白洲次郎 家系図。 白洲信哉 第1回 「伝記が書かれるたびに身長が伸びて、とうとう185cmになった祖父・白洲次郎の思い出」(島地 勝彦)

白洲家(東宝東和社長・白洲春正・白洲次郎の家系図・子孫)

白洲次郎 家系図

「日本のプリンシプル」の虚言と我欲に塗れた実像 誰がどんな思惑で、このウソツキ野郎を礼讃するのか 鬼塚ノンフィクションが暴く、昭和の闇 白洲次郎が彼の死後にどうして復権してきたのか。 それは、不利益な歴史を消去し、一般大衆を洗脳し、自分たちに都合のよい歴史を創作しようとする不埒な連中がいるからである。 本書第三章より 白洲次郎がなぜ、今の時代にもてはやされるのか。 私たち日本人が失ってしまったものを彼が持っていたという情報が与えられ、それが真実味を帯びているからに他ならない。 では、それは本当に真実なのか。 この本の中で、白洲次郎の真実とされている諸々の既成事実の奥に潜む仮面を、一枚一枚と剥がしていく。 読まれる方は「まさか! 」と思われるかもしれない。 読者には、白洲次郎なる人物を通して、日本の知られざる現代史を知ってほしいと、私は心から願っている。 本書「序として」より [目次] [はじめに]白洲次郎とはいったい何者なのか [第一章]白洲次郎の不思議な青春 [第二章]ジャーディン・マセソンに狙われ続けた日本 [第三章]ヨハンセン・グループと白洲次郎 [第四章]虚言に飾られた白洲次郎の人生 [第五章]新憲法制定と公職追放での白洲次郎 [第六章]白洲次郎のダーティーな金脈 [第七章]売国者ジョン・ジローの落日 [終わりに]白洲次郎、吉田茂から遠ざけられる 戦前や戦後の首相たちにフリー・メイソンがおり、またCIAの工作員もいたという驚くべき調査報道がなされる。 白洲次郎も長い英国生活の中でフリー・メイソンやMI6の要員に育てられたのであろうか。 彼は吉田茂と共に日本の国益よりも英米の国益のために動く。 ゾルゲや尾崎秀美は処刑されたが吉田は逮捕のみで釈放されている。 ヨハンセングループは軍部の情報や国家戦略を英米の駐日大使を通じて最大限漏洩する。 太平洋問題評議会にも陸、海の首脳陣が参加している。 開戦後東京や大阪が空襲爆撃を受けて灰燼に帰することも彼らは事前に知っていた。 陸軍は昭和通商を通じて上海でアヘン貿易を英国と行い莫大な利益を得る。 白洲もこの密貿易に英諜報機関と共に関与している。 米国は石油禁輸を日本に対して行っていたが、この昭和通商はパナマ経由で国際石油資本から石油の密輸を請け負っている。 敵国と密貿易を行いながらその敵国と交戦する奇妙な戦争形態である。 著者は戦争とは談合でありビジネスと結論する。 英米のスパイとして働いた褒賞として吉田は公職追放を免れ首相に成れたのである。 岸も中曽根も、正力も緒方竹虎もCIA要員であったという。 日本の戦後は米国の属国として出発した。 白洲は常にイラン系ユダヤ人として行動したのであろうか。 ジャーデン・マセソン商会と香港上海銀行から莫大な金融支援を受けていたに違いない。 彼は坂本龍馬と同じく英国が送り込んだ英国諜報部員だったのではないか。 著者には世界や日本の裏面史に関する多くの著作があるが、その手法は、内外の膨大な公開資料を駆使して、「公認の歴史」から隠された真実を明らかにすることにある。 資料を吟味し、出所不明の情報を使用せず、したがって読者が検証可能という点で、怪しげな「陰謀本」とは一線を劃している。 あたかも、ジグソーパズルの散らかったピースを丹念に拾い集めて元の絵を再現するのに似ている。 インテリジェンスの本道といえる。 ピースが埋まらない空白は残されているが、少し離れた位置から眺めると、紛れもなく歴史の全体像が浮かび上がってくる。 本書の主人公はひと頃、「占領軍に反抗した唯一の日本人」などと持て囃された白洲次郎である。 著者は、上記手法を駆使して、次郎が戦前・戦後と一貫して国を売ることで莫大な金をせしめ、贅沢三昧の人生を過ごした悪辣な男であったことを浮かび上がらせる。 次郎だけではない。 本書は、明治維新以来現在に至るまで、日本の支配者のほとんどが、「コンプラドール」、つまり植民地において宗主国のために自国民の財産や命を売り飛ばし、それにより金と権力を独占する「売国ブローカー」であったという悲しむべき歴史を浮かび上がらせている。 次郎はその中でも、悪辣さにおいて代表クラスであったことは、少数ながら次郎の正体に気付いた同時代人が書き残している。 これら売国ブローカーたちは、自らや取り巻き連により、「真の愛国者」「宗主国と闘った英雄」などという意識的なプロパガンダを行ない、神話化してしまうのが常である。 明治維新から150年、敗戦から70年の今、売国ブローカーたちの捏造した歴史から目を覚ますべきである。 本書は、白洲次郎の生涯を丹念に辿り、周辺人物も含めて、売国ブローカーとしての悪事の数々を暴き出している。 まず、次郎の出生について著者は、次郎の父が神戸女学院の外人女性教師に生ませた子供ではないかと疑っている。 