シリアス無言劇 変なおじさん。 「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見て甦った「鬱展開」の記憶

結晶だ!!変なおじさん [ニコニコあっぷる]

シリアス無言劇 変なおじさん

『シリアス無言劇』かと思いますが、YouTubeにあるかどうか…。 ニコニコ動画にならあるかもです。 以下Wikipediaより シリアス無言劇 コントではないシリアスなサイレントドラマ。 スタッフと飲んでいた際に志村が「人を笑わせられるなら、人を泣かすぐらい簡単な話」と豪語したことが発端となった企画で、志村にとってはスタッフ・視聴者との「勝負」であった。 志村は「コントの中に予告なく悲しいドラマを入れることで視聴者を驚かせたかった」と後に語っている。 1本あたりの時間が他のコントに比べ長く、30分弱の作品もあったが、基本的にドラマ途中にCMは挿入されなかった。 BGMには、主に宗次郎の『悲しみの果て』が用いられた。 番組後半のパートもしくはスペシャルで放送。 番組内で異色の存在だったが、番組終了までに十数本放映された。 以下に主な作品を挙げる(カッコ内は放映時間)。 このドラマはDVD各巻に1作品ずつ収録されている。 なお、「シリアス無言劇」というコーナー名は俗称であり、実際には正式名称は無い。 作品の展開としては、登場人物の一人が物語の中で死を迎えるパターンが多い。 老人(志村)が、家に遊びに来た娘夫婦(石野・田代)と孫を眺めながら、非行に走っていた娘の少女時代や、(自身がボイコットした)結婚式の時の様子、娘の出産時(志村は、雪の降るお宮の中で無事に娘が出産することを必死に祈っている)を回想する。 そしてそのまま居間で倒れ、死を迎える(8分)。 志村が片思いした女性(石野)が失明し、自分の目を犠牲にして助ける。 健康になったその女性は、志村に助けられたと知らずに別の男性(田代)と結婚してしまう(9分)。 志村と石野の若夫婦が、子供を身篭り、幸せの絶頂にいたが、出産時に石野が死去。 悲しみに暮れながらも、生まれたばかりの娘を必死に育てる志村。 十数年後、高校生になり、石野と瓜二つになった娘が、志村の為に朝食を作っている。 志村はそんな娘の姿を、亡き妻を思いながら見つめる。 唯一のハッピーエンド作品(12分)。 なお、これがシリアス無言劇の一作目である。 今年の日本シリーズで3連敗しているオニオンズ(大毎のパロディ)の監督(志村。 西本幸雄がモデル)が、選手たちを応援しながらこれまでの野球人生を振り返る。 志村は3連敗からの4連勝に向けて奮起するが、水爆打線を某するホイップス(大洋がモデル)に敗れ監督(田代)の胴上げを許す(不明)。 以下の作品は、DVDに収録されたものである。 なお、タイトルはDVD収録の際に付けられたものである。 「父ちゃん起きてよ…」 だっふんだ編DISC1に収録。 元妻(石野)とその息子が、元夫(志村)の墓参りへ行き、元妻が昔に想いを巡らす。 2人の出会いから子供をもうけたが、石野は家を出て他の男(田代)の元へ。 残された志村が一人息子を育てようと孤軍奮闘するも、アルコール依存症と過労の果てに吐血死。 元妻とは存命中に再会を果たせないままであった(20分)。 「私、本当に寂しかったんです…」 だっふんだ編DISC2に収録。 志村と石野の若夫婦は、地方から駆け落ちしてきて貧乏暮らしにも負けず頑張って、日々の生活を送っていた。 その甲斐あって、やがて生活にも余裕ができ、妻は子供を身篭ったが、それを知らない夫がクラブのホステス(河野景子)と浮気をしていることが発覚。 家を飛び出す妻。 残された夫は、部屋に残されたお産と育児の本、母子手帳を発見し自分に子供ができたことを知り、急いで妻を追いかけるも、妻は雪の中で目を覚ますことはなかった(28分)。 全作品中、最長時間の作品である。 「爺様、海へ…」 ウンジャラゲ編DISC1に収録。 老人(志村)が亡き妻(石野)の遺体の前で自分の一生を振り返る。 途中ホームコメディ風の笑いはあるものの、総じてシリアスな作り。 最後は妻の遺体を背負い海に入り、妻の後を追うかのような場面で終わる(10分)。 これとは別に、墓前でタバコを燻らせながら振り返るシーンもある。 「家族…」 ウンジャラゲ編DISC2に収録。 ある雪の降る日、ラーメン店の主人である志村は意識のない状態でベッドに横たわっていた。 その傍らには妻(石野)、息子(田代)、娘(松本)と主治医(桑野)がいる。 家族はこれまでの日々を振り返る。 自分のラーメン店を持つため、雪の降る寒い夜空の下で懸命にラーメン屋の屋台を切り盛りしていた若かりし頃のこと、努力が実を結び、ラーメン店を開店したこと、二人の子供に恵まれたことなど、家族みんなが各々の思い出に残る出来事を思い返していた(娘は父親へのプレゼントを贈った日のことや嫁ぐ日の両親への挨拶、息子は非行に走っていた少年時代、更生して社会人になり、おでんの屋台で、父と共に酒を飲んだ日のことを思い返す)。 志村は、最期に「ありがとう」とつぶやき、家族に見守られる中、静かにその生涯に幕を下ろした(18分)。 ただし、シリアス無言劇と見せかけて、途中から「変なおじさん」や「好きになった人」になる引っかけ的なコントになることもある(総集編でも放映された)。 シリアス無言劇と見せかけた「変なおじさん」の引っ掛けコントになった作品の一つとして、次の作品がある。 娘(石野)が両親のもとを離れ、都会で一人暮らしをはじめるが、父親(志村)が突然倒れてしまう。 母親(松本)からの電話を受けた娘はすぐに列車で故郷に戻る。 父親との日々を思い起こしていた娘は涙ながらに父親の無事を祈り続けたが、願いもむなしく、家に着いたときには父親はすでに亡くなっていた。 しかし、娘が父親の顔に被せられた布を取ると、父親だったはずのその人はなぜか変なおじさんになっていた。 なおこの作品では、弔問客(田代)に「変なおじさんだね」と言われ、「あっ…、それ先言うかよオメエ、そうじゃねーべ『何だチミは? 』って言わないと、『何だチミは? 』って『そうです』『何だチミは? 』って言ってくんなきゃダメだよ、なぁ、頼むよ頼むよ、なぁなぁなぁ」と反論するも「もう見ればわかるよ! 」と返される展開になっている(10分)。 このコーナーは番組内でも異色な存在であったが、視聴者には概ね好評であった。 しかし、ひっかけ的な落ちで終わるバージョンには「せっかくの感動が台無しになった」など、批判的な感想もあったという。 なお、1992年10月19日に放送された太地喜和子追悼特集のエンディングも、「シリアス無言劇」風に製作された。

