中毎日放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。 には、の番組「」がチームACPの2台をスポンサードし、参戦の模様を3回にわたって放送した(このとき、出場した2台中の1台が市販車改造ディーゼルクラスでクラス優勝した)。 現在、総集編がで放送されるほか、が大会期間中にダイジェストを、終了後に総集編を放送している。 しかし、放送頻度や認知度は同じモータースポーツであるなどと比較して低いのが現状である。 テレビ朝日のダイジェスト番組では毎年タイアップのイメージソングが使用された。 1991年 「Nostalgia」• 1992年 「」• 1992年 「」• 1993年 「」• 1994年 「」• 1995年 「」 1986年5月には配給のドキュメンタリー映画『 』がロードショー公開された。 ・ら撮影班は同年の大会中チームACPの取材車でダカールまで帯同した。 1987年にはのが応援団長を務める「ユーミン・号」が四輪部門に出場し、松任谷もアフリカを訪れた。 松任谷のアルバム『』(1986年)にはパリダカをモチーフにした曲「ホライズンを追いかけて」が収録された。 販売促進への利用 [ ]• サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。 三菱自動車系で行った「報告会」は、が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、2009年まではの報告会が毎年2月 - 3月に開催されるのが恒例となっていた。 2人が別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚がパジェロを扱う系販売会社、増岡がやを扱っていた系販売会社を担当した。 系列の区切りのない販売会社(山口三菱自動車・徳山支店など)では、篠塚・増岡が揃って登場した。 からにかけて、・のテレビCM「ハングリアン民族」編ではパリ-ダカール・ラリーに挑む選手やマシンの映像が使用された。 CMソングとして起用されたの「」やの「」は当時のヒットチャートを賑わす人気曲となった。 本レースを題材にしたゲーム [ ] 日本では、国内の企業がラリーに参加している為に認知度が高く、本レースを題材にしたゲームがいくつか製作・販売されている。 (・)• (・)• (、・)• (用・) 追加ディスクで、やも加えた• (、)• (PlayStation 2、、)• (Windows、、) 出典・注 [ ]• 注:フランス語では、名詞を形容(修飾)する語句が名詞の後ろに置かれるのが基本であり、英語とは順番が異なる。 , p. 14, 三菱自動車にとってのパリダカ. , 1985. , p. 23, インタビュー 夏木陽介. , p. 44, 三菱パリダカマイスター Part 1 篠塚健次郎. , p. 58, 対峙したライバルたち. , p. 59, 対峙したライバルたち. , 1988. , 1992. 、スラッシュドット ジャパン。 2008年1月5日閲覧。 朝日新聞. 2008年1月5日. の2008年1月8日時点におけるアーカイブ。 2008年1月6日閲覧。 産経新聞. 2008年2月4日. [ ]• 日刊スポーツ. 2008年2月12日. 2011年2月16日閲覧。 プレスリリース , 三菱自動車工業株式会社, 2009年2月4日 , 2020年2月2日閲覧。 - 本田技研工業。 - 本田技研工業。 - ヤマハ発動機。 日刊スポーツ. 2009年2月5日. 2017年12月21日閲覧。 NISMO 2002年10月4日. 2017年12月21日閲覧。 webCG 二玄社. 2005年3月4日. 2017年12月21日閲覧。 オートスポーツWeb. 2019年1月18日. 2019年1月18日閲覧。 2019年8月21日閲覧。 2019年1月19日閲覧。 2019年1月19日閲覧。 - パリダカ日本事務局。 - GAZOO. com(2016年)。 三橋淳の公式サイト• 日野自動車 2019年6月3日• 原田真人『砂漠のレーサーたち パリ・ダカール最前線』、早川書房、1986年、75頁。 - Movie Walker。 参考文献 [ ]• Carles, Philippe Philippa Smith, Pamela White, Chris Evans, Neil Perkins訳 2007. Stephane Muller, Kathleen Bimson. ed 英語, フランス語. Dakar 30 Years of Adventure. Silver. 「世界の扉を開けた日本車 Part 2 三菱自動車 」『Racing on』第418巻、 12-63頁。 関連項目 [ ]• - のワークス参戦史• - 「海のダカール・ラリー」と称されるヨットレース。 ちなみには「海の」と称される• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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