ホーミー ケイ ブランド。 インタビュー KEI(1)

アメリカ極悪刑務所帰りの元ヤクザ、非行少年と向き合う(1)

ホーミー ケイ ブランド

ケイさんは、1961年に東京・中野で生まれ、親の愛を知らずに育てられる。 「父親の記憶はまったくない」と話し、母親からは、「松本というアナウンスが流れたら降りろ」とだけ言われて、当時7歳だったその少年は一人で電車に乗せられて親戚に預けられた。 10代で非行に走る。 暴走族になり、ヤクザになった。 ヤクザ時代には、商売が相次いで成功し、サイパンにコンドミニアムを所有するほど巨額の富を築く。 しかし、29歳のとき、弟分に裏切られ、ハワイで麻薬の密売中にFBIのおとり捜査にはまってしまう。 そこから、壮絶な刑務所暮らしが始まった。 「アメリカの刑務所は、日本とは全然違う。 売春も麻薬の取引も自由に好き放題できる」とケイさんは語る。 刑務所で働く監視官は低賃金であるため、囚人から口止め料をもらい生活の足しにしていたのだ。 しかし、自由であるがゆえに、危険過ぎる場所である。 黒人系、白人系、中国系、イタリア系など、人種間の違いによる抗争が起き、毎日のように殺人事件が起きていた。 「刑務所で殺人事件が起きても、すでに囚人たちは終身刑が科せられているので、刑期の延長が付いても痛くもない」と説明する。 刑務所では、ケイさんも襲われることがあった。 今でも、おでこには5キロのおもりで殴られ、骨が陥没した傷跡が残る。 しかし、襲われても、監視官に助けを求めはしなかった。 「助けを求めてしまうと、ずっと弱虫のレッテルを貼られたまま刑務所内で過ごすことになり、周りからなめられてしまう」からだ。 いくら怪我をしても、屈強な外人たちに立ち向かった。 あるとき、刑務所内で最強と言われるメキシコ系アメリカ人グループの「チカーノ」のビックホーミーと呼ばれるボスに認められる。 こうして、ケイさんはチカーノの仲間たちと家族同然の関係を築き上げ、刑期を務め上げた。 2001年、刑期を終え、日本に戻った。 ヤクザとは縁を切ったが、チカーノとは関係が続いている。 チカーノの文化は、「仲間思い」と話す。 「日本のヤクザとは違い金では動かない。 とても貧しいが、家族・仲間思いの奴らだ。 仲間のためには、自己をも犠牲にする」。 「家族」や「仲間」についてチカーノから学び、絶縁していた母親とも向き合えた。 現在は、平塚でチカーノ系ファッションブランドショップ「HOMIE(ホーミー)」を経営しながら、ボランティアで非行に走る子どもたちのカウンセリングを行う。 なぜ、ケイさんは子どもたちのために動いたのか。 それは、「若い頃から、お世話になっていたある刑事のおかげだ」と話す。 ケイさんは、日本に帰国してから、その刑事に挨拶に行った。 ケイさんが暴走族時代に補導され、以来、事件を起こすごとに説教をくらった刑事である。 ケイさんがアメリカ刑務所にいたころも手紙のやりとりを続けていた。 「おれが、アメリカにいたころに、息子がグレてしまった時期があった。 母親では、手をつけられようがないから、その刑事に、『息子を頼む』と手紙を出したのが始まり」と。 日本で会ったとき刑事から、「これからどうする?また、ヤクザに戻るのか?」と尋ねられると、「ヤクザになる気はないです」と返した。 すると、「だったら、これからは世のため人のために生きろ」と説教を受けた。 刑事からそう言われたが、社会のために何をすれば良いのかまったく分からなかった。 ちょうどその頃、ケイさんは、自身の生い立ちをまとめた自伝本やDVDを出していた。 すると、その影響でケイさんのSNSに若者や保護者から、相談が殺到するようになる。 1日に、100件来る日もあった。 今でも、週に50件は来ている。 「警察や行政、学校の先生には相談できない子どもたちからの悲痛の叫びが届けられる」と話す。 