ある日 ルーカス。 漫画「ある日、お姫様になってしまった件について」23話のあらすじと感想!ネタバレ有り

楽天ブックス: ある日、お姫様になってしまった件について 3

ある日 ルーカス

ジョージ・ルーカス に生まれる。 少年時代は、テレビで放映されたかつての映画の「連続活劇」やコミックブックに熱中して過ごす。 高校時代は、カー・レースに熱中した(この時代の経験が、後に『アメリカン・グラフィティ』に描かれた)。 、高校卒業の直前に自動車事故に遭うが、奇跡的に死を逃れ、自分の人生を考え直す。 の間、フィルムに関する専門学科を早くから設けたの(USC)での勉強をした。 そこで彼はたくさんの短編を制作し、特にその中の一つ、『』は数々の賞を受ける。 この時代の仲間に、や、、、などがいた。 卒業後、ワーナーのスタジオでの研修中、『』を撮影中のと出会って意気投合し、のシステムに強制されることのない映画制作者のための環境を作ることを目指して、コッポラが設立した社の副社長に就任。 そして、ゾエトロープの第一作『』(『電子的迷宮 THX-1138 4EB』の長編映画化作品)で初監督を務めることになる。 その後、ルーカスは自らの映画制作会社を設立し、制作・監督した『』(『』で一流監督の仲間入りをしていたコッポラを、プロデューサーとして迎え入れる)が大ヒットし、ルーカスは一躍有名になる。 そして、映画会社のに企画を自ら持ち込んで『スター・ウォーズ』の制作を始めるが、コッポラが自分の企画に介入することを阻止するために、温めてきた『』をノンクレジットで渡してしまう。 その代わり、『スター・ウォーズ』をコッポラの影響なしに制作することが出来た。 『スター・ウォーズ』製作時、監督としての収入は、当時の日本円にして約5,000万円であった。 20世紀FOXが監督料の上乗せをしようとしたが、ルーカスはこれを受け取らない代わりにの権利を20世紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。 この収益は、『スター・ウォーズ』全6作(特別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりも遥かに上回る結果となった。 その『スター・ウォーズ』公開時、興行的失敗の知らせを聞きたくなかったために、電話のないのホテルに潜んでいた(「映画が成功した」と伝えたのは同じくオーストラリアにいたスピルバーグ)。 初めは、監督より編集者として活躍していただけに、早くからフィルムをカットしていく従来の方法ではなく、ビデオを利用した電子編集を導入したり、世界最初のシステム「editdroid」の開発をも支援した。 『スター・ウォーズ』第1作で既にを導入していたルーカスは、映画館の音響設備が整備されていなかった高水準の音響設備や上映環境を整えるため、プログラムを1980年代に立ち上げた。 これは音響機器の特性から残響・遮音といった上映施設の環境に至るまで厳しい基準を設定し、ルーカスフィルム傘下で高品質の音響製作を行うの音が、そのまま映画館でも再生出来るよう意図したものである。 さらに、映写システム調整用のテスト素材TAP の供給も開始。 これによって、上映環境が画も音も改善され、ドルビーのサラウンドシステムの進歩も促した。 THXでは上映フィルムの品質管理も行うようになり、や、など、家庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製品がある。 映画上映の環境改善、ビデオや音響システムのデジタル化に伴った製作から家庭までの再生環境の向上に、ルーカスとTHXは絶大な影響を与えた。 『』新3部作では、まず扮装したスタッフに構想した場面を演じさせ、視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面の尺、編集のタイミングを見通した上で俳優を起用した撮影に入る、という「撮影前に編集する」プロセスを採用。 さらに、その時の映像を撮影前に俳優に観せる事により、後でCGをはめ込むため、撮影中は周りの風景が見えないブルースクリーンの中でも、より演技しやすい環境を作った。 『スター・ウォーズ』第1作のために、ルーカスフィルム傘下に立ち上げたスタジオ、(ILM)に、1980年代初頭にCG部門を開設しての母体を作り、逸早くを導入し配給の経費削減にも貢献する構想など、映画製作のデジタル化推進の急先鋒であるにもかかわらず、当の本人は至ってアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で書かれている。 映画賞にはそれほど縁のないルーカスではあるが、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー賞のを受賞した。 の授賞式で(過去に監督賞を受賞した)スピルバーグ、コッポラと並んでセルフ・パロディとも言うべき掛け合いを披露した。 製作総指揮を手掛けた作品は多いが、監督作とは対照的にそのほとんどは評価が低く、『』はその最たる物である。 また、監督としての作品も6作品と多くはない(うち4作が『スター・ウォーズ』)。 