伊之助本名。 鬼滅の刃

【鬼滅の刃】嘴平伊之助(はしびらいのすけ)の正体とは?│獣の呼吸

伊之助本名

こんにちは坊主です!! 今回は、『野内五雄(のうちいつお)』氏を取り上げます。 野内氏といえば、大相撲の立行司「40代式守伊之助(しきもりいのすけ)」としてその名前を広く知られています。 またこの「式守伊之助」というのは大相撲の立行司の称号であり、東の正横綱に相当する「木村庄之助(きむらしょうのすけ)」(最高位)に次ぐ2番目の地位であり、西の正横綱に相当しています。 野内氏は、2013年11月場所より、40代守伊之助を襲名し、2018年1月現在まで立行司を務めています。 この事について、2018年1月6日に配信された『日刊スポーツ』は次のように報じてます。 若手行司は精神的にショックを受けているが、 警察に被害届を提出する考えはないという。 (中略) 聴取した際の話として、 式守伊之助は 「泥酔していたので覚えていない」 「自分は男色の趣味はないので、 なぜこのような行為をしたのか分からない」 などと述べていることも発表された。 果たしてその噂は事実なのでしょうか? そこで今回は、ネット上で噂されている事について調査してみました。 果たしてその噂は事実なのでしょうか? しかし、大相撲協会は2018年1月13日に臨時理事会を開き懲戒処分を検討すると報じられてます。 この事について、2018年1月13日に配信された『サンスポ』は次のように報じています。 伊之助は12日、 東京・両国国技館に協会執行部の尾車事業部長(元大関琴風)、 春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)らを訪ねた。 (中略) 協会幹部によると、 立行司による不祥事には厳しい意見が出ており、 出場停止を含めた重い処分が検討される方向。 協会の懲戒処分は重い順から 「懲戒解雇」 「引退勧告」 「降格」 「業務停止」 「出場停止」 「報酬減額」 「けん責」。 同紙が掲載している通り、2018年1月13日に大相撲協会は臨時理事会を開き、野内氏の処分を検討すると報じられています。 しかし、2018年1月13日14:00現時点で野内氏の処分の発表されていません。 野内氏の処分が発表され次第、随時記事を追記いていきます。 追記 日本相撲協会は、野内氏を3ヶ月の出所停止処分を下したと発表しました。 また野内氏はすでに辞職届を提出しており、処分が明ける5月場所後に受理するとも報じられました。 この事について、2017年1月13日17:04に配信された『東スポ』は、次のように報じています。 出場停止中は自宅謹慎を課し、 その間は無報酬となる。 伊之助は前日(12日)に相撲協会へ辞職願を提出しており、 処分が明ける5月場所後に受理する。 スポンサーリンク 式守伊之助(本名:野内五雄)の結婚歴や家族(嫁,子供)は? 今回の不祥事で世間の注目を集めている野内氏ですが、ネット上では私生活についても感心が集まっています。 野内氏は、私生活を公表しているのでしょうか? そこで私生活を調査しましたが、野内氏は私生活を一切公表していませんでした。 その証拠に野内氏のWikipediaや大相撲協会の公式サイトにも家族に関しての記述はなく、不明となっています。 しかし、野内氏の年齢(58歳)を考えれば、すでに結婚しており、子供が居ても不思議ではありません。 また一部個人ブログでは、野内氏は独身であると掲載しているものもあります。 しかし、野内氏は私生活を公表していないため、このような情報を断定する事は出来ません。 詳細な私生活が公表され次第、随時記事を追記していきます。 スポンサーリンク 式守伊之助(本名:野内五雄)の給料や年収! 今回の報道で世間の注目を集めている野内氏ですが、やはりネット上では給料や年収について関心が集まっています。 そこで野内氏の給料について調査したところ、以下の事が判明しました。 行司の給料は、大相撲協会で定められた月給制であり、各行司の能力・成績ならびに勤務状況によって変動するとされています。 この事について、ウェブサイト『財団法人 日本相撲協会寄附行為施行細則』には以下のように掲載あれています。 (平成七年一月一日改正) 昇給は、 年一回とする。 行司の給与は本俸・手当とする。 二、本俸は、 当分次の基準により、 各人の能力・成績ならびに勤務状況に応じて、 理事長が決定する。 序ノロ行司以下 月 14,000円より 20,000円未満 序 二 段行司 月 20,000円より 29,000円未満 三 段 目行司 月 29,000円より 42,000円未満 幕 下 行司 月 42,000円よリ 100,000円未満 十 枚 目行司 月 100,000円よリ 200,000円未満 幕 内 行司 月 200,000円より 360,000円未満 三 役 行司 月 360,000円より 400,000円未満 立 行 可 月 400,000円より 500,000円まで 手当は、 各人の能力・成績・勤務状況ならびに物価、 社会状勢等を勘案し、 理事長が決定する。 初任給は、 当分次の通りとする。 同サイトが掲載している通り、上記のような給料となっています。 そして野内氏は、立行司を務めている事から月収40万円から50万円未満であり、年収480万円から600万円である事がわかります。 また各種手当てが付く事から、上記に記した金額を上回る事もあります。

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きめつのやいば(鬼滅の刃)伊之助の素顔や過去は?面白い言動にもチェック!