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「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見て甦った「鬱展開」の記憶

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net 2020年04月29日 12時20分 3月29日に70歳で亡くなった志村けんさんは、コントを通してストイックに笑いを極めた男として知られる。 そんな彼が、90年代には「笑い」ばかりではなく、「泣き」も追求していたのは、あまり知られていない。 その集大成とも言えるのが、『志村けんのだいじょうぶだぁ』内で放送された「シリアス無言劇」と呼ばれる 一連のシリーズである。 タイトルの通り、セリフはなく、オカリナ奏者の宗次郎による『悲しみの果て』のBGMに乗せて、志村さんと、 当時の相棒として活躍していた石野陽子 現・いしのようこ がサイレントドラマを繰り広げる。 その内容は、老人役の志村さんが過去を回想しながら死を迎えるといった、切ない余韻を残すものから、妻で あった石野が自分の元を去ったため、志村さんが男手一つで子供を育てるも、アルコール中毒と過労の果てに 血を吐いて死ぬといった、救いのない展開まで多くの内容が見られた。 子供ながらに「トラウマ」となった視聴者も多いようだ。 伊集院光は志村さんの死を受けて、ラジオ番組『伊集院光とらじおと』で、この企画について語っていた。 かつて、伊集院が志村さんから聞いたところによれば、「悲劇は喜劇より上」「笑わせるのは簡単だが泣かせる のは難しい」と批判する人がおり、悔しさを感じた志村さんは泣ける悲劇コントを思い立ったのだという。 さらに笑いの中に突然、悲しいドラマが始まり、再び笑いが始まる流れも意識していた。 志村さんは笑いの作り方において、「メリハリ」を好んだ。 ナインティナインの岡村隆史にも酒の席で、「本命のネタを生かすために、捨てるネタがあっても良い」といった バランスの取り方を説いていた。 「シリアス無言劇」はまさにそうした作品と言える。 「シリアス無言劇」は長いものだと、30分近い作品もあった。 実に番組の半分を占める分量だが、視聴率が落ちることはなかったという。 それだけ志村さんの作り上げるコントのクオリティの高さが、際立っていたと言えるだろう。 net 死んだと見せかけて顔の布めくったら変なおじさんのパターンもあったよな 総レス数 96 19 KB.