原理主義的でウェットな所が一切なく、虚言癖が特徴の次郎の個性からして非常に興味ある説といえる。 売国ブローカーとしての次郎は、英国の貿易会社ジャーディー・マセソン商会に入社し、オーナーのジョン・ケズウィックの信頼を得たことから始まる。 以後、次郎には戦前戦後を通じて、マセソン商会の影が付きまとう。 本書によれば、白洲次郎の三大悪事は、アメリカと日本の二重スパイとして、日本軍の真珠湾攻撃の「成功」を仕掛け、アメリカ軍の東京大空襲および原爆投下を問題なく遂行できるようラジオ放送で手引きしたことである。 これらはヨハンセン・グループ(吉田反戦グループ)として、吉田茂や天皇およびその側近を巻き込んで行われたものである。 敗戦後処理にも次郎は「大活躍」した。 満洲に取り残された民衆を遺棄しようと目論んだこと、GHQに取り入り、吉田茂のA級戦犯解除や、電力会社分割にまつわる利権獲得など、陰謀と悪事の限りを尽くしている。 数多ある「白洲次郎礼賛本」はこれらのダーティーな部分には一切触れていないか、事実を捏造している。 評者が興味を持ったのは、吉田茂・白洲次郎と下山事件(1949年7月)の関わりである。 柴田哲孝『下山事件-最後の証言』は、祖父が事件の関係者であることから、柴田氏が事件を詳しく再調査したものである。 この柴田本によれば、吉田茂や白洲次郎が、事件の主謀グループのアジトと考えられるライカビル内の亜細亜産業にしばしば出入りしていることが目撃されている。 本書では、この柴田本も引用しつつ、当時の国鉄総裁・下山貞則は、電力業界への見返り資金(アメリカの援助物資を国民に売却した代金)導入に強く反対していたが、これは財界を後ろ盾にした吉田・白洲らには極めて不都合だったので、彼らによって消されたのでないか、と推理している。 もちろん実行グループは、ダーティーの極みである矢坂玄を総帥とする亜細亜産業に巣食う旧軍関係者たちである(第六章)。 傾聴に値する説といえる。 戦後日本が、対米従属を国是とする官僚・政治家・財界・マスコミ・御用学者たちに支配された「官僚主権国家」であることは、民主党政権崩壊(特に小沢氏・鳩山氏への攻撃)、東京電力福島第一原発の事故の経緯、沖縄・辺野古の米軍基地新設問題などで、もはや誰の目にも明らかである。 本書は、過去も現在も、自らの利権や欲望のために日本をアメリカに売り渡し続けている「売国ブローカー」たちが跋扈する国であるという悲しむべき事実を告発している。 現在、アメリカ軍の下請けのために「戦争法案」を成立させようとしている政治家・官僚の面々は、間違いなく仮面をかぶった現代の「コンプラドール(売国ブローカー)」であるといえる。 本書は、プロパガンダの塊である「公認歴史」を信じることなく、事実を積み上げて真実を知ること、そしてそのことにより現在進行中の政治経済社会事象の本質を見抜くことの大切さを教えてくれる本である。 著者のアプローチは二次資料の徹底的な読み込みです。 二次資料は著者独自のユニークな視角からもう一度、それが語るもの、語らないものを含めて再吟味されていきます。 著者の狙いは自分のオリジナルなテーゼの証明にあるので、証明に資するものは徹底的に利用され、そうでないものは無視されることになります。 無視されたものをつかむ取ることは一般の読者には不可能です。 さていったい何が本書では「証明」されたのでしょうか。 英国での留学生活中での日本人との接触の記録がない。 白洲の自身の係累との限られた関係。 占領時代の彼の役割への過大な評価。 信じられないほどの収入と明らかではないその出所。 繰り返される不思議なジョブ・ホッピングと数々の洋行。 こういったところでしょうか。 白洲正子との不思議な夫婦関係。 出生の「秘密」の解き明かしや白洲次郎の容貌の秘密の解明は、小話としては、推理小説張りに魅惑的なものですが、つまるところは証明不可能です。 描かれるのは、明治以来日本のエスタブリシュメントの一部をしめる買弁たちの姿と存在です。 買弁たちは、つまるところダブルエージェントなのです。 究極のところ誰が誰をだましているのか。 その構図は不明です。 時代によりどちらにも接近できるのが買弁の強みです。 でも貿易や数々の戦費調達の必要性から国際金融のネットワークから離れて存在することのできなかった日本が、明治の初期以来この種の存在を必要としたのは厳然たる事実です。 経済的な利益だけを追い求めて買弁をしているうちはまだ害が少ないのですが、頭脳までもが、買弁的な思考に毒されてしまうと、その先に待ち受けているのは、同胞日本人への見下ろした視線(宣教師的!!!)と思考崩壊です。 庶民の日本人たちはこのような買弁たちに一面憧れそしてそこに胡散臭さを本能的に感じ取っていたはずです。 白洲正子が戦後に、多額の金を使いながらも日本の伝統美を様々な形で探し求め、それを記録の形で残したのは、この抜けることのできないおぞましい買弁という構図への皮肉な抵抗だったのかもしれません。

