えま おうが す 炎上。 エリーコニファーが謝罪文を?前世は誰?アンチスレの破壊や炎上も!

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えま おうが す 炎上

敗者の当然ながら、 直義 ( ただよし )の三河落ちはみじめであった。 ついに、ここでは直義も進退きわまったとみてか、 「腹掻き切って、 左兵衛 ( さひょうえ )ノ 督 ( かみ )(兄尊氏)どのへお詫びせん」 といったのを、 「何の、ここはお討死の つぼにあらず。 いかなる恥をしのんでも、生きてこそ」 と、今川 範国 ( のりくに )のいさめに思いとまって、苦闘に苦闘をつづけ、やっと川を渡りえたとつたえられている。 だがこの段はさて、どんなものだろうか。 直義の性格として、めったに斬り死にだの自害だのとは言いだしはしまい。 もし事実なら、おそらくまわりの将士にさいごの決意を奮わすための指揮者の血相をみせたまでのものではなかったか。 なぜなれば、彼には、彼の身ひとつ以上な重任が考えられていたはずである。 また、べつに淵辺をやッて、このどさくさ 紛 ( まぎ )れに、大塔ノ宮を暗殺せしめたなどの、直義がとった処置をみても、惨敗の中でこそあれ、彼はなかなか狼狽などはしていない。 そして要するに、彼の胸にあったのは、長いあいだのもどかしさを、宮 弑逆 ( しいぎゃく )の一事にかなぐり捨て、つねに政治的に、またつねにじれったい、兄の態度をして、いやおうなしに明確な反朝廷へとここで引きずりこんでしまおうとする彼一流の 強引 ( ごういん )な腹だったにちがいない。 とまれ、手越河原の難はからくも 脱 ( だっ )しえたが、 矢矧 ( やはぎ )までまだ四十里ほどはあった。 ここは郷党の地だ。 即、足利方の勢力範囲といっていい。 直義は、みだい所の登子の身をひとまず一色村へあずけ、また成良親王は、そのまま兵をそえて都へお送りし奉った。 そしてひたすら兄尊氏の下向を待ちつつ、また一面、奪回された鎌倉を、さらに再度奪回するの策やら準備におこたりなかった。 一方、都の空では。 つとに敗軍の報がひっきりなしに朝廷へも六波羅へもはいっていた。 まだ、直義の鎌倉放抛とまでは聞えないうちからである。 尊氏は、 「あぶないもの」 と、はやくも形勢を察し、みずから 赴 ( い )って、直義を 扶 ( たす )けたい旨を、再三、朝廷へ奏請していた。 しかるに朝廷では、これにたいして、断じておゆるしを 降 ( くだ )さなかった。 もっとも、尊氏が朝廷へ願い出ていたのは、ただたんに、 「こと火急。 鎌倉は無勢。 みずから 馳 ( は )せくだって弟直義をたすけねば」 というだけのものではなかった。 同時に、このさい、 征夷 ( せいい )大将軍 総追捕使 ( そうついぶし ) の 印綬 ( いんじゅ )を自分にたまわりたいと、あわせて、 請 ( こ )うていたのである。 だが、 「もってのほかな!」 とする廷臣の強硬な反論のあろうことぐらい、彼が想見していないはずもない。 知りつつ持ちだした奏請なのだ。 尊氏も引くいろではなかった。 つまるところ、窮極は天皇の御採否一つにかかる。 おそらく叡慮をなやまされたことであろう。 征夷大将軍 は武家最上の任である。 それを尊氏にゆるすのは、かつての鎌倉将軍家の格式を彼に与え、幕府再建をみとめることにほかならない。 一日一日、日はすぎた。 朝廷はゆるさず、六波羅はうごかず、ただ東の、敗報ばかりが、矢つぎ早であった。 するうちに、鎌倉の放抛、直義の敗走、つづいて大塔ノ宮がその幽所で何者かに殺されたなどの取沙汰も聞えて、都じゅうは容易ならぬ 風騒 ( ふうそう )の中におかれだした。 そうした八月一日。 朝廷は発表した。 そしてまた、尊氏の野望をも、これをもって 塞 ( ふさ )ごうという窮余の封じ手だったのはいうまでもない。 「殿は」 高 ( こう )ノ 師直 ( もろなお )はいま、どこからか、馬で六波羅へ飛んで帰って来たばかりである。 例の 廂 ( ひさし )ノ 間 ( ま )で、一ト汗拭いて、やがてのこと、 薔薇園 ( しょうびえん )の書院のうちに、ぬかずいていた。 「いや、その儀は、いましがた、ほかの筋から耳に入っておるよ。 かさねて、そちから聞くにもおよばん」 尊氏は言った。 いつもの尊氏とかわりもない。 いささか拍子抜けのかたちである。 師直は、また出る顔の汗を懐紙でそっと叩きながら、それとは離れて、とっさに言った。 「いよいよ、お腹の決めどきでございまするな。 朝廷がわのご態度はさだまりまいたで」 「いまさら何を」 尊氏はうすら笑って。 「そちには、用が多いぞ。 いつでも廂ノ間へひかえておるようにいたせ。 かかる折、執事のそちがどこへ行っておった」 「てまえならではなるまいかと存じ、 佐女牛 ( さめうし )まで一ト 鞭 ( むち )あてて 行 ( い )てまいりました」 「道誉の許か」 「さようで」 「よく気がついた。 気がかりはあの男のうごきにある。 いたか」 「おりませぬ」 「参内か」 「でもございませぬ。 はや佐女牛は無人同様で、昨夜、国元の伊吹へひきあげたと、留守の者が言いおりまいた」 「奴。 さすがだな」 「そして、この一書を、足利殿へと、あとの家臣に託して行ったよしにござりまする」 文面を一読、尊氏は苦笑をみせ、それなりで黙っていた。 「殿」 と、師直は膝をすすめ、 「道誉が何を書き残しておりますので」 「見るがよい。 そして、わしの東国 出勢 ( しゅつぜい )を、途中の伊吹にてお待ちせんとも書いておるのだ」 「はアて?」 師直はうめいた。 誇張したあきれ顔をその下に作って。 「まだ、ご当家の出勢は 布令 ( ふれ )てもいず、朝廷もまた例の、殿がお願いの件を、おきき入れはなく。 ……いやその 奏請 ( そうせい )は蹴られて、征夷大将軍の任命は、成良親王へご決定と、公布がみられたばかりなのに」 「道誉は早耳だ。 すでにその内定を、きのうのうち、知ったのだろう」 「それにしても、殿のご意中もようたださず、伊吹へ帰って、ご軍勢の通過を待つなどという先廻りは」 「よくいえば、機を見るに 敏 ( びん )なやつ。 悪くいえば抜け目ない横着者だ。 が、よかれあしかれ、彼が二心なしといってきたのは、大きな幸せ。 ……さもなければ、尊氏はここで 這奴 ( しゃつ )に のど首をしめられねばならなかった。 たとえどう膝を 屈 ( くっ )しても、道誉の機嫌をとって味方に迎えねば、うごきのつかぬところであったよ」 「ではやはり?」 「師直。 きょう中にあらゆる準備をぬかりなくすましておけ」 「ご発足は」 「明朝、あかつき」 「そして、朝廷へは」 「そのままでよい。 お届けにはおよばん。 再三、お願い出ではしてあるのだ。 ……のんべんくらりと、 御命 ( ぎょめい )の降下を待っていたら、東国の様相はそのあいだに一変してしまうだろう。 さもあらば、とり返しはつかぬ」 事実、尊氏はいま刻々にそれが案じられていた。 これは、尊氏として、坐視できない。 武士の不平は、彼にすれば、彼のいだく大望の理想楼閣をきずく良材なのだ。 味方なのだ。 その 素地 ( したじ )を、北条再建軍にうばわれては、彼の立脚する所はなくなる。 かつは、朝廷としても、ここまできた北条討滅の意義は霧消してしまう。 尊氏は、しいて自分の行為に、そう理由づける。 直義 ( ただよし )とちがい、彼には暴を暴と知ってはできない思慮があった。 朝廷度外などの不逞は 敢 ( あえ )てなしえないのだ。 あくまで彼のなかには朝廷への崇敬があり、上への越権は気にかかるらしい。 にもかかわらず、彼は師直へ、無断離京の準備を命じた。 