親に捨てられた子どもの悩みを聞いていくうちに、刑事に言われた、「世のため人のために生きろ」という言葉を思い出し、非行に走る子どもたちの相談役になろうと決意する。 息子に頼んで、相談受付サイトを開設した。 ケイさんに会いに来る子どもたちは、一人ひとり異なる深刻な悩みを抱えている。 基本的には、メールや電話、会って相談に乗るが、過去にはケイさんの自宅で面倒を見た子どもたちもいた。 親の愛を知らずに精神を病んでしまった子どもたちなので、2度ナイフで刺され、家を燃やされてしまったこともある。 それでも、「絶対に子どもたちを裏切ることはしない」と話す。 自宅で面倒を見た子どもの一人は、水泳で全国大会にも出場するほどの努力家な女子中学生だった。 しかし、中学2年時、彼女に変化が起きる。 彼女の親友が不良仲間と仲良くしだし、母親から、親友とは付き合うなと悪口を言われたことが原因だ。 それがきっかけとなり、母親と距離ができ、彼女も不良仲間と付き合うようになる。 親に暴力を振るうようになり、あげくの果てには、母親の前で彼氏とセックスをして、コンドームを投げつけた。 母親がどうしようもできないと諦め、ケイさんに依頼の連絡が来た。 ケイさんは彼女を自宅で預かり、約1年半をかけて更生させた。 ケイさんが自宅ですることは、医学的なカウンセリングなどではない。 ただ、「一緒に生活すること」だ。 家族で出かけるときには、一緒に遊びに行き、一緒にご飯を食べる。 ごく一般的な家庭生活をするのだ。 その結果、彼女は美容の専門学校を卒業し、美容師を目指し活動している。 このほかにも、ドラッグ中毒の高校生、親から虐待を受けている小学生、拒食症・対人恐怖症の若手社会人など、さまざまな悩みを抱えた人がケイさんを頼りに来る。 経営している「ホーミー」にも、全国から悩みを抱えた中高生が訪れる。 悩みを聞き、その子どもとともに親や学校の教師に話をしに行くこともある。 10代から精神科に通い、17歳から摂食障がいと不眠症になってしまった男性(29)は、「病院に行っても、睡眠薬を渡されるだけで、何の解決にもならない。 向き合って話を聞いてくれなかった。 でも、ケイさんは筋を通して、話を聞いてくれる」と話す。 この男性は、父親から退職金で車を買ってあげると言われていたが、その約束を守らなかった父親に腹を立ててしまい、ケイさんが間に入った。 ケイさんは、今の日本を格差が拡大し、差別がいまだに残るアメリカのようだ見る。 「子どもたちが非行に走るのは、子ども自身のせいではない。 誰も、好きで非行に走る人間などいない。 非行に走らせた周りの大人たちが原因だ。 子どもは、学校の先生に疎まれていることを自覚しているし、養護施設に相談すれば、家族と離れて暮らすことになる。 病院では、薬を渡されて、お金がかかるだけ。 行き場を失った子どもの声は誰が聞くのか」と、日本社会の未来を憂いた。 井上ケイ 1961年、東京・中野生まれ 少年期は阿佐ヶ谷と八王子で過ごす。 その後は暴走族を経て、ヤクザの道へ進む。 ヤクザ時代にハワイでFBIのおとり捜査にはまり、10年以上、ロスを始めサンフランシスコ、オレゴンなどの米刑務所で過ごす。 刑務所内で知り合ったチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との交流から、人生における大切なものを学ぶ。 帰国後はその経験を生かし、カウンセリングやイベントを通し、若者と触れ合う。 平塚で、「HOMIE」というチカーノ系ブランドを経営し、本場のチカーノカルチャーを広めている。 ケイさんの壮絶な刑務所体験が描かれた一冊、が販売中 【こちらもおすすめ】 ・ ・ ・ 【編集部おすすめの最新ニュースやイベント情報などをLINEでお届け!】.