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白洲信哉 第1回 「伝記が書かれるたびに身長が伸びて、とうとう185cmになった祖父・白洲次郎の思い出」(島地 勝彦)

白洲次郎 家系図

撮影:立木義浩 <店主前曰> 白洲信哉の祖父は、英国仕込みのダンディズムの象徴とも崇められているあの白洲次郎である。 また祖母は"わびさび"を語らせたら天下一品のエッセイストとしていまも女性たちに人気のある白洲正子だ。 もうひとつおまけに、母方の祖父は泣く子も黙る文芸評論家の泰斗、小林秀雄である。 もしもわたしがこれだけのきら星のような遺伝子をもらって生まれてきていたらどうしただろう。 大きく重たいプレッシャーに耐え切れなくなって自殺していたかもしれない。 ところが白洲信哉本人は、風のなかの羽のように自然体で悠々と、いまどき珍しい"高等遊民"的な生きかたをしている。 料理を作れば玄人も顔負けするほどの凄腕である。 長身でイケメンの遺伝子はもろに次郎おじいちゃまから譲り受けたものだろう。 大学生のときに考古学の発掘に目覚めたのは小林秀雄おじいちゃまの遺伝子なのか。 子供のころから美味を食べ慣わされ培われた上質な舌を武器に、よく食の旅に出るのは白洲正子おばあちゃまの遺伝子なのだろうか。 男の最高の幸せは女にモテることよりもDEN〈隠れ家〉を持つことであるとわたしは常々思っている。 わたしも小さな男の隠れ家"サロン・ド・シマジ"を持っているが、白洲信哉はそれより数倍大きなDENを所有して客人をもてなしている。 しかもそこで自ら料理を作って遇するのである。 今回はいつもの狭い部屋から、ゆったりとした白洲信哉のDENに移動してネスプレッソ・ブレークタイム対談をやることになった。 長身の立木義浩巨匠もいつになく張り切っている。 そして対談が終わったら、白洲信哉が自らの手によるスッポン料理でもてなしてくれるという。 考えただけで唾液がコンコンと湧いてくるではないか。

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樺山家(海軍大臣・樺山資紀・樺山愛輔の子孫・家系図)