ひとつには、望んでいた征夷大将軍の補任が 外 ( はず )れた 業腹 ( ごうはら )もあったが、なによりは弟直義を見殺しにはできないとする情があった。 分別顔に似ず、情には 奔 ( はし )るほうなのである。 明けて、八月二日は、空もようまでが、ただならなかった。 颱風期 ( たいふうき )である。 どこか遠国で大荒れをしているのだろう。 近畿いったいは強風だった。 都の朝も 雲脚 ( くもあし )の迅い明滅をしきりにして、加茂川の 戦 ( そよ )ぎがそのまま大内裏の木々をも 轟々 ( ごうごう )とゆすっていた。 「あれ、 御簾 ( みす )が」 「 蔀 ( しとみ )が」 と、殿上でも、 舎人 ( とねり )や 蔵人 ( くろうど )たちが風にもてあそばれ、てんてこ舞いな姿だった。 雨のないのがまだ見つけもので、木の葉まじり、大屋根の 檜皮 ( ひわだ )までが空に黒いチリのつむじを描きぬいている。 こんなところへの 頻々 ( ひんぴん )な取沙汰だった。 「朝まだき、暗いうちに、足利の 宰相 ( さいしょう )(参議)をはじめ、六波羅じゅうの 勢 ( せい )は、東へ立った」 「はや六波羅には、武者らしきものはひとりもいぬと申す」 「総勢千七、八百騎とか」 「いやいや、それが大津越えにかかる頃は、尊氏を慕うてあとより追っかけ加わる 勢 ( せい )もおびただしく、いつか三千余騎にもなっていたという」 「いずれにせよ、尊氏は、八座の宰相の身にありながら、君恩もわすれ、朝命も待たいで、無断、 東下 ( とうげ )をあえてしたことは確かとみゆる」 「不忠不逞な臣」 「断乎たる御処分な 降 ( くだ )されねばあいなるまい」 公卿口の 姦 ( かしま )しさ。 殿上いずこの 間 ( ま )でも廊でも 紛々 ( ふんぷん )たる 騒 ( ざわ )めきである。 公卿ばかりでない。 新田、名和、結城などの武臣も、ひっきりなしの参内だった。 「皇威にかかわります。 勅使を立て、尊氏の意をただすべきでございましょう。 もちろん、尊氏は理くつをならべ、朝命に 畏 ( かしこ )みますまい。 そのさいは、ぜひもございません」 忠顕は言った。 すでに直義は東国でやぶれた敗残の将、尊氏は六波羅をすてて途中にある無拠地の旅軍、これを追ッて討つのは容易だともいうのだった。 「だがの」 ここは待たれよ、とする上卿たちの声もつよい。 彼の無断 東下 ( とうげ )が、さまで不逞不忠な罪といえるだろうか。 朝命を待たず戦争におよんだ例は、古来、たびたびある。 尊氏のこんどのばあい。 尊氏からいわせれば、そうも主張できようか。 こんな論議のうち、いつか 午 ( ひる )すぎてもいたのに、 「在京の武門、あまたな武士ども、足利宰相のあとを 慕 ( した )い、なおぞくぞくと都を離れ出て行きます」 と、刻々その動揺ぶりは宮廷内へも聞えてくる。 すでにその頃、尊氏は瀬田大橋もこえ、彼の東下の軍勢は、 野分 ( のわけ )の 爪 ( つめ )あとのひどい稲田を途中に見つつ近江路を急いでいた。 「えらい風」 と、尊氏はつぶやいた。 従う三千余騎もみな風の中である。 歩兵はヨレヨレに 縒 ( よ )れてあるいた。 「吉良。 追い風だな」 「は。 西風で」 「舟にも似て、風を負って行くゆえ、駒も軽い」 「 得手 ( えて )に 帆 ( ほ )とやら、お 門出 ( かどで )は上々吉です。 が、野分のあとを見てくると、東へ行くほど、荒れがひどいようですが」 「途中、 崖 ( がけ )なだれや出水のさまたげに会うかもしれん。 ……しかし従う面々がこの意気なら何ほどのことでもない」 尊氏が「意気」と言ったには、ふくみが聞える。 吉良貞義は、ふと他の面々を見まわした。 なぜならば、その誰もが、兄や弟や、我が子らを、東国の空においていたからで、 生きているやら? はや死者のかずか と、口にこそ出さないが、急へ 赴 ( おもむ )く悲壮ないろが、しぜん、たれの眉にもあったのだ。 行く行く兵は増すばかりで、翌々日、近江番場へかかったとき、引田妙源は尊氏へ 「お供の軍勢はもう四千をかぞえまする」 と、告げていた。 もとより深い頼みにはならぬ 烏合 ( うごう )だが、ばかにならない数にはなる。 やがて、不破ノ関は近い。 柏原 ( かしわばら )ノ宿場だ。 ここには約束の佐々木道誉が、約をたがえず、自軍を立て並べて待っていた。 尊氏の姿を見ると、道誉は、宿場の一陣屋から立ち出て来た。 そしていつもの 倨傲 ( きょごう )な彼とは別人のように、腰ひくく、 「 御着 ( ごちゃく )。 お待ち申しあげておりました」 と、臣礼をとって、 「軍旅のお疲れもやと、あれにご休息の用意をさせおきまいてござりまする。 ……いかがでしょう。 しばしお 憩 ( いこ )いあっては」 と、誘いかけた。 「いや」 と尊氏は、 鞍上 ( あんじょう )のまま。 「知っての通りだ。 直義の安否も気づかわれる矢さき、このまま行こう。 御辺もすぐつづいてまいられい」 「もとより伊吹の手兵一千、挙げて参陣の心ぐみで、これにひかえておりましたなれど、寸時、彼方の陣屋の内で、このさい会うてお上げなされてはいかがなものと愚考しますが」 「会うてやれと? 誰に」 「ご一子、 不知哉丸 ( いさやまる )さまに」 「…………」 「また、藤夜叉どのとも。 ……いやその藤どのは、名をかえて、いまでは 越前 ( えちぜん )ノ 前 ( まえ )と申しあげ、以後ずっとお変りなく、伊吹の城に、今日を待っておられました。 ひと目会うておあげなされませぬか」 尊氏はふと胸をさいなまれた。 道誉の言によれば。 藤夜叉は、越前ノ前と名をかえて不知哉丸とともにつつがなく伊吹の城にいるという。 あれいらい三年になる。 不知哉丸もはや十三か。 その母子をわすれているどころか尊氏は自己のおかした罪業のつぐないをいつかは果たさねばならぬものとして日頃にも悩んでいた。 けれど実の子や妻とも一つにいられぬほどな時局だった。 大望の達成までは、家庭や身辺の犠牲はやむをえないとあえて顧慮から忘れようとしていたのである。 彼はわざと非情を顔に作って道誉へ言った。 「いや、御辺の親切気はかたじけないが、この日において、申さば、つまらぬ もてなしというものよ。 さし 措 ( お )いてもらいたい」 「では、ご対面は」 「いたすまい」 「ふたりは、がっかりするでしょう。 ここを御通過ときいて、ひそかにお会いがかなうかと、愉しんでいたふうですから」 「いまはそんな時ではない。 いかに先をいそぐ身かは、御辺がよくわかっているはず」と、言い捨てた。 引田妙源」 と、ほかを見て呼び、軍の編成について早口にいいつけた。 「ここから加わる佐々木の伊吹兵一千は、二の備えに組み入れろ。 すぐ行くぞ。 二の陣について来い」 軍命として言った彼のことばは、個人を超えたひびきで、もうそれに、私事をさしはさむ余地などなかった。 従来の佐々木道誉も、 麾下 ( きか )の一部将としてしか扱っていず、またそれ以上には眼の中においてもいない尊氏なのだった。 「はっ」 と、道誉は 唯々 ( いい )として去って、中軍から次の隊伍に加わった。 それの編入にやや手間どったが行軍はすぐつづけられ、前隊はもう不破ノ関を通過していた。 その 間 ( かん )。 おそらくは 不知哉丸 ( いさやまる )と越前ノ前は、柏原の陣屋のほとりか、寺院の門の蔭にでもいて、よそながら尊氏の通過を見ていたかもしれなかった。 しかし尊氏の眸にははいらなかった。 またその眸は、それをさがしていたような風でもない。 行軍は、出水のあとや、まだ水カサのひかない川の渡河になやんだ。 