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苛烈なアメリカ獄中人間セッションが創り上げた到達点!『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】

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【アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人】Mr. KEIまとめ【チカーノカルチャー】 FBIのおとり捜査で捕まる。 米刑務所にて徒党を組まず暴れまくるも、刑務所内で知り合ったチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との交流によって人生における大切なものを学ぶ。 チカーノ系ブランドショップを経営。 ファッション、タトゥー、書籍、コンピレーションCD、DVD、映画など幅広いプロデュースを行う。 KEI アメリカの留置所・刑務所に10年以上投獄され、生き抜いた日本人 しかし、絶望の極致でチカーノと呼ばれる人種に出会い、壮絶ながらポジティブに生き抜くことができた。 KEI チカーノになった日本人(東京キララ社)発売により、チカーノ・ブームを巻き起こし、中心人物となる。 FBIの囮捜査にはめられ、カリフォルニアの刑務所に10年以上服役した男の壮絶なるハードコア・ライフ。 抗争や殺人事件が日常茶飯事のアメリカの刑務所。 そこには人種ごとに様々なグループがある。 唯ひとりの日本人として孤独な闘いを続けたKEIだが、ある日、その暴力性、結束力で最も恐れられているチカーノ メキシコ系アメリカ人ギャング の伝説的なボスと運命的な出会いを果たし、彼らと家族同然の付き合いが始まる。 チカーノは貧しいが、金では動かない。 家族を大切にし、仲間のためには自己をも犠牲にするヤツらだった。 新たな写真とエピソードを追加した改訂版。 以下略 参照元 : MR. KEI 幼少期 1961年、中野区に生まれる。 父親は生まれてすぐ蒸発、母親は育児放棄。 小学生時代、親元を離れ、親戚中をたらい回し。 ソープランドのタコ部屋で一年近く生活。 祖父母の家を転々とし、育つ。 中学時代、サッカーに熱中し、全国大会2位に。 しかし!教師をナイフで刺し、14歳で地元の暴走族「マッドスペシャル」に入隊。 地元では知らない人がいないほどの悪童に。 ヤクザ時代 15歳、中学を卒業とともにヤクザデビュー。 しかし、ピストルで兄貴分の金玉を撃ち抜き破門に。 命が狙われる生活が続く。 商売は絶好調! ポケベルの皮ケース通販。 月に3000万以上販売。 NTTから回線がパンクするから回線を増やしてくれとお願いされるほど。 シンナー、トルエン販売。 一日70万円以上。 オロナミンcの瓶に入れて販売していたが、売れすぎて蓋がプルトップ方式に変更!? 本格的に麻薬取引開始! 当時、日本になかったコカインが大当たり。 コカイン欲しさに組を潰してしまう組長がいるほどバカ売れ! さらに海外でも麻薬取引 サイパンでは覚醒剤がバカ売れ!一回の取引で数千万円のあがり。 そして27歳の時、韓国クラブのママと結婚 この結婚でママのお店に通っていた別の客とモメて命を狙われる。 最終的に指を詰める嵌めに。 29歳の時、麻薬の取引で訪れたハワイでFBIおとり捜査で捕まり懲役9年の実刑判決。 ロサンゼルスの刑務所に収監される。 捕まった当時、3億円あった資産は全てアメリカ合衆国が没収。 資産の10%がFBIが雇ったスパイの報酬に。 刑務所時代 アメリカの刑務所は凶悪度に応じて収容される刑務所が違い、5段階に分別されている。 初めて入ったロスの刑務所は凶悪度が上から2番目のレベル4.しかし、すぐに問題を起こし、レベル5の刑務所に移送される。 レベル5の刑務所では懲役888年の終身刑者が多い。 これ以上、刑期が伸びようがないので、囚人たちはちょっとしたことで、すぐに暴れる。 日本と違い、働いたら毎月給料が貰える。 毎月IDカードに入金されて、それで買い物ができる。 グッドファミリー設立。 111• 305• 178• 377• 291• 167• 149•