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志村けんのだいじょうぶだあで、やっていたセリフのないドラマをYou...

シリアス無言劇 変なおじさん

芸名の由来は父親の名前 本名は志村康徳さんといいます。 芸名の「けん」の由来は、お父さんの名前「憲司」から。 ちなみに、学校の校長を務めるほど超真面目人間だったそうですが、お笑いを見てゲラゲラする姿を見て「お笑いってスゴい!」と思ったのがきっかけだったとか。 ちなみに憲司さんは、交通事故が原因で脳の病気になり、脳内出血が原因の認知症状が進んでしまい、ドリフターズへの道に進む前に亡くなっています。 その時の父親の姿をモデルにしたのが、志村さんの名人芸であるトンチンカンなやり取りだったそうです。 ドリフの付き人時代に、いかりや長介さんにネタ見せ ドリフターズの付き人時代から、コメディアン路線を目指してた志村さんは、付き人同士で『マック・ボンボン』を結成。 もっとも最初は『チャーミングコンビ』という名前だったのですが、 いかりや長介さんから「ちっともチャーミングじゃねぇじゃねーか!」と却下されたそうです。 看板番組ギンギラ・ボンボンを持つことに。 前の同時間帯番組は伝説のバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』ですから、どれだけ期待されてたか分かろう、というもの。 しかし、持ちネタが少ないことが仇になり、番組は半年経たずに打ち切り。 それでもコメディへの意欲は失わず、ドリフのリーダーいかりや長介さんに、ネタ作りをしては意見を求めていたそうです。 「付き人は何人もいたが、そんな奴志村だけだった」といかりやさんは後年語っていました。 窮余の策だった『東村山音頭』 荒井注さんの脱退に伴い、ドリフのメンバーに昇格した志村さん。 しかし、荒井さんの抜けた穴は大きく、新メンバーの志村さんは大苦戦。 当選、『8時だョ、全員集合』の視聴率も低調に。 しばらく、以前の傑作選でしのぎつつ、メンバーはネタの練り直しをしたそうです。 そんな時、息抜きのマージャンをしている時に志村さんが口ずさんでいたのが『東村山音頭』。 その歌詞が妙に印象に残ったいかりやさんが、3丁目の歌を追加し、もはや歌ではなくシャウトな1丁目は志村さんが作り、聖歌隊コントの締めに使ったら見事にバカ受け!! メンバーチェンジの低迷期を見事に乗り切りました。 これは伊集院光さんのラジオで話していたのですが、以前のコントではオナラの音は、ラッパのプァ〜、という音を使っていました。 かねてからレコード収集を趣味にしていた志村さんが、ある日見つけたのが「オナラの音を収録したレコード」。 様々な種類のオナラの音を専門家が録音した、というなんの目的で作られたかが分からない「珍盤」なのですが… こりゃいい、と早速購入してコントに使ったところバカ受け! それ以来、あのリアルな「ブッ」「ブリブリ〜」というリアルな音がコントで定着したそうです。 私はあまりに当たり前すぎて、意識してませんでしたが、西部劇コントでよく使われていた「最初はグー!」が子供たちに定着。 もはや全員集合を見たことない世代でも知る定番となりました。 在日米軍も大ファン これはご自身の自伝『変なおじさん』より 志村さんがある時、在日米軍の兵士から「お前アメリカ行けよ!仲間はみんな大ファンだぞ!!」と言われたとか。 もちろん、向こうは日本語はあまりわかりません。 しかし、志村さんの笑いってなんで、アメリカ人にも受けるのか? 女優の太地喜和子さんは志村さん演じる「ひとみおばあさん」のファンで、それっぽく見えるのが志村さんのすごいところ、と生前よく話していました。 偉くなったらオシマイ 志村さんが『バカ殿』で共演していた東八郎さんに「いい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのでしょうか?」と尋ねたことがあるそうです。 当時の子供達に衝撃を与えた「サイレントシリアス劇」シリーズ オカリナの悲しげなメロディが流れながら、セリフは一切なく、オチもなし。 当時子どもの私はポカン…たまたま一緒に見てたお袋が涙目になってた… 後でコレが『伊集院光日曜日の秘密基地』の情報捜査コーナーで明らかになったところによると… 飲みの席で、「泣かせる」と「笑わせる」のどちらが難しいか?となった時、志村さんは笑わせる方だ!と断言。 じゃ、今度泣かせられるかどうか番組でやってみよう、となったのがこのコーナーだったそうな… ただ、何回かやってたら視聴者も慣れてくるので、途中までシリアスにしておいて、オチに変なおじさんが登場!という「視聴者の裏をかく」パターンも登場しました。

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