雪 の いと 高 う 降り たる を。 枕草子~雪のいと高うはあらで~

枕草子『雪のいと高う降りたるを』現代語訳

雪 の いと 高 う 降り たる を

枕草子「雪のいと降りたるを」 問題 枕草子「雪のいと降りたるを」 問題 雪のいと高う降りたるを、 A 例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして、集まり候ふに、「 B 少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ。 」と、仰せらるれば、御格子上げさせて、 C 御簾を高く上げたれば、 aQ. 1 笑はせ給ふ。 人々も、「さることは知り、歌などに D さへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。 なほ aQ. 2 この宮の人には、さべきなめり。 」と言ふ。 (第二百八十段) 問1 A 例ならず御格子参りてから、いつもだったらどうであると推測できるか、簡潔に記しなさい。 という言葉は、誰の何という作品を踏まえたものか。 時代は、前・中・後期まで答えること。 1 aQ. 1 笑はせ給ふから、誰のどういう気持ちが読み取れるか。 30字程度で記しなさい。 advanced Q. 2 aQ. 2 この宮の人には、さべきなめりとは、誰がどうだというものか、わかりやすく記しなさい。

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枕草子 香炉峰の雪 清少納言、 定子、イラスト

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枕草子 香炉峰の雪 清少納言、 定子、イラスト 香炉峰の雪 枕草子 雪のいと高う降りたるを 清少納言 と 中宮定子 イラスト 絵 イラストつき随筆 清少納言枕草子 雪のいと高う降りたるを 例ならず御格子まゐりて 炭櫃に火おこして 物語などして集まりさぶらふに 「 少納言よ 高炉峰の雪 いかならむ」 と仰せらるれば 御格子あげさせて 御簾を高くあげたれば 笑はせ給う。 人々も「 さることは知り 歌などにさへ歌へど 思いこそよらざりつれ。 なお この宮の人にはさべきなめり」といふ。 雪のいと高う降りたるを 例ならず御格子まゐりて 炭櫃に火おこして 物語などして集まりさぶらふに 「 少納言よ 高炉峰の雪 いかならむ」 と仰せらるれば 御格子あげさせて 御簾を高くあげたれば 笑はせ給う。 人々も 「 さることは知り 歌などにさへ歌へど 思いこそよらざりつれ。 なお この宮の人にはさべきなめり」 といふ。 「イラスト工房ユニ 」 へようこそ 雪の多く降り積もった日のことでした。 いつもと違って格子を降ろして炭びつに火をおこして、 皆で色々おしゃべりをしている時でした。 定子様が 少しいたずらっぽい ご様子で 突然お尋ねになったのです。 「少納言。 香炉峰の雪はいかならむ? 」 私は答えないまま、 ひとに格子を上げてもらいました。 それから 雪景色が見えるように 自分の手で すだれ を高く持ち上げたのです。 定子さまは お笑いになりました。 他の人たちが 「 香炉峰の雪は簾を上げて看る という漢詩の古典は知っているけれど、 黙って簾を上げるって気が利いてるわ。 定子さまのお側には 本当にふさわしい人だわ 」 って言ってくれました。 私 もう嬉しくて嬉しくて。 <枕草子 第二百九十九段 より> 他愛ないエピソードのようですが、 敬愛する 定子 の笑顔を得て、 しかもその面前で他の人たちに褒められた嬉しさで 書き残さずには いられなかったのでしょう。 枕草子にたびたび登場する 中宮定子 は千年もの間に数多くの 定子ファン を生んできました。 ( 中宮は ちゅうぐう と読み天皇の正室つまり后のことです。 定子は普通は ていし と読みますが さだこ と読まれることもあります ) 権力者 藤原道長の娘 彰子の入内以来、 不遇に追いやられながら 常に明るく優しい笑顔を絶やさず 仕える人たちに慕われる人でした。 清少納言は不遇におかれた定子には胸を痛めなかったはずはありません。 しかし定子については 明るい光の中で微笑んでいる姿しか 描いていないのです。 この段は 格子などを下ろして建物内は暗かったけれど きっと外の明るく美しい雪景色を見たかった定子の意を察して格子を開け 簾を上げた清少納言の機転 と解されることが多いようです。 つまり 定子と知的なやりとりを交わして嬉しかった とか 自分の機転を他の人の言葉を借りて自賛した とか しかしそうではなく 定子のために出来るだけ明るく面白く振舞って 定子の館の雰囲気を少しでも明るく盛り上げよう と懸命につとめる清少納言の姿を表している と解釈すべきではないでしょうか。 だた この段が書かれた時期は不明とされます。 定子生存中なのか 死去後の回想によるものかはっきりしません。 299段なので後期の作だとも考えられますが。 定子はさまざまな不幸に左右された人ですが そのことに胸を痛めながら 定子のために出来るだけ明るく振る舞う清少納言の姿として解釈しました。 < 枕草子について > 清少納言が文を残し始めたのは 仕えていた中宮定子から当時は高価だった 料紙 を下賜されたことが直接のきっかけとされます。 この定子とはまるで運命的な出会い で定子なくしては枕草子は生まれなかったのです。 さまざまな理由があって定子は不遇に置かれることになります。 清少納言は中宮という身分にふさわしくない 古びた館に追いやられるなど政治的ないじめにあう定子を守りたてながら共にに戦い、その定子が若くして死去するまで忠勤をつくし孤軍奮闘する のです。 清少納言が勝気な言動をするのは 不遇の中宮を守るためには自分が強く闊達に振舞わざる得なかったためと考えられます。 仕える定子のことや自身のことも 悲しくつらいことは一行も書けない ということからそう考えられるのです。 わざと書かない というよりも とても書けないのです。 現代でも日記を書く人の中にそんな人は少なくありません。 楽しいことや嬉しいことばかりを書き残して 悲しくつらいことは一行も書けない という心の弱い人です。 著者が 表面的な振る舞いはともかく 繊細で心に弱い一面を持つ人だったことが 枕草子が千年以上も多くの人達に読み続けられる不朽の名作 となったゆえんではではないでしょうか。 イラストはコピーフリーです。 リンクを歓迎します。