理由の一つに、1977年の『スター・ウォーズ』製作時のストレスが甚大で、内気な性格の上にを患っていたルーカスには肉体的負担が強かった事が挙げられる。 ルーカスが思い描く「世界観」が誰にも理解出来ず、監督業から編集作業まで総てを手がけなければならないという激務もあって、実際、撮影中に二度入院している。 そのため、同作のエピソード5・エピソード6では製作総指揮に回り、次の監督作であるエピソード1まで22年間の空白が出来る事になった。 2012年、1988年から企画を進めていた時に空軍に参加したパイロットの物語『』が公開された。 ルーカスは同作を最後に「映画製作からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退を示唆した。 ただし映画製作に全く関わらないというわけではなく、ルーカスフィルムから離れ、ハリウッドの大作ではなく『THX-1138』のような低予算で実験性の高い作品を作っていくつもりだと話している。 2012年10月30日、()がルーカスフィルムを40億5000万ドル相当で買収したが、ルーカスフィルムはルーカスが完全に所有していたため、売却益のほぼすべてを手にすることになる。 その利益の大半を慈善事業に寄付する意志を表明している。 また、資産の半分をいずれ寄付することを宣言するに参加している。 これ以降に新規製作された『スター・ウォーズ』作品では、ルーカスはキャラクター原作者としてのクレジットのみで、製作に直接関与していない。 ただし、製作メンバーへの助言や撮影現場への訪問など間接的な関わりは継続しているほか、2020年公開のテレビアニメ『』ファイナル・シーズンでは、ディズニー買収後の新規作品で唯一、製作総指揮として携わっている。 1994年の映画『』、2005年の映画『』ではカメオ出演している。 2015年、を受賞。 2020年5月4日、のに自身の博物館となる「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート」をオープン予定。 人物 [ ] 映画で得た利益のほとんどをルーカスフィルムに費やして、自身の生活は質素。 の店でハンバーガーを食べている姿をよく見かけられている。 なお、ルーカスフィルムがあるでは、を栽培しており、このブドウは収穫されコッポラの経営するでとして販売され、高値で取引されている。 子供の頃からSFマニア。 また、かつての映画での「モノ」のファンでもあり、インタビューにおいて『』や『』の演出には連続活劇の手法を用いていると語っている。 尊敬する映画監督は、特撮映画の巨匠とで、レイ・ハリーハウゼンについては「僕達のほとんどが子供の頃から彼(ハリーハウゼン)の影響を受けてきた。 その存在なくして『スター・ウォーズ』は生まれなかった。 」と影響の大きさを語っている。 黒澤に対しては、『』にて国際版の製作総指揮という立場で黒澤を支援し、の授賞式では、スピルバーグと共に黒澤にアカデミー名誉賞のオスカー像を贈った。 黒澤の影響からルーカスの作品には随所に日本文化の影響が表れている。 にも造詣深く、特に大きな影響を受けたと公言しているのがの『千の顔を持つ英雄』 The Hero with a Thousand Faces であり、「彼の本に出会っていなければ私は未だにの脚本執筆に追われていただろう」と1984年のインタビューで語っている。 その他に、、などのSF作品、、、、から影響を受けたという。 とは、映画界における昔からの戦友である。 スピルバーグは『未知との遭遇』公開直後から同時期に公開された『スター・ウォーズ』の大ファンであった。 『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ エピソード3』では、スピルバーグがアシスタント・ディレクターに就いた。 ポーランドで『』を撮影していたスピルバーグに代わって『』のCGの仕上げや編集などのを統括したのもルーカスで、『』のハロウィーンのシーンでが登場 、『』ではエキストラとしてE. が登場し 、『』にはが登場していたり もする。 に、、から脱退している。 引き金となったのは『帝国の逆襲』の完成後、ジョージはオープニング・クレジットの省略に関して各協会の許可を取っていなかったこと、自身の名前だけクレジットさせたこと(だが、それはルーカスフィルム・リミテッドという社名であった)から罰金を支払わされたことにある。 日本では、頃からにかけてテレビで放映された、から当時発売されていた「」 や「HI-Fi」などのCMに登場していたことでも知られる。 この時の繋がりが、並びに内のアトラクション、「スターツアーズ」や「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー 〜クリスタルスカルの魔宮〜」など、アトラクションスポンサーとしての結び付きに繋がってもいる。 長年補佐役を務めるはルーカスについて「編集などフィルムを相手にする時は楽しげだが、人間が相手の場合はそれほどではない」と人付き合いを苦手とする一面を語っている。 曰く、性格はかなりシャイ。 「演技指導はスタッフに耳打ちして役者に伝えさせている」とも言っているが、しっかりと自身の言葉で演技指導している。 