が、ようやくのこと、京都発足いらい七日目の八月八日、三河国に着いた。 「お見えか」 待ちかねていた 直義 ( ただよし )は、 矢矧 ( やはぎ )の陣所から 八橋 ( やつはし )まで出て、兄尊氏の全軍を迎えた。 相互、無量な感であったろう。 そして翌九日。 尊氏、直義の兄弟軍は、もうそこを発して、ただちに鎌倉へさしていた。 鎌倉を 奪 ( と )りかえした北条遺臣の寄合軍は、統一上、 御先代の軍 と、みずからを 称 ( とな )えていた。 その先代軍は、 「必定、敗北した直義の次に来るものは尊氏!」 と見、うらみかさなる尊氏、目にものみせんと、遠江からひがしの要所要所に陣地を構築して、備えには、おさおさ怠りなかったのである。 だが、先代軍の大将、名越式部 大輔 ( だゆう )がまず、橋本(浜名湖附近)の序戦にやぶれた。 つづいてまた敗れ、その総なだれを初めとして、 佐夜の中山合戦 駿河の高橋縄手(興津附近) 箱根越の山いくさ 相模川渡河戦 片瀬、七里ヶ浜 鎌倉口 と、敗走に敗走をかさねた。 足利方は、要害七ヵ所七度のたたかいも、ついぞ負け色をみせず、行くところで勝ち、十九日、尊氏の馬は、もう鎌倉の内へ突き入っていたのである。 連戦わずか十日だった。 この迅さ強さにみても、このときの足利勢が、いかに気鋭新鮮な、いわゆる風雲児の下に引率された軍であったかが察しられる。 道誉でさえも。 といってしまうと、彼は弱い凡将のようだが、彼の天分は別な面にあって実戦場ではむしろ 狡将 ( こうしょう )と呼ぶべき方の者だろう。 その道誉でさえも、このときばかりは必死な目にあって働いた。 いや働かされたといってよい。 それは、相模川の合戦の日であった。 敵は、遠江から退いた名越式部の死にもの狂いな兵を中心に、伊豆の伊東 祐持 ( すけもち )や、三浦、 諏訪 ( すわ )などの新手を加え、頑強にふせぎ戦って一歩もひかない。 このとき、尊氏が、 「ここはよい。 ここはよいから上野(太郎頼勝)の隊と、仁木(三郎太義照)の隊は、川の 上 ( かみ )を乗り渡せ。 また、佐々木(道誉)の隊は 下流 ( しも )を渡って、無二無三、対岸の敵の腹背に出ろ」 と、軍令した。 これはきつい令である。 決死隊にほかならない。 道誉は心で、ほかに足利 譜代 ( ふだい )の将も多いものをと、 「ちッ」 と、思ったがぜひもなかった。 馬筏 ( うまいかだ )を組んで、 敢然 ( かんぜん )たる渡河戦の先陣を切った。 もとより河中では矢ぶすまを浴び、対岸へ斬りこんでからも、たくさんな犠牲を出したのはいうまでもない。 従軍はしても、彼は自分が子飼いの伊吹兵は、これを極力大事にして、武功と取り換える消耗はつねに巧く逃げている。 「……尊氏め、それを知って、おれを今日の難場に使ったな」とは思ったが、しかし彼の上には 勝鬨 ( かちどき )が沸いていた。 悪感情もたちまちそれに吹き消されていた。 こうして彼は、今川頼国と並んで、海道 下 ( くだ )りの二大将となり、鎌倉口まで先陣をつづけたが、しかしその道誉には、上野と仁木の二部隊が付いていた。 軍監として、彼を督戦していたのである。 とまれ、鎌倉はまた、足利方の下に 回 ( かえ )った。 先代軍の 脆 ( もろ )さは案外というしかない。 北条時行以下、各地へ四散し、ふたたび元の残党境界の陽かげにひそんだ。 この先代軍が鎌倉を占領していたのはわずか二十日間に過ぎなかったので、世上これを「二十日先代ノ乱」といった。 これで、鎌倉の地は、高時いらい、わずかな年月に、四たび 主 ( あるじ )をかえたことになる。 義貞 ( よしさだ ) 直義 ( ただよし ) 先代軍の北条時行 そして、今からはまた、尊氏が事実上の「鎌倉殿」たる座にすわった。 さきに直義がいた二階堂御所は手 ぜまなので、さっそく、若宮小路に新邸が造営された。 といっても全体の落成ではない。 とりあえず一部を 普請 ( ふしん )し、あとは昼夜兼行の 鑿 ( のみ )や 手斧 ( ちょうな )の音だった。 人々はそこを、いつか、 大御所 と呼んだり、将軍御所といったりした。 世上ではこんどのいきさつを知っている。 なるほど尊氏は将軍 宣下 ( せんげ )を求めていたが、朝廷はそれを拒否して、他の宮へ征夷大将軍を与えてしまった。 のみならず、朝議はその後、おかしな 叙任 ( じょにん )を尊氏へ贈っていた。 尊氏が、無断、都を発したあと朝議 紛々 ( ふんぷん )の結果ではあろうが、追っかけに、彼が 矢矧 ( やはぎ )についた日の頃、 征東将軍ニ 補 ( ホ )ス との沙汰をとどけていたのである。 征夷大将軍でないべつな官称だ。 これなら尊氏が幕府を再建するものとはならない。 しかも似ている。 という姑息な慰撫であったのだ。 尊氏は笑っておうけしたが、直義はあとで、なぜ御返上しなかったかと、ひどく腹を立てたことだった。 だから、似て非なる征東将軍でも、将軍御所にはちがいない。 また大御所と呼ぶのも不当ではなかった。 けれど尊氏はそんな実のない敬称によろこんでもいず、また無頓着なほうでもあった。 そしてこのさいは、諸将の功にむくいる行賞などの方にむしろ興味があったらしい。 彼は、尻尾を振ってよろこぶ者を見るのが第一の好きらしく、余りに気前がよすぎるほどだった。 それが過ぎて、すでに朝廷で没収していた旧北条遺領や、新田義貞が受領した土地までを、 麾下 ( きか )の将につい 頒 ( わ )けてやってしまったほどである。 直義をよく叱るが、やり過ぎは、彼にもある。 それと彼は、降伏者には寛大だった。 峻烈に斬る者は斬る。 たいがいな旧怨も忘れ顔で助けてしまう。 先代軍の余類からも少なからぬ降人があったなどは、しぜんそんな風評が武士間にあったからにちがいなかった。 こうしたうちに。 都からは、ゆゆしい勅使の下向と聞えてきた。 やがて、 詔 ( みことのり )を奉じてきた 御使 ( みつかい )は、中院ノ 源 ( げんの )中将 具光 ( ともみつ )で、こういう朝命の 降 ( くだ )しであった。 「東国の逆乱もすみやかな 静謐 ( せいひつ )を見、相共によろこばしい。 さっそく将士の軍功の 施与 ( せよ )は、 綸旨 ( りんじ )の下に、朝廷で 宛 ( あ )て 行 ( おこな )うであろう。 されば尊氏には、一日も早く帰洛し、六波羅にもどって、逐一の報告を親しく上聞に達しおわられよ」 時局も時局である。 しかも、勅の旨は、 尊氏みずから、すみやかに、上洛あるべし という厳命だ。 勅使中院ノ 具光 ( ともみつ )は、おごそかに尊氏へ伝達してから、個人的なくつろぎに返って、 「いやなに 宰相 ( さいしょう )。 即答はごむりであろ。 何かと周囲むずかしい御多端も拝察に難くない」 と、言い足した。 そしてまたいうには、一族間の御協議などもおありであろうゆえ、両三日のことなら逗留してお待ち申すもよい。 とにかく、明確なご返辞をえて帰洛したい、と釘を打つのだった。 「こころえてござりまする」 尊氏は、旨を拝した。 それなり沈黙におちている。 中院ノ具光がじっと観るところ、なにさま、尊氏の心中は困惑そのもののようにうかがわれる。 くるしげな彼の立場と腹の中が鏡にかけてみるようにわかる気がするのであった。 ややあって、尊氏は、こころもち胸をただした。 さしうつ向いていたうちに、その苦渋を顔から 除 ( と )っていたのか、はしなく具光の眼と見あった眸は、 細 ( ほ )ッそりと 笑 ( え )みを描き、頬の薄らあばたまでがこの人特有な 茫 ( ぼう )とした愛嬌をたたえて、何の 屈託 ( くったく )顔でもなかった。 「いや両三日が間は、旅のおつかれを休め、まためったには東国への御下向もありますまいから、鎌倉あたりの御見物もなされませい。 ……それにせよ、尊氏が返答 如何 ( いか )にと、重き 御使 ( みつかい )を胸につかえておられたのでは、心から 東景色 ( あずまげしき )もお楽しみのお眼には入るまい。 その儀はどうぞ 御安堵 ( ごあんど )あって」 「では」 と、具光は意外そうに。 「お召には、否やなく、ご承諾と仰せられるか」 「勅。 なんで否やがありましょう。 さきごろ、みゆるしも待たず、急遽、六波羅を出てまいりましたのも、もしその果断を取らなかったら、今日の勝利もなく、尊氏は弟直義を失い、都は北条遺臣軍の包囲を見、天下の再乱、君のおん大事は必至と、憂えられた以外、何の私心でもございません」 「ごもっともじゃ。 さればその儀については、君もさらさら、お咎めではおわしまさぬ。 そればかりか、 其許 ( そこ )の功を 嘉 ( よみ )せられ、征東将軍の称を贈って、宰相の心をなだめようとさえしておいであそばす」 「もったいないことでした。 不肖尊氏にたいする君の御優遇には、いつも心のそこからありがたいとおもっております。 乱麻 ( らんま )の時代、権謀の多い君臣の内外。 時には、叡慮にもそむき、また時には、お気にくわぬ 自恣 ( じし )もあえて振舞う尊氏にはござりますが、正直申せば、僭上ながら自分は当今のみかどを、比類なき英君なりとあがめておる。 そして主上もこの尊氏をかくべつお目かけて下されいるものと、 鴻恩 ( こうおん )、忘れたことはありませぬ」 「ううむ、おことばのまま、ようおつたえ申しあげよう。 いかばかりおよろこびか」 「されば、 御使 ( みつかい )なくとも、 夙 ( つと )にわれから上洛すべきでしたが、戦後なお鎌倉は 乱離 ( らんり )の状です。 なにとぞ、ここ数日のご猶予をばお願い申しあげまする」 勅使の中院ノ 具光 ( ともみつ )は、 「これで安心いたした」 と、ひとまず宛てがわれた饗応屋敷へ引きとった。 そして尊氏からは、 いつ上洛するか の日取りを、数日中に答えることになったのだった。 そのあいだの饗応役は、高ノ師直。 これは適任であったろう。 がしかし。 勅使下向のその日から、どことはなく全足利党は殺気立っていた。 朝廷から何をいって来たのか。 その難題とは何か。 そこの饗応屋敷をめぐって険悪な臆測をさまざまにし、あたかも敵国の軍使でも迎えたかのような反抗気分さえあるのだった。 「万一でもあっては」 と、尊氏は上杉 憲房 ( のりふさ )をして、勅使の宿所から一町四方を警固させた。 それほどな動揺の中にであった。 「あとはたのむぞ」 と、尊氏は今、大御所の広間に居ながれた一同へ向って、 「ぜひなく自分は、勅を 畏 ( かしこ )んで 早々 ( そうそう )に上洛いたす。 君もお待ちかねとの勅使のおことば。 何はおいても、 罷 ( まか )らねば相なるまい」 と、言っていた。 どうしようと 諮 ( はか )る評議ではない。 決意を告げ渡していたのである。 「…………」 弟の直義。 以下、細川和氏、仁木、今川、一色、畠山、 斯波 ( しば )などの重臣から、そして佐々木道誉までが、たれひとり尊氏の言をそのまま胸にうけ容れたらしい顔つきでない。 沼のような沈黙がつづくだけだった。 こうなると直義以外には一族の気もちを率直に口に出せる者はなかった。 「 宰相 ( さいしょう )」 と、彼も兄弟としての馴れなどはどこにも示さず、 重々 ( おもおも )しく、その 頭 ( かしら )を下げて。 「仰せではありますが、このさいの御上洛などは、もってのほかと存じられます。 何とでも辞を構えて、ここはお断り申し上げておかれますように。 ……一同もひとしく同じ憂いに相違ございませぬ。 いや、問わずもがな。 揃って、お見合せのほどを、こうお願いつかまつッておりまする」 すると尊氏は、 「いや」 と、刎ね返すように、きっぱり言った。 「そうはまいらん。 ほかならぬ勅のお 召 ( めし )、またも違勅をかさねては 畏 ( おそ )れ多い」 「ですが」 「ならんのだ、そこが」 「そこがと仰せられますが、しかし、時にもよれ、勅にもよること」 「直義」 「は」 「一同へも、かさねていう。 すでに拝諾の旨は、勅使へお答え申しあげてしまったのだ。 上洛なせば、堂上こぞって尊氏を 指弾 ( しだん )し、身の申し開き 如何 ( いかん )を問わず、万々の 御譴責 ( ごけんせき )はあるだろう。 ……が、わしは天皇の 御寵恩 ( ごちょうおん )にそむき奉ることはできぬ。 このまごころをもって 咫尺 ( しせき )にお訴え申しあげてみるつもりなのだ。 おそらくは君もおわかりくださることと思う。 ……な、直義。 また一同もそれの結果をおとなしく待て。 かまえて妄動しては相ならんぞ」 「では、どうありましても」 「む。 上洛は変更し難い」 「いや私どもは、何としても、お止めせいではいられません。 断じてお止めいたしまする!」 「いうな、直義」 尊氏は叱った。 直義が黙ると、仁木、今川、細川、みな口を揃えて、 「何とかお考え直しを」 と、上洛の危険を説き、尊氏の決意を 諫 ( いさ )めてやまなかった。 佐々木道誉も、おなじ見解で、 「このさい、もしご上洛あらば、必ず義貞の要撃をうけて、天皇への御拝顔をとげる以前に、千種 忠顕 ( ただあき )らの 罠 ( わな )におちいるものと、お覚悟あらねばなりますまい。 なぜなれば」 と、ここで彼は知るかぎりな公卿間の内情をかたった。 在京中には、千種や新田とも、つきあいよくつきあっていた道誉である。 そのことばには、耳をかしていいものがある。 すでに、尊氏要撃の 企 ( くわだ )ては、大塔ノ宮いらいの根深い計であり、今とて変更されているはずはない。 むしろ、宮の遺臣やその勢力は、義貞の下に編入され、打倒尊氏の計画は、義貞を中心に一ばい強大になっているだろう、と道誉はいう。 そのほか、幾多の悪条件をかぞえて、極力、道誉も 諫止 ( かんし )した。 けれど、尊氏はいぜん、うなずく風もなかった。 そしてかえって、留守中のさしずなどして一同を退がらせた。 「なにとぞ、ご賢慮を」 ぜひなく、一同は退出まぎわの一言に 一縷 ( いちる )をつないで退きさがったが、しかしこれで安らげるはずもない。 その夜、またあくる日と、この面々は直義の 下御所 ( しもごしょ )に寄合って、どうしたら朝廷の難題をのがれうるか、また、尊氏を思い止まらすことができるか、直義を中心に、 鳩首 ( きゅうしゅ )、談合の様子だった。 その果てとみえる。 直義はただひとりで、一夜、下御所から兄の大御所をおそくに訪ねた。 「はやおやすみの時刻、あすにゆずろうかと思いましたが」 「いやまだ寝るにはちと早いから頼春(細川)を相手に 碁 ( ご )でも打とうかといっていたところだ。 そちが来たのなら酒でも 酌 ( く )もうか」 「いえ、ちとおはなしもございますから」 「なんだの」 「そのご、何かよいお考え直しがおつきでございましょうか。 直義 ( ただよし )もそれのみが苦慮され、一同もひたすらお案じ申しあげている次第ですが」 「上洛の件か」 「はい」 「あれなりだ」 「あれなりとは」 「鎌倉の留守の方がむしろ心配でな。 ご勅使への返答も迫っておるが、出発の日取りだけがつい決めかねておる」 「兄上」 「なんだ」 「ではまだお迷い中なので」 「迷ってはいない。 一同の案じるところもよくわかっているが、勅命、 畏 ( かしこ )んで行くしかない。 上洛ときめているだけだ」 「ばかな!」 直義はついに張りつめている胸のものを破って、兄の、まともに 瞠 ( みは )った眸へ向って、 挑 ( いど )みかかった。 