パトラッシュ セリフ。 『フランダースの犬』の最終回 有名なあのセリフ・・ネロの最後の言葉

フランダースの犬:英語翻訳で笑っちゃお!

パトラッシュ セリフ

ネロはおじいさんやお母さんのいる遠い国へ旅立ちました・・・。 見てしまった。 見たくなかったのに。 ネロとパトラッシュの最後を見届けてしまった。 ラストシーンはよく特番で見かけるが、そこまでの経緯を見る機会はあまりなかった。 子供の頃に見たとは思うのだが、もう20年も前のことなので覚えていない。 どういう経緯であんな純粋な少年が死なねばならなかったのかずっと疑問だったが、それが氷解した。 でも知ることによって余計にすっきりしない気分になってしまった。 最後2話しか見ていないが、その流れを簡単に。 おじいさんが死んで、ネロはひとりぼっちに。 パトラッシュだけが供に。 お金がなく、クリスマスには家を出て行くことになっていた。 最後の望みとして出展したコンクールで落選。 食べる物もなく、お金もなく、パトラッシュの食べ物を探して雪の中を徘徊。 アロアのお父さんが落とした大金を拾う。 (この時点では、アロアのお父さんはネロを絵ばかり描いている貧乏な少年として疎んでいる)• ネロ、その大金をアロアの家に届ける• アロアとお母さんは喜んで、ネロにご飯を食べていくよう勧めるがネロはいらないと言って断る。 かわりにパトラッシュに食べ物をとお願いする。 パトラッシュ、疲れ果てて暖炉の前で寝てしまう。 ネロ、用事があるといってアロア宅を出る。 ネロ、家を明渡すために、家財を整理し、何も持たず家を出る。 外は吹雪き。 アロアのお父さん、家に帰りネロがお金を届けてくれたことを知る。 ネロに辛く当たったことを後悔。 風車小屋のおじいさんが来て、風車の家事はネロの仕業ではないと告げる。 (ネロが火をつけたと噂になっていたらしい)• ドアが開いた隙に、目を覚ましたパトラッシュが外に逃げていく。 ネロによくしてくれていた隣のおばさん(遠くに行っていた)がネロの家にクリスマスのお祝いをするために訪れるが、ネロはいない。 おじさん(誰だかよくわからん)が、ひとりぼっちになったネロを引き取るためにとネロの家に来る。 アロア一家がネロの家に到着。 ネロの友達と、画商と名乗る男がネロの家に到着。 ネロの絵をいたく気に入り、の後を継ぐ者だと言う。 みんな総出で吹雪の中ネロの捜索。 ネロ、街にたどりつき、の絵のある教会に入る。 いつもカーテンで隠されている絵を見てネロ満足。 「もう思い残すことはないよ」と床に倒れ込む。 ネロの脇にパトラッシュが来る。 「僕を探して来てくれたんだね。 いつも一緒だって、そう言いたいんだね」• 「の2枚の絵を見られて、僕は今すごく幸せだよ」「パトラッシュ、僕はなんだか疲れちゃったよ。 すごく眠いんだ」• 天使舞い降りる・・・。 なんというか、ほとんどネロは自殺ですやん。 おじいさんが亡くなり、コンクールに落選し、もう完全に生きる気力を失っている。 生き延びるためのきっかけはたくさんあったのに、それを自ら潰していっている。 アロアの家で食事を食べていれば、もう少し長く休んでいれば、家を出るのがもう少し遅ければ、いろんな行き違いがすべて裏目に出ている。 ここでネロにもう少しだけでも生きる気力があれば結果は変わっていたのに。 そもそもネロの言動からして、「もう死にます」を暗示しているものが多かった。 「おじいさん、僕はどこか遠くに行くよ」とか「アロア、さようなら」とか、はじめから死ぬことを覚悟しているとしか思えないことばかり言っている。 それは「生真面目ゆえ」を通り越して、明らかに「死に向かっている者」の言葉だ。 生きることを諦めた者の言葉だ。 あと1日、あと1時間あれば、誰かが少しでも手を差し伸べてあげれば。 誰かのささいな何気ない手助けが、あるいはネロの命を救ったかもしれないと思わせる。 それは演出のうまさと言えよう。 しかし実際にはネロは死ぬ。 その死に行く姿はあまりにも救いがない。 けっきょく「真面目な貧乏人は努力しても無駄、死ぬしかない」という現実を突きつけられているようで辛い。 せめてもの救いは、ネロが最後にの絵を見ながら、幸せなまま旅立っていったということだろうか。 最後が悲壮な雰囲気で終わらず、笑顔のネロとパトラッシュで終わるところは、子供アニメとしての最後の優しさと受け止めるべきだろうか。 辛いけど、切ないけど、いろいろ腹立ったり、納得いかなかったりするけど、最後の2話だけ見てもこれだけ感情移入できるってことはやっぱり名作なんですかね。 追記 引用です。 最後のナレーションでネロはお母さんやおじいさんと一緒に、悲しみやおなかがすいたということもなくいつまでも楽しく暮らしましたっていうような事をいってたけど、心の中で違う!と思っていた。 死ぬっていうことを美化しすぎじゃないかなぁ。 一生懸命生きてこそ幸せに暮らせるのであって生きようとしていない者に死んで楽しく暮らせるということはないだろうと思う。 ああ、そのとおりかも。 私も最後のシーンには微妙に違和感を覚えてたけど、「子供のものだから」と見過ごしていた。 確かに生きる気力を失って死んじゃったのに、それで幸せになったって言っちゃあダメだよなあ。 パトラッシュも道連れだし。 関連サイト•