ルーカスの会社である、にオカは勤めているが、その社則には「ルーカス氏にサインを求めたらクビ」、「ルーカス氏と5秒以上目を合わせたら石になれ」などの変な規則があるという が、前述のようにかなり誇張されている。 スタッフ会議や演技指導の際には、皆がルーカスに目を合わせている。 ただし、やによると、演技指導の際に具体的な説明があまり無かったといい、「イメージははっきりしているが上手く説明出来ない」と、ルーカス自身がマクレガーに話していたという。 家族 [ ]• 『アメリカン・グラフィティ』『』『』『スター・ウォーズ』旧三部作などの編集者(旧姓:グリフィン)は元妻。 養子が3人(年長者から順にアマンダ、ケイティ、ジェット)。 は女性総合格闘家(女子・無差別級初代チャンピオン)・家である。 2013年6月22日、実業家の ()(元会長 、 ()社長兼共同、副会長)と7年越しの交際を経て結婚。 同年8月9日、代理出産にて女児Everest Hobson Lucas誕生。 制作作品 [ ] 年度 映画 監督 脚本 製作総指揮 その他 備考 1971 THX1138 Yes Yes 1973 American Graffiti Yes Yes 1977 Star Wars Yes Yes 1980 Star Wars Episode V: The Empire Strikes Back Yes Yes 原案 1981 Raiders of the Lost Ark Yes 1983 Star Wars Episode VI: Return of the Jedi Yes Yes 1984 Indiana Jones and the Temple of Doom Yes 1985 Mishima: A Life In Four Chapters Yes 1986 Howard the Duck Yes Labyrinth Yes 1988 Willow Yes Tucker: The Man and His Dream Yes 1989 Indiana Jones and the Last Crusade Yes 1994 Radioland Murders Yes Yes 原案 1999 Star Wars Episode I: The Phantom Menace Yes Yes Yes 2002 Star Wars Episode II: Attack of the Clones Yes Yes Yes 2005 Star Wars Episode III: Revenge of the Sith Yes Yes Yes 2008 Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull Yes 2008 Star Wars: The Clone Wars Yes 原作 2008 - 2014 Star Wars: The Clone Wars Season1 - Season6 Yes 原案 2012 Red Tails Yes 2020 Star Wars: The Clone Wars Final Season 原案 関連項目 [ ]• 注釈 [ ]• White, Dana 2000. George Lucas. ethnicelebs. com. 2012年1月20日閲覧。 2012年11月2日閲覧。 2012年11月2日閲覧。 2015年8月16日. 2015年8月17日閲覧。 シネマトゥデイ. 2017年1月12日. 2017年1月12日閲覧。 DDN JAPAN livedoorニュース. 2013年5月8日. 2013年6月8日閲覧。 スピルバーグが『ジェダイの復讐』を監督するという話もあったが、当時ルーカスが全米監督協会から脱退したばかりであったため、実現しなかった。 『スター・ウォーズ』シリーズの作曲家はスピルバーグの殆どの作品を手掛けており、ヨーダ登場シーンでは一瞬『帝国の逆襲』の「ヨーダのテーマ」が流れる。 の声を作ったのが『スター・ウォーズ』などのベン・バート。 マザー・シップ表面に逆さまになったR2が見える。 『スター・ウォーズ』視覚効果撮影のとデザイナーのが招聘されていた。 『』2008年5月8日放送より• DreamWorks Animation SKG, Inc.. 2015年9月3日閲覧。 マイナビニュース 2013年6月24日. 2015年9月3日閲覧。 HuffPost 2013年8月12日. 2015年9月3日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - (英語)• 1937• 1938• 1939• 1941• 1942• 1943• 1944• 1946• 1948• 1950• 1951• 1952• 1953• 1956• 1958• 1961• 1963• 1965• 1966• 1967• 1970• 1973• 1975• 1976• 1977• 1979• 1981• 1986• 1988• 1991• 1994• 1996• 1998• 1999• 2000• 2009• 2010•