「勅が何ですっ、勅が。 勅とあれば 兄者 ( あにじゃ )には、そんなにもありがたいのか。 そむけないものなのか。 兄者は近頃、どうかしてしまッている!」 尊氏は、 屹 ( きっ )と、きつい 厳 ( きび )しい顔をしてみせた。 「…………」 ものはいわず、それはただ兄の顔になりきっている。 直義にはつねに、 公 ( おおやけ )の兄なる人と、私の兄とが意識無意識にくべつされていた。 兄弟 ( ふたり )にして一人にひとしい骨肉感が濃厚に彼の血のうちで何をいおうと恐れはないような勇を想起させていた。 がしかし、一瞬だけの反逆だった。 いつまで、ものもいわぬ兄の眼に、直義はつい気を崩した。 そして 位負 ( くらいま )けみたいな卑屈にすぐ妥協しかかる自分を腹だたしく 厭 ( いと )いながらも、 「 兄者 ( あにじゃ )。 ……思い出してください。 直義は 鑁阿寺 ( ばんなじ )の 置文 ( おきぶみ )を今とて夢にも忘れてはおりません。 兄者には、いつかあれを、お忘れではないのですか」 と、ことばを直した。 自分の激血と兄の反射とをなだめ合うつもりで 強 ( し )いて低く静かに言ったのだった。 「おたがい、いつか年をとりました。 都の風にも吹かれ、一門三十二党それぞれに家運を伸ばし、わけて兄者は、正三位 左兵衛 ( さひょうえ )ノ 督 ( かみ )に 叙 ( じょ )され、八座の 宰相 ( さいしょう )(参議)の御一人にも挙げられ、 殿上人 ( てんじょうびと )の列にも列せられてみると、置文のお誓いなど、自然お心からうすらいでしまうのは、人情自然かともぞんじますが、しかしそれでは一体なんのために」 「直義、直義……」 「いやもすこしいわせてください。 そんな小さい望みのために。 そ、そんな 小成 ( しょうせい )に安んじるくらいなら何も」 「過ぎるぞ、口が」 「いいや、先祖家時公の置文などを御一門に誓わせたり、またこれまで、あらゆる恥に耐え、多くの者を奮い死なせ、その秘事のため、私はいまにいたるも妻を持たず、兄者は妻子はあるも妻子と一つに居ることもないなどの苦労は何もすることはなかったはずです」 「だまらんかっ、ばか」 ついに、苦しいものは、彼よりは尊氏を耐え難くして来た。 尊氏もとうとう 公 ( おおやけ )には吐かない語気で弟を呶鳴った。 「直義。 きさまこそ少しどうかしておるぞ。 それしきのこと、きさまから聞くまでのことはない。 ちと、あたまを冷やせ」 「どちらが」 「なにっ」 「われらの大望はまだ中途でしょうが。 だのに、はや公卿なみの優遇ぐらいで骨抜きにされ、勅とあれば理非なくありがたがる兄者なのでは情けない。 直義は一同に代り、その 晏如 ( あんじょ )を醒まさいではなりません」 「だまれ。 青臭い広言をば」 「お叱りは何とうけてもいい。 かくなる上はだ。 勅使は明早々に、帰洛のはずです。 もう御断念のほかはございますまい」 「な、なに」 尊氏はせきこんだ。 あきれ返った 態 ( てい )でもある。 穴のあくほど直義の顔をみて。 「き、きさまは、この兄をさしおいて、 直々 ( じきじき )、勅使へさような無礼をお答えなどして、わしを窮地へおとす所存なのか」 「なんで。 ばかな!」 直義は言い放した。 もう腹をすえた眉なのだ。 位置を変えて、弟が逆に兄へ食ッてかかるときの盲目的な顔を見ては、その暴言の底のものに、尊氏もはっと 怯 ( ひる )まずにいられなかった。 その常軌のワクにしばられている兄へ、弟はなおさら果敢だった。 「そこがあなたの頭がどうかしている所だ。 兄者 ( あにじゃ )を待つ窮地とは京都のことでしかない。 そんな危地へわれらの 棟梁 ( とうりょう )をやってはならん。 断じて、上洛は阻止すべきだと、一族どもは 寄 ( よ )り寄り憂えているのですぞ。 その憂いを負って、私は勅使にきっぱりとお断りを呈したまでだ。 それが何で兄者を陥すことか!」 「ああ、きさまもまだ依然むかしのままな青侍だったか。 浅慮者 ( あさはかもの )めがッ。 これでまず 九仭 ( きゅうじん )の 功 ( こう )も 一簣 ( いっき )に欠いてしもうたわ。 思えば、きさまの如き無謀 小才 ( こさい )なやつを大望の片腕とたのんだなどがすでに尊氏のあやまりだった。 返す返すも残念な」 尊氏は一歩自分を内省に退いている。 ここで弟と争ったら全足利党は真二つに割れる。 必死にことばを抑えている風なのだ。 が、直義にはそれも弟への 揶揄 ( やゆ )に聞えた。 「これやおかしい。 すべてを直義の小才や無謀のせいになさるが、兄者はどうだ! その兄者はもう公卿風の毒に魅せられて、苦難の大業よりは、いまの栄位に小さく安んじていたいのだろう。 大望に 魁 ( さきがけ )て死んだやからこそ 不愍 ( ふびん )なものだ。 幾多の将士の白骨は浮かばれもしまい」 「ちと、おちつけ、 直義 ( ただよし )」 「この私が」 「よく聞け。 そもそも、われらの望みとは、そんな 易々 ( いい )たる道ではあるまい。 第一この国では、逆賊朝敵とよばれたら大事を成すなど全く望めぬ不利となる。 またあくまで朝廷は朝廷としてあがめおくのが尊氏の本心でもあるのだ。 そこがきさまらには分っておらぬ」 「分りません! てんで分りませぬ! どうして朝廷をそう恐がるのか」 「ちがう。 尊氏の意はちがう。 どうなろうと、天皇はやはり至上の上にあがめおきたい。 この国の美だ、また 要 ( かなめ )だ。 もしそれをなくしたら、さなきだに俺が俺がの天下は、のべつ 乱麻 ( らんま )乱世のくりかえしだろ。 それを恐れる」 「それなればだ、なぜ大望などいだいたのか。 初めから矛盾でしょうが」 「いや矛盾でない。 頼朝公はそれを成しとげた。 いやもっとよい武家統治も不可能ではない」 「ちッ、それで兄者の夢は夢とわかった。 幕府を廃し、武家を政治から無力にし、すべてを天皇の 下 ( もと )に 帰 ( き )すというのが後醍醐の一貫した御方針。 いや王政としてじっさいにもう 布 ( し )かれている。 それをその朝廷も 崇 ( あが )め、また武家統治の再興も見ようなどとは、元々出来ない相談だ。 矛盾も矛盾、いやはや、ばかげきっている!」 「直義。 いかにとはいえ、 下種 ( げす )の喧嘩ではなかろうぞ。 雑言はやめい!」 「やめます! いう気力もありはせぬ。 痴人の夢には、もう、がっかりだ」 「そちは大望を矛盾といったが、朝廷を上に 崇 ( あが )めることと、武家政治をもつこととは、矛盾しない」 「もうお 説諭 ( せつゆ )はたくさんだ。 頼朝公の時代とは時がちがう。 あのころは後醍醐の御代でもなし、朝廷でも、王政一新などを世に 布 ( し )いてはいなかった」 「だからこそ、尊氏はひたすら機を待つに 如 ( し )くなしとしていた。 自然、 御心 ( みこころ )が、人心の望まぬ王政の非をさとられる日を、気長に待つの腹でおった。 しかるに、きさまと来ては、短慮だけの者でしかなく、事々に先ばしッて大望の道を 邪 ( さまた )げ、それのみか、この兄を叛逆者の名に追いこみ、大事の達成を、われから進んで打ち壊している」 「はて。 いつ私が足利党のめざす希望をさまたげたろう。 また、ぶち壊したと仰っしゃるのか。 いくら兄者でも聞き捨てならん。 これまで戦場の 犠牲 ( にえ )としてきた多くの白骨に対してもだ。 兄者ッ、自分の卑劣を弟の私にかぶせて、それでお気がすむのか」 「ではいうが。 きさまはまだこの兄に さらと打明けぬな」 「何をです」 「大塔ノ宮 弑逆 ( しいぎゃく )の不逞をあえて犯したことだ」 「いやお耳には入れてある」 「それは一片の報告にすぎまい。 