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これはもう“事件”!?「ルーベンス展」開催で、あの名作アニメ「フランダースの犬」放送決定!

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「パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ…」 この台詞を聞いただけで思い浮かぶあの名作…そう、 「フランダースの犬」。 原作を読んだことがなくとも、アニメのラストシーンは日本人なら誰もが知っているであろう。 貧しいネロ少年が夢半ばで力尽き、愛犬パトラッシュと共に天に召される場面は涙無しでは語れまい。 物語に感動して 聖地を一目見たいと願う日本人が、毎年大勢 ベルギーを訪れるという。 しかし! 日本からの熱狂的な支持に、 現地の人々は首をかしげているという雑学を耳にした。 本当だろうか? まさか…あんな感動的な物語に心動かされない人間が存在するというのか? 半信半疑で 聖地であるベルギーの反応を調べてみると… 驚愕の事実が判明した! えええ…なんか知りたくなかった気が… 【雑学解説】日本で人気の「フランダースの犬」だがベルギーでは… ベルギーの都市アントワープにある ノートルダム大聖堂は、ネロ少年が愛犬パトラッシュと共に天に召された場所… 「フランダースの犬」 の聖地である。 だが観光に訪れた日本人は皆がっかりするという。 現地の人々がまるで興味がないのを目にするからだ。 それもそのはず、「フランダースの犬」 はイギリス人によって書かれ、ベルギーの公用語である オランダ語に翻訳されたのは つい最近だというのだ! 現地のほとんどの人が知らないのも無理はない。 多くの日本人からの問い合わせに観光課が動いた結果、一応 聖地らしい気遣いは見える。 ルーベンスの絵画の前には 日本語で書かれた看板。 さらには ヘンテコな日本語がつけられたお土産が街のいたるところで売られている。 そうじゃない、そうじゃないんだ…。 しょぼいっすねえ… ネロ少年とパトラッシュが旅立ったとされる村には ふたりの銅像が建てられているのだが、このパトラッシュ… 小さっ! 子供の頃にその大きな背に乗ることを夢みたパトラッシュとは似ても似つかぬ小型犬だ。 どれもこれも、現地の人の知識のなさがよくわかるテキトーっぷり。 ベルギーで 「フランダースの犬」 が人気がないのは、悲しいことに事実である。 」 現地の人々の正直な感想はこれだ。 とは言え、観光業界にとっては日本人は 大事な金づる…いや、お客様である。 それには欧米人と我々日本人の人生観の違いにも原因がある。 自立が早く、人生を自分で切り開く生き方が理想とされるヨーロッパ。 彼らの目には、 運命に翻弄されるがままのネロ少年はあまり 好ましく映らないのだ。 いっぽう我々日本人は、主人公が悲劇的な結末を迎える可哀想なお話が大好き。 運命を受け入れる諦観こそが 物語を美しくすると思っている節がある。 ここまで 価値観が正反対だと、人気に差が出るのもなるほど納得である。 ネロ…日本に生まれていればよかったね…。

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フランダースの犬:英語翻訳で笑っちゃお!

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平均視聴率25%という 大変人気のある番組でした。 また、アニメ名作場面ベスト100などの番組でも、 必ずと言っていいほど登場しております。 感動的な最終話をみると、今でも涙がにじんできます・・・・ 今回はとても簡単なセリフなので、某翻訳サイト君も簡単にやってくれるでしょう。 翻訳サイトにかけてみると・・・ I have already become tired. 久しぶりにいたってまともな英語が出てきましたね。 なぜか、「パトラッシュ」 は普通に無視してくれましたが、 まぁ、おいときましょう。 ときに、この 「パトラッシュ」 の綴りだが、恐らく 「patrasche」であろう。 また、障害を持つ孤児の為の「」なるものもあるようなので、 是非協力してみてはいかがだろうか。 ちょっと脱線してしまったが、今回のセリフ、翻訳サイトが使ったように、 「tired」を使ってもよいのだが、ネロはただ単に「疲れている」だけではなく、 「疲れ果てている」 そうすると、「exhausted」っという単語を使った方が、よりネロの気持ちを 伝える事ができると思う。 今回の名ゼリフ 「パトラッシュ、もう、僕疲れちゃったよ。 」を英語にすると、 「Patrasche, I'm exhausted」っとなる。 「パトラッシュ、もう、僕疲れちゃったよ。

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