次の

アメリカ史上最も成功したジョージ・ルーカス監督のおすすめ映画6選!

ある日 ルーカス

NYタイムズ紙によりベストセラーに選ばれた、胸打つ衝撃の<実話>。 アメリカの田舎町。 葛藤を通し、ありのままの自分や親子の絆を再発見するまでを描いた感動作。 2016年に発表され、NYタイムズ紙によるベストセラーに選ばれるなど全米で大きな反響を呼んだ衝撃の<実話>をもとに描かれる。 原作は、2016年に発表され、NYタイムズ紙によるベストセラーに選ばれるなど全米で大きな反響を呼んだ衝撃の<実話>。 この度、本作でゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされたルーカス・ヘッジズの貴重なインタビュー映像が到着!「これまでの出演作と熱の入れ方が違った」とインタビューで明かすルーカス。 そんな勢いとどまることを知らない彼が初主演を飾るのが、本日より公開の『ある少年の告白』だ。 原作本「BOY ERASED」を読んで「すぐ夢中になった」と語り出すルーカス。 原作者ガラルド・コンリーの実体験を基に書かれていることから、「彼の苦悩は本を通して知っていた。 だからお返しに僕のことも知ってもらいたかった」と、ルーカスの地元ブルックリンを二人で散歩したという。 「彼と直接話せたことは素晴らしい体験だったよ」と当時のことを興奮気味に振り返る。 先日行われた一般試写会では「ルーカス・ヘッジズのナチュラルな存在感がものすごくいい!」「彼の出演作にはハズレがないし、今後の出演作にもますます目が離せない若手俳優!」「これだけ主役格の俳優が揃う中で、引けを取らないルーカス・ヘッジズの演技が力強い!素晴らしい初主演作!これをきっかけにファンがぐっと増えるのは確実!」と彼の演技に絶賛の声が続出!誰に対しても気さくに接する部分や日ごろの些細なことにも興味を持つ性格は、彼の演技に多大な影響を与えている。 「熱の入れ方がこれまでと明らかに違った」! 話題作への出演が続くルーカス・ヘッジズが魅せる新境地の演技!! 役を演じることに人一倍の努力と熱い想いを秘めるルーカス。 話題作に立て続けに出演する彼だが、本作では「現場に入ったときも撮影の時も神聖な感じがして、恐怖と興奮が入り混じっていた」と気持ちの高ぶりようを語る。 本作でも語られ、現在も問題視されている矯正セラピーの実態について「事実を大切に扱いたかった。 僕自身、熱の入れ方がこれまでと違った」といつも以上に真剣な面持ちで語り、さらに「この映画は誰かの命を救うことになるかもしれない」と本作の存在意義を力強く語った。 ルーカス自ら「世の中に大きな影響を与える重要な作品」と訴えかけ、彼の全身全霊をかけた『ある少年の告白』。 、スティーヴ・ゴリン(p. )、ジョエル・エドガートン(p. boy-erased. jp C 2018 UNERASED FILM, INC.

次の

『ある少年の告白』主演ルーカス・ヘッジズのインタビュー映像到着!大ヒット公開中!