部下の淵辺とかをやって、このたびのどさくさ紛れに、殺せといいつけたのは、ほかならぬきさまではないか。 下手人は 汝 ( なんじ )直義なのだ。 それをば今日まで、あからさまに、そうとは告げず、ただ鎌倉放抛のさい、何者とも知れぬ者の兇行であったかのごとく ぼかしておる」 「おお、ご存知ならいってしまおう。 いかにも私が命じてやらせた。 直義こそは下手人と世上から指さされても私はいい!」 「たわけめ。 何でさような暴を むざとしたか。 非情、無思慮、それで一軍の将といえるか。 言語道断、いつかは、きさまを罰しずにはおかぬぞ」 「これは 異 ( い )なお叱りだ。 私心私怨のように仰っしゃる。 だが 直義 ( ただよし )の心は、未来恐るべきあの宮はかかるさいにこそ除いてしまえ。 きっと兄者も腹の中ではよろこぶに違いない。 そう考えていたしたものを」 「だまれ。 かりそめにも 至尊 ( しそん )の 御子 ( みこ )。 しかも陪臣ずれの無慈悲な刃で殺し奉る法があろうか」 「では、 女奏 ( にょそう )の 讒 ( ざん )を用いて、宮を初雪見参の夜に、 陥 ( おとしい )れたのは誰ですか。 兄者、あなたの計ではないか」 「…………」 「それだ。 そのように、あなたのすること、いうことは、すべて矛盾だらけなのだ。 尻尾と頭とが一つでない。 道誉を 鵺 ( ぬえ )というが、兄者こそ 上手 ( うわて )をこす 大鵺 ( おおぬえ )だわ!」 「こやつ、止めぬな、悪口を」 「いうまいとしても、こよいばかりは直義も」 と、直義は眼のうちのものを煮えたぎらせた。 ふと幼少の頃そっくりな顔にみえる。 せつな、尊氏はいきなりその弟の頬をピシッと烈しく一つ 撲 ( は )りつけていた。 「いえッ。 いくらでも申してみよ」 「打ちましたな、兄者!」 尊氏にもままかっとなる性情がなくはない。 けれどそれを外に出したせつなに彼は後悔する。 いまもそうであった。 弟を打つには打ッたが、とたんに胸は 凝縮 ( ぎょうしゅく )の痛みをしていた。 そしてもう半分は理性の自己にもどりながらも、 「オオ打った。 まだいうなら、いくらでも打つぞ」 と、 怒 ( いか )った眼だけはそらさなかった。 「…………」 直義は蒼白な顔に 鬢 ( びん )の毛を垂れていた。 とっさに、あらい感情を吐きそこねて、かえって、打たれた自分を 憐 ( あわ )れむようにしゅんと色を沈めている。 そして、静かに、 曲 ( ま )がった 烏帽子 ( えぼし )の 緒 ( お )をむすび直すあいだに、薄い自嘲と度胸をすえた 太々 ( ふてぶて )しさとを、どこやらにたたえていた。 「ついまたあまえて、言いたい放題を吐きすぎました。 ご 折檻 ( せっかん )は身にこたえる。 お気のすむまで打ってください」 救われたように尊氏もすぐ顔を 解 ( ほぐ )した。 「いやおれも大人気ないわ。 そちと二人だけでいると、とかくわがまま同士になりやすい。 そのくせ兄のおれの中には亡父のおもかげや先祖の遺言などが常住無意識に住んでいる。 それを直義にまで水臭くされるとこれまた淋しい。 そこらが尊氏の矛盾だろうよ。 だがどう争ッたところで、しょせん二人は兄弟なのだ。 かんべんしろ、弟」 こういわれると直義は口ほどもなかった。 ほろッと涙をこぼした。 尊氏はそのとき、その眸をじろっと斜め後ろへやった。 近侍の細川頼春だろう。 主君同士ふたりの争いを心配して、廊のそとにかがまっていたらしいが、すうと退がって行った気配である。 尊氏はすぐ言った。 「な、直義。 とかく口論してみても始まらぬ。 大塔ノ宮 弑逆 ( しいぎゃく )の一事も、勅答の一条も、はや、やってしまった後のまつりだ。 いまさらどうなるものではない。 またそちの悪意でもなく、みなこの尊氏を思ってしてくれたことではある。 このうえはあとの思案だ。 が、その思案には」 と、尊氏は襟もとに顔を埋めて、 「……いささか、わしも途方にくれる。 さてどうしたものか」 と、つぶやいた。 いかなる難関にも身を以てあたる所存ではおりまする。 がただ一つ、兄上の胸底には、いまなお、 鑁阿寺 ( ばんなじ )の 置文 ( おきぶみ )が、お忘れなくあるのかないのか、それだけが」 「気がかりか」 「気がかりです」 「はははは」尊氏は、初めて笑い出して。 「見損うな。 殿上の衣冠などは 雛人形 ( ひなにんぎょう )でも着る。 また、すでに白骨となった者、生ける一門の 族党 ( やから )、ましてそちまでを、裏切っていいものか。 尊氏はそちたちが観ているよりは、ずんと欲望の深い悪党なのだ。 わしが仕尽くす 業 ( ごう )はこんなことでは終るまい。 頼朝公ですら、さしも 死際 ( しにぎわ )はよくなかった。 この尊氏もそれには似るかもしれん。 ……それでの、そろそろ 後生 ( ごしょう )を心がけたい。 ここでしばらく仏門に入りたいのだ」 「えっ、仏門に?」 本気かと、直義は疑った。 だが、あいまい 模糊 ( もこ )な尊氏の顔はまた笑っていた。 「いや謹慎のためにだよ。 近日中にわしはここの将軍邸を捨てて、寺へ移る。 身はそのままな俗尊氏だがの」 「どうして急にさような思い立ちを」 「なんといたせ、大塔ノ宮を 殺 ( あや )めまいらせたことは申しわけない。 下手人 淵辺 ( ふちべ )には 科 ( とが )もない。 当然そちの犯した逆罪だが、この尊氏も同罪たるはまぬがれ難い。 かたがた、上洛も拒否し、違勅をかさねたうえは、寺へでも 籠 ( こも )って心からな詫びを、朝廷及び世上へ、かたちで示すしかみちはなかろう」 「では、しばし仮の?」 「そうではない。 また兄の矛盾よと笑うだろうが、本心、宮の 御菩提 ( ごぼだい )も 弔 ( とむら )う気だ。 むごたらしいご最期をお遂げさせた。 尊氏の強敵たるには違いないが、もはや無力なお人なりしを、さまでにはせんでもよかった。 いや、直義、またそちを責めるわけではないぞ。 いわば 後生 ( ごしょう )の怖れか。 ふと夢枕に宮のすさまじいお顔を見た夜もあった。 ともあれ、わしは寺へ移る」 「あとは」 「そちがやれ」 「軍も諸政も」 「一切ここはそちに委す」 「かまいませぬか」 「ただしわしが今夜言ってきかせたことだけは以後踏みはずすな。 八幡 ( はちまん )、尊氏がこよいの言に偽りは持たぬ。 何事もその辺を考えてやってくれい」 「ですが、朝廷の御目標と、わが足利家の大望とは、まったく相容れぬ逆です。 出来るでしょうか、その両立が」 「できる」 「むずかしい」 「もとよりやさしくはない。 百難もあろう」 「ですが、朝敵となるのをひたすら怖れてばかりいた日には、大事を成すなど思いもよらぬ難事ではありませぬか。 いくら委すと仰せ下されても」 「時運はたえまなく動いているのだ。 そう こだわるな。 眼前の事態にのみ固着した 頭脳 ( あたま )では手も足も出せはせぬ。 打つ手も自然出てくるものだ。 尊氏もここしばらくは静観しよう」 やがて、両三日後に、はやこのことは実現された。 尊氏は、細川頼春、一色右馬介らの近習小姓わずか七、八名を身につれただけで、突然、 蟄居 ( ちっきょ )する の旨を内外に触れ、 浄光明寺 ( じょうこうみょうじ )のうち深くに 籠 ( こも )ってしまったのだった。 いきさつは直義とおもなる者しか知るところでない。 一門の族党は大きな驚愕に打たれた。 しごく単純な武者ばらでもある。 彼らは主君の謹慎のすがたをそのまま信じた。 理由なく傷んだり何かへ憤慨したりした。 そして一時的ではあるが、鎌倉は冴えない景色のうちにあった。 