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日馬富士の暴行問題に続き相撲界にまた不祥事? ちょっと珍しい種類のスキャンダルが飛び出しました。 大相撲の行司の最高位 であり、 力士でいうと横綱に相当する立場である 立行司 の40代 式守伊之助 しきもり・いのすけ さんが、 10代の若手行司にセクハラ行為をした ことが明らかになりました。 若手行司は、 もちろん男性です。 報道によると、 セクハラ行為の詳細は下記の通り。 冬巡業中の2017年12月16日、 伊之助さんは宿泊先の沖縄のホテルで夕食中に泡盛で 泥酔。 泥酔した伊之助さんを部屋まで送っていった10代の若手行司に対し、 キス を数回し、 胸部に1度触れた とのことです。 若手行司はショックを受け謝罪を要求、 伊之助さんはすでに謝罪したということです。 日本相撲協会は今後臨時理事会を開き、 懲戒処分 を検討する方針とのこと。。。 長い大相撲の歴史の中でも、 おそらく初めての出来事ではないのでしょうか? スポンサードリンク 40代 式守伊之助 しきもり・いのすけ 本名 野内五雄 1959年12月23日 大阪府岸和田市生まれ 血液型 A型 行司名 式守吉之輔〜木村吉之輔〜11代式守錦太夫〜40代式守伊之助 所属 宮城野部屋 式守伊之助さんは1959年生まれの現在 58歳。 本名は 野内五雄 さんというそうです。 27代木村庄之助さんの弟子。 木村庄之助さんが所属していた立浪部屋は行司の数が多く、 一門の 宮城野部屋 に入門したそう。 初土俵は1975年3月場所。 その時の行司名は 式守吉之輔 で、 1978年1月場所で 木村吉之輔 に改名。 現在は 木村庄之助・式守伊之助の2名跡の襲名者のみ となっています。 2005年9月場所で伊之助さんは 幕内格行司 に昇進。 2006年1月に 11代式守錦太夫 を襲名し、 2011年11月場所で 三役格行司 に昇進しました。 2013年11月場所 で 40代式守伊之助を襲名。 幕内格行司昇進からわずか8年、 54歳での立行司昇進は異例の若さだそうです。 2015年に37代木村庄之助さんが定年退職し、 現在は立行司1人体制。 今回の不祥事は、 そういった過酷な状況も影響しているのでしょうか。。 ? スポンサードリンク 式守伊之助 10代行司へのセクハラの動機は? 報道によると、 伊之助さんはセクハラ行為に関して、 「泥酔していて覚えていない」 「自分は 男色の趣味はない ので、なぜこんなことをしたのかわからない」 と話しているとのこと。 若手行司は10代とのこと、 こういう言い方はちょっと変かもしれないですが、 肌のツヤもよく、 いってみれば「ピチピチ」なのではないでしょうか? もしかしたら泥酔した伊之助さんには、 若手行司が可愛い女の子に見えたのかもしれないですね。。。 2018年がスタートし、 一般社会では新年会など酒を飲む機会も多いかと思います。 今回のこのニュースを知って、 改めて酒って怖いなと思いましたね。。。 我を忘れない程度に楽しくほどほどに、、が一番ですね。。

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式守伊之助の給料や年収・昇進や昇格は?仕事内容や軍配・本名を調査