白洲次郎 家系図

確かに、食べ過ぎてはいけない。 しかし、食べないと、命が支えられない。 やはり、人間は、賢く食べなければならない。 自分が本当に好きなものを、適量だけ食べる。 それができれば、ダイエットという命題と、美食という命題の、バランスをとることができるのではないでしょうか? その意味で、私の「師匠」といえるのが、白洲信哉氏( 写真1)であります。 白洲信哉さんは、日本文化や、 骨董 ( こっとう )、美食にたいへん造詣が深い。 それもそのはず、白洲さんのおじいさん、おばあさんは、白洲次郎氏、白洲正子氏、そして小林秀雄氏! 小林秀雄さんの娘さんが白洲夫妻の息子さんと結婚されて、生まれたのが白洲信哉さん。 いわば、日本文化の「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」のような家系に生まれていらっしゃるわけであります。 小学生だった白洲信哉少年は、白洲正子さんとしばしば旅行に出かけたそうです。 「祖母は、宿に帰ってくると、よく、その日のことを、原稿に書いていましたよ」と白洲さんは言います。 そんな、子どもの頃からの自然な「英才教育」を受けた白洲さん。 その後、自らの独自の境地も切り開いて、いろいろな意味での私の「先生」です。 白洲さんとは、この十年くらい親しくさせていただいていて、一緒にトークショーなどをする機会もあります( 写真2)。 そして、さまざまな「白洲家の流儀」に接するわけですが、「なるほど!」と感心させられることも多いのです。 一食一食に根拠 ここで、みなさんに改めてご質問ですが、みなさんは、毎日の食事を、どれくらい真剣に選ばれていますか? 私の場合、「習慣」で食べている部分も多いように思います。 朝が来たから朝ごはんを食べる、お昼が来たから昼ごはん、夕食が来たから夕ごはん、というように。 白洲信哉さんを見ていると、そんな感じに「いいかげん」には食べていません。 極端なことを言えば、一食一食に根拠がある、理由がある、そんな食べ方をするのです。 「白洲家の流儀」は、本当に自分が好きなものを、徹底して食べる。 その際、お酒も 嗜 ( たしな )む(笑)。 その、「好きなもの」の吟味の仕方が、どこか尋常ではないのであります。 写真3 白洲さんは、時々、自ら料理をしてふるまってくださいます( 写真3)。 たとえば、イカを干したものとか、 鱧 ( はも )とか、あるいは肉を焼いたりとか、吟味した食材を自分のやり方で出してくる。 そのような食材に舌鼓を打ちながら、お酒を楽しむわけですが、決して、あれもこれも、と雑多な食材をテーブルに並べることはありません。 多くても3品くらいのものを、満足が行くくらいにたくさん出す。 肉ならば、一人ひとりが、もう食べられない、たくさんだ、というくらいに出す。 その一つひとつが 美味 ( おい )しい。 しかし、それ以外のものには目もくれない。 そのような、ひたむきでまっすぐな食への視線が、「白洲家の流儀」なのであります。 白洲さんのやり方に、私も最初は戸惑いましたが、そのうち、確かに理にかなっていると思うようになりました。 自分が美味しいと感じているかどうかに関係なく、惰性でものを口に運ぶよりも、吟味した、本当に好きなものを食べると、脳も喜ぶし、身体にもいい。 逆に言えば、いかに私自身が、ふだん、食に対していいかげんな態度でいるかということを、反省させられるのです。 健康な食としても参考に 白洲さんとは、時々旅をすることもありますが、その際驚かされます。 宿屋で、よく出される、たくさんのものが並んだごちそうが、白洲さんは余り好きではないようです。 ほとんど手を付けないこともあります。 聞いてみると、要するに、自分が本当に好きなものがない、ということのようなのです。 そのかわり、気に入ったものがあると、目を輝かして、もっとないのか、たくさん食べたいとおかわりをする。 時には、店の主人に調理法の注文をつけることもあります。 一度、松山市で 寿司 ( すし )屋さんに入ったとき、ふぐの皮を湯通ししたものを細く切って出されました。 私はうまいうまいと食べていましたが、そこは白洲信哉さん、ただでは食べません。 「うまいね」と言ったあと、調理場に、「この、ふぐの皮、そのままペロンと持ってきてください。 大きなままで食べたいから」と注文をつけました。 店のご主人も、そこまで食材を愛してくださるのなら、とかえってよろこんでいただいて、本当に、ペロンとしたふぐの皮が出てきました。

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