勅使、中院ノ 具光 ( ともみつ )は、すでに帰洛の途にあったが、これらのことも海道では早耳に入れていたにちがいない。 朝敵尊氏ということばは、宮中公然な声になった。 連日の 公卿僉議 ( くげせんぎ )である。 そのふんい気といい宮廷内の緊張は、かつてのどんな時局にも例をみないほどだった。 「もはや僉議の要はない!」 この声は最もつよい。 また多い。 彼ら若公卿はいう。 「尊氏の反逆は、すでに歴然といえる。 それなのに再度の勅を奉じさせて、法勝寺の 慧鎮 ( えちん )上人をさし 下 ( くだ )してみたらなどという儀は、あまりにも手ぬるすぎて、彼を増長せしめるばかりか、賊に軍備をかためさせる 余日 ( よじつ )を与えるだけでしかない」 「かつは御威光にかかわろう。 朝廷に人なく軍威なきにも似る」 「それはすぐ在京武者に弱味をおもわせ、いたずらに 去就 ( きょしゅう )を迷わせる悪結果をよぶ」 「すでに、足利の叛旗とみるや、諸家の武門を脱走して、ぞくぞく、鎌倉さして行く兵も少なくないとか」 「いや、それは憂えるほどなことでもない。 事態の急に、京から鎌倉へと、身の処置をきめて行くのもある代りに、また都に 祗候 ( しこう )の主筋や 縁故 ( えんこ )を持つ 輩 ( やから )は、これまたぞくぞく、東国から京へと急ぎ、海道はそのため、西ゆく者、東する者、 櫛 ( くし )の歯を 挽 ( ひ )くが如しじゃと、いわれておる」 「いずれにせよ、もはや 右顧左眄 ( うこさべん )しているときではない。 朝敵尊氏を討つに、なんのおためらいなのか」 「新田義貞に、逆賊討伐の朝命をさずけ、あるかぎりな王軍を催して、いまのうちに、 禍根 ( かこん )を 断 ( た )ちおかねば、百年の後、悔いてもおよばぬ」 「それこそは、さきの大塔ノ宮 護良 ( もりなが )親王の御遺志でもあった。 いまにして宮の御先見がおもいあたる」 僉議 ( せんぎ )の席では、しばしば宮の御名が人々の口に出た。 しかし、宮の御受難とは、ひろく知られていても、その死期のありさまなどは、まだとんと確かなことはわかっていない。 この恨みは当然、大塔ノ宮遺臣のあいだに強かった。 かねがね 屈強 ( くっきょう )な侍や多くの兵を内に蓄えていた宮家でもある。 近ごろとみに義貞の二条烏丸屋敷の周辺が喧騒にみち、尊氏罵倒の気概りんりんたるものがあるのも、ひとつはこれによるといってよい。 異様な充血はしかしここだけの現象ではなかった。 千種 忠顕 ( ただあき )の邸なども近来は、半公卿半武将ともいえる陣装を構えており、つねに義貞をはじめ、目ぼしい武門との連絡を、緊密にもっていた。 その忠顕は、外では義貞とむすび、公卿 僉議 ( せんぎ )では、たれよりつよい主戦論をとっていた。 そして後醍醐へもしばしば 直奏 ( じきそう )の下に迫るなどの熱中のしかたであった。 この日ごろのお悩みは 龍顔 ( りゅうがん )のうえにもうすぐろい 隈 ( くま )となって、さしもお身の細りすらうかがわれる後醍醐だった。 いつの公卿僉議にも、 「……まずは」 とのみで 入御 ( にゅうぎょ )。 また、 「考えておく」 とばかりで御裁可はない。 いわんや、千種忠顕が 直々 ( じきじき )の奏上などに、ご意志を左右されるはずもなく、 「ま、さは 逸 ( はや )るな。 息 ( いき )りたつな。 坊門ノ清忠ら一部の意見にも耳をかせ」 と、抑えてしまう。 要するに、 僉議 ( せんぎ )の決まらぬ原因は、ほかならぬ帝のお心にあったのだ。 その左大臣坊門ノ宰相清忠ひとりは、ほかの激越な即戦主義者とは大いにちがって、 「尊氏にも功はある」 と、言い、 「その功もたちまち 措 ( お )いて、ただ罪のみをあらだてるのは 如何 ( いかが )かとおもう。 ……さればこそ。 おん 諱名 ( いみな )の『 尊 ( たか )』の一字をさえ賜うたほどなご嘉賞ではなかったか。 さるを……手のひら返すごとく、逆賊とよび、王軍をくだして討たんなどとは、それこそ朝廷の不見識、 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい )のたのみなさを、われから世へあかす 愚 ( ぐ )でなくてなんであろう。 よろしくここは人心をなだめ、いくたびなりと尊氏の存意をただして、事を政治による解決へ見いだしてゆく工夫こそ、われら朝臣の 務 ( つと )めと申すべきではなかろうか」 というのであった。 これが衆論にうけつけられなかったのは、前述のとおりである。 けれど後醍醐の顧慮のうちには、ほぼこれと同じなものが、たゆたっていた。 元来、この君としては、尊氏なる人間を、根からお嫌いではないのである。 いや人間的には彼の一種魅力めいたものに引かれてさえおいでになる。 君臣という かきさえなければ一 壺酒 ( こしゅ )を中において膝ぐみで議論してみたい男ですらあるくらいな 思召 ( おぼしめ )しなのだ。 かつは彼には実力がある。 その実力にも 御意 ( ぎょい )はつねに、あの薄らあばたの一壮者を、御無視できない。 断 ( だん ) のお迷いはかくてつづくばかりだった。 このさいにおける英断には、 玄以 ( げんい )に学んだ 儒学 ( じゅがく )も、 大燈 ( だいとう )、 夢窓 ( むそう )の両禅師からうけた禅の丹心も、その活機を見つけるところもない幾十日の昼の 御座 ( ぎょざ )、 夜 ( よる )ノ 御殿 ( おとど )のおん悩みらしかった。 突如、即戦派には有力な材料が、諸国から帝のおん目の前につきつけられた。 それは何かといえば。 「かかる物が国元へまいりました由。 朝 ( ちょう )へ二心なきおちかいに、内覧に入れたてまつりまする」 と、在京武門の国々から届け出てきたその数は、何十通にもおよんでいた。 尊氏の逆心を証拠だてるにはこれ 究竟 ( くっきょう )なものである。 ひと 束 ( たば )にして 僉議 ( せんぎ )の席へもちだされた。 帝も御覧あるに。 新田 右衛門佐 ( ウヱモンノスケ )義貞 誅伐 ( チユウバツ )セズンバ有ル可カラズ 一族相催シ 急ギ 馳 ( ハ )セ 参 ( サン )ジラレヨ と、すべて同文で、また、はなはだ簡である。 そして日付けもみな一様に、 十一月二日 の発になっている。 だが、署名は尊氏ではなく、 左馬頭 ( さまのかみ )とあり、すなわち弟 直義 ( ただよし )の 花押 ( かきはん )だった。 内覧ののち、僉議の公卿一統へ廻覧された。 色めきたつ小声小声の下にすべての者がやがて見終る。 「みられたか」 洞院 ( とういん )ノ 実世 ( さねよ )が言った。 千種忠顕、二条為冬など、声をそろえて。 「この 檄 ( げき )に見るも、王軍のお手まわしはもうおそいほどだ。 名を、義貞誅伐にかり、賊はすでに、全国から 起 ( た )たんとしておる」 「 檄 ( げき )の名分を、 君側 ( クンソク )ノ 奸 ( カン )ヲ 除 ( ノゾ )ク、というところへ持ってゆくのは、いつのばあいでも、むほん人が世のていをつくろう口実ときまっている。 はや一日とて、猶予あるべきではない」 「しかも、尊氏の 狡 ( ずる )さよ」 という者もあった。 「檄の上に、わが名はあらわさず、弟直義の名を 唱 ( うた )うなども、 這奴 ( しゃつ )の隠れ 蓑 ( みの )! 見すかさるるわ」 このとき、坊門ノ清忠はなお、いつもの騒がない語調で、 「いやいや 悪 ( あ )しゅうとれば物事はいかようにも悪しゅうとれる。 つたえ聞くに、尊氏は先の月、違勅の 畏 ( おそ )れをいって諸政を弟の直義に託し、身は謹慎を 表 ( ひょう )するため、浄光明寺に入ったままふかくつつしんでいると申す。 