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苛烈なアメリカ獄中人間セッションが創り上げた到達点!『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】

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About KEI ケイについて 1961年東京生まれ。 ヤクザ時代にFBIのおとり捜査で捕まり、米刑務所・拘置所を合わせ10年以上投獄される。 ただ一人の日本人として、徒党を組まず暴れまくるも、刑務所内でチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との出会いによって人生の価値観を大きく変えた。 出所・帰国後はファッション、タトゥー、書籍、コンピレーションCD、DVD、映画などの幅広いプロデュースで、湧き上がるチカーノ・ブームの象徴的存在に。 また、米刑務所内でカウンセラーの資格を取得し、ボランティア団体「Good-Family」を設立。 現在運営するマリーナ「HOMIE Marine CLUB」では悩める子供・親たちが集まる。 著作【チカーノになった日本人 KEI(東京キララ社)】では口コミだけで1万部以上のベストセラーを達成させ、現在も増刷が続いている。 近年では【アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人(東京キララ社)】を上梓。 そして6年以上に及ぶ密着ドキュメンタリー映画【HOMIE KEI~チカーノになった日本人~】の公開を控えている。 Burned at Tokyo Nakano in 1961. His life started to go a bad way after He stabbed His schoolteacher when he was in Middle school. Since he became a Yakuza, He got a great success. As he reached success there was a set up from the FBI. Kei had to serve an over 10-year sentence in Oregon, LA prison. INTRODUCTION イントロダクション・あらすじ 親の愛を知らずに育ち、子供の頃から歌舞伎町で喧嘩にあけくれたKEI。 そんな男が現代の非行少年少女を救う。 アメリカンギャングを救う。 チカーノラップ、チカーノファッション、ローライダー、タトゥー。 家族と仲間を守るため、純愛心が国境を越える! 親からの教育も学校教育も受けなかった。 世の中の法と秩序を守るわけでもなく、自己を全うして生きてきたKEI。 そんなKEIが行き着いた所は、アメリカ刑務所だった。 マイノリティどころではない、塀の中で日本人はたったの一人。 まさに天国という所があるのであれば、ここは地獄。 弱き者は容赦なくヤラれる場所。 KEIは言う「喧嘩で負けても、殺されかけても『御免』は言えない」 この生き方を全うしたものだけが地獄から這い上がることを許される。 アメリカ刑務所の中でKEIはたった一人で最期の最後まで人に媚を売らず、死を覚悟して自己を全うし続けた。 そしてKEIは無事12年間のアメリカ刑務所生活から日本に奇跡の生還を遂げる。 子供の頃から天涯孤独に生きてきたKEIは、家族愛を知らなかった。 だから、そんなKEIの命を賭けた無謀な男気が、チカーノというアメリカで最強最大のギャンググループから信頼を得ることになる。 メキシコ人の血100%プュアブラッドしか仲間に入ることのできないチカーノギャングの世界。 その世界にKEIが仲間として受け入れられた。 まさに奇跡が起こったのだ。 そしてKEIは地獄から這い上がる。 真の家族愛・仲間愛に守られて。 出所後、帰国してKEIはまず母親との絆を修正し、自らの家族愛を取り戻す。 そして引きこもりなど問題を抱える少年少女を救済する団体「HOMIE Marine Club」を立ち上げ、現代社会へ一石を投じようと試みる。 この映画はそんなKEIの蘇生復活を遂げる半生を映すドキュメンタリーである。 KEIの人生を通して仲間とは何か? 家族とは何か? 人とのつながりとは何か?を問いかけるドキュメンタリー映画です。 【2018|日本| 5. 劇場・メディア関係者の方によるお問い合わせはよりお願いしております。

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