ある日 ルーカス

殺人博物館〜ヘンリー・ルーカス ヘンリー・ルーカス Henry Lee Lucas (アメリカ) ヘンリー・ルーカス オーティス・トゥール(左)とハイ、チーズ 母親殺しで逮捕された当時のヘンリー 「史上最悪の連続殺人犯は誰か?」と訊かれて、誰もが ヘンリー・ルーカスを思い出すことだろう。 自供した犠牲者の数は当初は100人だったのだが、やがて360人に膨らみ、630人を経て、遂には1000人を越えた。 かと思うと突然に「これまでのはなしはぜんぶウソ」と前言を翻した。 彼の話のどこまでが本当なのか判らない。 実際の犠牲者は数人に過ぎないのかも知れない。 しかし、そうだとしても彼が「史上最悪の連続殺人犯」であることには変わりない。 もっとも、この場合の「最悪」とは「タチが悪い」という意味なのであるが。 ヘンリー・ルーカスの伝説は1983年6月11日、 ケイト・リッチという82歳の老婆殺しの容疑で逮捕された時から始まる。 併せて ベッキー・パウエルという15歳の同棲相手も殺したことを認めたヘンリーは、他にも100人の殺害を仄めかした。 この裁判を傍聴していた地元紙『オースティン』のマイク・コックスによる記事「放浪者が100人の殺害を自供」がスクープとして全米を駆け巡り、その日のうちにヘンリーは一躍有名人になってしまったのである。 ヘンリーの供述によれば、1978年からアメリカ全土を股に掛けて殺人行脚を繰り広げた。 相棒はベッキーの叔父 オーティス・トゥールである。 2人は強盗や強姦を繰り返す一方で、「死の腕(The Hand Of Death 」というカルト集団の殺し屋としても働き、いわゆる「スナッフ・ムービー」にも関与し、オーティスに至っては犠牲者を食べていた(ヘンリーも食べさせられたが「バーベキューソースが嫌いなので」あまり食べなかった)。 にわかには信じられない話である。 しかし、全てがルーカスの作り話だと断じることも出来ない。 オーティス・トゥールは実在の人物であり、ヘンリーに先んじて放火殺人の容疑で逮捕されていたのだ。 「死の腕」云々は嘘八百だとしても、彼らが強盗、強姦、放火を繰り返していたことは紛れもない事実なのである。 テキサス州警察は早速「ヘンリー・ルーカス対策委員会」を編成し、その真偽の検証を始めた。 「ひょっとしたらウチの管轄の未解決事件もこいつらの犯行じゃないかしら」 全国の州警察から問い合わせが殺到した。 そのほとんどをヘンリーはホイホイと認めた。 「それはおいらがやりました。 それもおいらがやりました。 あ、それは相方の仕事です」 瞬くうちに26州の警察が200件以上の未解決事件を解決してしまった。 左目が義眼で歯がすり減った風采の上がらない小男が生まれて始めて注目を浴びた。 今や彼はアメリカ中の、否、世界中の注目の的である。 しかも、自供し続ける限り特別待遇で、好きなものが食べられる。 現場検証のための小旅行も楽しめる。 そして、刑が執行されることもない。 裏返せば、彼は自供をやめれば処刑されてしまうのである。 だからこそ犠牲者の数はどんどこ膨れ上がっていったのだ。 こうした構造的な問題から、彼は実は3人しか殺していないのではないかとの見解もある。 ケイト・リッチとベッキー・パウエル、そして、1970年に刑期を終えた母親殺しの3件である。 しかし、当局は少なくとも157件は彼らの犯行だとしている。 犯人でしか知り得なかった事柄をヘンリーは知っていたというのだ。 これに対して識者からは、 「誘導尋問により供述を引き出して、未解決事件の棚卸しに彼らを利用したのではないか?」 との批判が浴びせられているが、ここから先は水掛け論だ。 真相はヘンリーだけしか知らないのだから。 ヘンリーと一緒になってホイホイと自供し続けたオーティス・トゥールは1996年9月15日に肝硬変で死亡した。 一方、ヘンリー・ルーカスも2001年3月13日に心臓発作で死亡した。 2人とも処刑されることなく天寿を全うしたのである。 あっぱれである。 自供し続けることで生き長らえた彼らの戦法は前代未聞であり、こういう連中とどう向き合うべきなのかが今後の課題であろう。 参考文献 『死の腕』マックス・コール著(中央アート出版社) 『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社) 週刊マーダー・ケースブック89『殺人への執念』(ディアゴスティーニ) 『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版) 『食人全書』マルタン・モネスティエ著(原書房) 『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス) 『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房).

次の