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学習指導案 矢口景子

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解説 雪の夕暮れ、雪明かりの中で、仲よしどうしが火鉢を囲んで、しみじみ語り合うのは実に趣深い。 夜もややふけたころ、風雅を愛する男性が、ふいと、そしてさりげなく雪見舞いに来てくれる。 そして簀子に腰をおろして、雪をながめながら夜明けまで語り合い、詩句などを口ずさみながら帰ってゆく。 そんな風情は実にすばらしい。 こういう人が交ってくれると、女たちだけよりは、一段と興趣が加わるものである。 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二、三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたに火もともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるも、をかしきも、言ひ合はせたるこそをかしけれ。 宵もやや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見いだしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやり聞こえながら、なでふ(ナジョウ)ことにさはりて、その所に暮らしつる。 」など言ふ。 「今日来む」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。 昼ありつることどもなどうち始めて、よろづのことを言ふ。 円座(わらふだーワロウダ)ばかりさしいでたれど、片つ方の足は下(しも)ながらあるに、鐘の音なども聞ゆるまで、内にも外にも、この言ふことは飽かずぞおぼゆる。 明け暮れのほどに帰るとて、「雪何の山に満てり。 」と誦(ず)したるは、いとをかしきものなり。 女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさま、など言ひ合はせたり。 読解の要点 第一段落・・・「いと……で」は部分否定の表現で「それほど……ではなくて」の意。 なお、「下ながらある」は、下(=地面)にたらしたままでいる、の意。 第四段落・・・「女の……ざらましを」は解釈上も内容考察もむずかしい。 口訳 雪がそう高くは積もらずに、うっすらと降ったのなどは、実に趣が深い。 しかしまた、雪がたいそう高く降り積もった夕暮れ時から、縁側近くで、よく気の合う女房たち二、三人ほどと、火鉢をまん中に置いていろいろお話をしているうちに、暗くなってしまったけれども、こちらには明かりもつけないのに、あたり一面に積もる雪の光が、たいそう白く反映している、その中で、火ばしで灰などを、何ということもなく掻きまわしながら、しみじみとした話であれ、明るく楽しい話であれ、お互いに話し合ったりするのは、ほんとうにおもしろい。 もう宵も過ぎてしまっているだろうかと思われるころに、沓の音が近くに聞こえるので、《今時分どうしたのか》変だなと思って外を見ると、時々こうした場合に、思いがけなく訪ねてくる人であった。 《その人は》「今日の雪を、どう《ごらんになっていらっしゃるだろうか》と推察申しあげてはいたのですが、たいしたこともない雑事に妨げられて、どこそこで一日を送ってしまいました。 」などという。 《例の》「けふ来む(人をあはれとは見む)」などという歌の心を《もちだして、「私をあはれとみてください。 」と》ほのめかしているのであろう。 《さてその男は》昼のうちにあったいろいろな事などをはじめとして、さまざまな事を話す。 円座だけはさし出したが、《上がろうとはせず、縁に腰をかけて》片方の足は地上におろしたままなのに、夜明けの鐘の音なども聞こえる《時分》まで《いて》、内にいる女房たちも、外にいるこの男も、この話合うことは興が尽きない気持ちがする。 )と吟じたのは、《周囲の情景にふさわしく》まことにおもしろいものである。 女だけでは、このようにすわって話し明かすということはできなかったであろうに、《せっかくの雪の夜を、女たちだけで》平凡に過ごすよりはおもしろく感じて、風流な様子《で、とてもすばらしかったよ》、などと《あとでみんなで》話し合った。

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