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Contents• 行司の苗字は「木村」と「式守」以外にはあるの? 大相撲における行司と言えば、 木村庄之助と式守伊之助の2人を思い浮かべる事が かなり多いのではないかと思います。 では、こうした 行司の苗字は 「木村」と「式守」以外には存在しているでしょうか。 江戸時代までは、 相撲司家の宗家である吉田司家の他に、 全国に「行司家」というものが多数存在しました。 例えば、現在残っている木村家と式守家の他に、 五条家・吉岡家・尺子家・一式家・岩井家 木瀬家・鏡山家・長瀬家・服部家などと、 その他多数の行司家がありました。 しかし、 現在は、木村家と式守家しかなく 行司は相撲部屋に所属する形を取っているので、 一門や部屋によって、 木村家か式守家かが既に決まっています。 ですから、 入門時にどこの部屋に入ったかによって、 木村家と式守家のいずれを名乗るかが この時点で既に決まる事になります。 行司も力士と同様に、 入門当初は自身の本名を名乗ることが多く、 年を経て経験を積むにつれ、 先輩の行司名を名乗る事が許されます。 そして更に経験を積み重ねると、 昔からある由緒正しい行司名、例えば、 「木村容堂」「式守錦太夫」などに代表される 多数ある行司名跡の中にある行司名を 名乗る事が許されるようになる訳です。 そして、そのまま三役格行司まで進み、 その後、立行司の式守伊之助、 木村庄之助と順に昇格していくことになります。 スポンサードリンク 行司の最高位「立行司」と、木村庄之助と式守伊之助の違いとは? 行司の最高位は 立行司格であり、 この立行司は行司の横綱のようなものです。 そして、 行司の東の横綱とも言われるのが「 木村庄之助」 西の横綱が「 式守伊之助」という具合になります。 木村庄之助になるには、式守伊之助を経て、 木村庄之助が空席になった場合に、式守伊之助が 次の木村庄之助に昇格するという仕組みになっています。 2015年3月場所で37代目の庄之助が引退し、 その位を襲名できる者がいないため、 現在、木村庄之助は空位となっています。 なお、木村庄之助の持つ 軍配の房は紫、 そして装束も紫の菊綴じを着用しています。 そして、左腰には短刀を、 右腰には印籠を下げています。 行司の横綱こと木村庄之助ですが、 代々伝わっている軍配が2本あるそうで、 1本には表裏それぞれに 「 知進知退 随時出処」 「 冬則龍潜 夏則鳳學」 と記されているのだとか。 もう一方は白檀で出来ており、その各面に、 牡丹と唐獅子の彫金が施されているそうです。 なお、行司は 軍配を右手で持つのが原則なのですが、 木村家はその握り方が手の部分が下になります。 これに対し、式守家の軍配の握り方は、 手の向きが木村家とは逆向きになるという 違いが見られます。 また、通常、木村庄之助以外の行司は 1日2番を裁くことになっていますが、 庄之助のみ、本場所においては、 結びの1番のみを裁くことになっています。 これに対し、 式守伊之助の方は、 三役格行司が昇格して伊之助を襲名します。 式守伊之助の軍配の房は紫白、 装束も紫白の菊綴じを着用し、庄之助と同様に、 左腰には短刀、右腰には印籠を下げています。 伊之助が裁く番数は、三役格行司以下と同様で、 1日2番の取組を合わせています。 また、式守伊之助にも、 代々受け継がれてきている軍配が1本ありますが、 そこに記されている文字の読み方は不明だそうです。 先代の伊之助は軍配差し違え等の問題がありましたが、こうした事が起らないよう、頑張って欲しいなと思いますね。 スポンサードリンク まとめ:行司の苗字:木村と式守の違いについて 以上のように、 現在の行司家名は木村家と式守家のみであり、 その最高格の立行司が、 木村庄之助と式守伊之助となります。 相撲を観るにあたり、式守伊之助や 今は名乗る者がいない木村庄之助にも 注目して見てみると、何か新たな発見があったり、 相撲の異なる面が見えてくるかも知れませんね。 関連記事(一部広告含む) 行司名ですが大阪相撲、京都相撲入れるとを木村、式守以外の名前も明治、大正まで残っていましたね。 京都は吉岡が有名です。 有名なのはは吉岡一学。 大正の声とともに消滅。 大阪相撲は岩井家が残っていましたね。 昭和の初めに東京と合併消滅) ご存知かもしれませんが明治の中期ごろまでは木村家と式守家は全く別で、それぞれのトップが庄之助(松翁ってのもいるけど)、伊之助です。 わずかですが庄之助の上に来た伊之助もいます。 (明治6年ごろ、第6代伊之助。 唯一庄之助の後に裁いた。 番付面では他にも庄之助より上の伊之助も二人いたかな?) 木村家の行司さんが式守家の行司さんの養子になり、両家を名乗ったのが始まりで、伊之助から庄之助になります。 そのご伊之助から庄之助になるのが一般的になります(例外もありますが。 (昭和初めから30年代初めぐらいまで) 紫房になったのも明治時代からのようですね。 江戸時代は朱房が最高位。 力士も横綱は地位ではなかったので、明治の初めごろまでは力士の最高位は三役。 そこで行司さんも最高位は三役格で大関に匹敵と認識されていたようです。 (大関も三役)。 明治時代は足袋に草履を許された朱房行司にさらに紫房が免許されたようです。 伊之助になったから紫とはならなかったと思います。 初代梅ケ谷の天覧土俵入り 明治17年)を先導した木村庄三郎」は今でいうと立行司格(当時立行司という概念はなかったかもしれない。 )ですが錦絵を見る限り朱房ですね。 たぶん明治中期以降立行司が発明されたと思いますが、庄之助」、伊之助以外の立行司や立行司格も結構います。 木村庄三郎、木村玉之助、木村瀬平、木村誠道、木村進など。

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