そのうえにも、また、ちょうどこのころ。 大塔ノ宮の 侍女 ( かしずき )南ノ御方が、宮のおかたみなどをたずさえて、病後のやつれもまだ 癒 ( い )えぬ身でやっと都へたどりついてきた。 逆鱗 ( げきりん )すさまじい 御 ( み )けしきだた。 朝敵、それ以上にも増す尊氏兄弟へのお憎しみが、どっとお胸の 堰 ( せき )を切った。 朝廷が尊氏討伐を決定してこれを公卿 僉議 ( せんぎ )に 宣 ( せん )したのは、十一月に入ってからのことにはちがいないが、その幾日頃であったろうか。 「公卿補任」をみるに、 尊氏ノ奏状 到来 ( タウライ ) 十一月十八日 との明記もあり。 ところで、その上書なる物だが。 そのなかで尊氏はこう訴えているのである。 つくすべき忠も、 荼毒 ( とどく )の輩が君の 側 ( かたわ )らにはびこっていたのでは捧げようもない。 君側の 奸 ( かん )を一掃してのうえでなら、微臣たりとも海内 静謐 ( せいひつ )のためどんな御奉公も決していとう者ではない。 どうかご推量を仰ぎたい。 恐惶謹言 ( きょうこうきんげん )」 と、結んでいるのだ。 内覧のあと。 上卿のおもなる者もこれを見た日のことである。 千種忠顕は参内の帰途、新田義貞の 烏丸 ( からすま )屋敷をたずねていた。 そして 云々 ( しかじか )と、わけを語り、弾劾文の写しを彼にみせたのだった。 「…………」 義貞は読んでゆくなかばのうちに、もうありありと感情に燃やされた色で耳のあたりまで 紅 ( あか )くしていた。 「心外な」 と、一ト言いって。 「……千種どの。 これに黙っていては、 佞臣 ( ねいしん )乱賊の汚名を義貞が自認しているものになる。 義貞も一文を 駁 ( ばく )して内覧に供えたい。 そのような前例はどうであろうか」 「なんの、前例の顧慮などいるものか。 すでに御辺は、王軍の大将として、ご内定もみておるのだ。 義貞の上奏文は、じつに激越な文辞であった。 一つ 臣義貞が 上野 ( こうずけ )の旗上ゲは五月八日であり、尊氏が宮方へ返り忠して六波羅攻めに出たのは同月七日だった。 相距ること八百余里。 何で一日のまに連絡がとれよう。 それを尊氏は、あたかも自分の令で新田を起たせたかのように 誣奏 ( ふそう )している。 これ罪の一つ。 一つ 尊氏みずからはじっさいには元弘の鎌倉攻略に参加しておらず、幼弱な千寿王に少数の兵をつけて、新田の 陣借 ( じんがり )をしていただけのものにすぎない。 しかるにそれも足利の功として誇っている。 これ世上を 欺瞞 ( ぎまん )し上を偽る。 罪の二。 一つ 尊氏の六波羅にあるや、みだりにみずから奉行を 称 ( とな )え、上のみゆるしもなき 御教書 ( みぎょうしょ )を発し、親王の 卒 ( そつ )をとらえて、これを 斬刑 ( ざんけい )するなど、身、司直にもあらざるに法を 執 ( と )り行う。 これ罪の三。 一つ 東国にあっては、ひそかに禁府を開き、 公 ( おおやけ )の物をもって、私の恩を売り、征夷大将軍の 位名 ( いみょう )を偽称す。 その罪の四。 一つ 軍功の 施与 ( せよ )は朝廷 直々 ( じきじき )の令に待つべきを、北条時行を追って府に入るや、僭上にも身勝手に諸所公領の地を 割 ( さ )いて、これを 餓狼 ( がろう )の将士に分つ。 罪の五たり。 一つ さきには 讒構 ( ざんこう )をもうけて、巧みに、 兵部卿 ( ひょうぶきょう )ノ親王(大塔ノ宮)を 流離 ( りゅうり )に陥す。 その罪の六。 一つ 親王の 御罰 ( ぎょばつ )は、ひとえに宮の 驕 ( おご )りをこらす 聖衷 ( せいちゅう )に存するを、 私怨 ( しえん )をふくんで、これを 囹圄 ( れいご )に 幽 ( ゆう )す。 罪の七。 一つ 混乱に 乗 ( じょう )じて、部下の兇兵を 使嗾 ( しそう )し、宮に害刃を加えたてまつる。 天人ともに憎むところ。 その罪の八。 以上のあとに、 伏して 請 ( こ )ふ 乾臨明照 ( けんりんめいせう )のもと 尊氏 直義 ( ただよし )以下 逆党の 誅命 ( ちゅうめい )あらん事を 畏 ( かしこ )みて 奏 ( そう )し仰ぐ 義貞 誠惶誠恐 ( せいくわうせいきよう )謹言 とした長文だった。 尊氏の言いぶん。 義貞の言いぶん。 いずれが 是 ( ぜ )か 非 ( ひ )などは、もはや問題の時期ではない。 またたれがみても、尊氏のそれは、義貞との 確執 ( かくしつ )を口実に、 鉾 ( ほこ )をかえて挑発している 詭弁 ( きべん )のもののようだし、義貞がかぞえあげた尊氏の八逆のほうが、はるかにその論拠にも力があった。 しいて 歪曲 ( わいきょく )している点もなくはないが、 不倶戴天 ( ふぐたいてん )の仇敵をやッつけた筆誅の余勢である。 多少の誇張はしかたがあるまい。 しかも、彼の昨今は、 「待ちに待ったる日が来た!」 と心を奮ッている風だった。 得意さだった。 その義貞への朝命は、十八日に 降 ( くだ )り、十九日には、はや京中出陣ぶれの勢揃いがおこなわれていた。 朝敵征伐の 節度 ( せつど )(出征の祝い)を賜わるためにである。 義貞はかがやく栄光の中に自分をみていた。 朝敵追討大将軍の 首途 ( かどで ) それには当然、朝廷でもなみならぬ期待のもとに、ずいぶん、古式に 則 ( のっと )ってその 鼓舞 ( こぶ )をさかんならしめたものらしい。 王軍をうごかす。 それじたいが、朝廷の浮沈もここに賭けたことになる。 やぶれれば朝廷たりとも、 争覇 ( そうは )の敵の 驕 ( おご )りに 屈 ( くっ )する覚悟のもとでなければならない。 その大任を負って、新田 右衛門佐 ( うえもんのすけ )義貞はいま、身のしまるおもいで、 南殿 ( なんでん )の下にぬかずいた。 御庭 ( みにわ )の階下には、内弁、 外弁 ( げべん )、八座、八省の公卿百官がしゅくと整列しており、その視線はすべて、義貞ひとつに自然そそがれたままだった。 義貞はそれを感じる。 武門最上な本懐と感じる。 彼にもこの下心はあったのだ。 いまや平氏の北条はない。 足利が取って代ろうとしている。 しかし自分も源氏の嫡流だ。 有資格者である。 八逆の賊尊氏を逐って、自分が覇武の権を取ッて代るに、世上の誰もふしぎとはしまい。 しかも 優渥 ( ゆうあく )なるみことのりと大将軍の 印綬 ( いんじゅ )を賜わってそれに向うのだ。 義貞はすでに尊氏を呑んでいた。 やがて下された祝酒の一ト口にさえ、それは色になって彼のおもてをほの紅くした。 朝廷では、万一このたびの東征にやぶれでもしたら、建武新政の 緒 ( しょ )も根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝 追罰 ( ついばつ )のさいに、三位 惟盛 ( これもり )をつかわされたさいの 仕 ( し )きたりは不吉であった、よろしくこんどは 天慶 ( てんぎょう )承平の例に 倣 ( なら )うべきであるというところから、特に、義貞へは 節刀 ( せっとう )を賜わり、やがて、 三 ( み )たびの万歳の 唱 ( とな )えのうちに、 華々 ( はなばな )と、彼のすがたは大内を退出してきた。 そして衛府の門を出ると、なに思ったか、 「高倉へ」 と、軍兵をうながして、彼の馬はとうとうと先をきって二条高倉ノ辻へ 馳 ( は )せむかっていた。 そこで馬を止め、 「やよ船田ノ入道、朝敵退治の都立ちには古例がある。 知っているか。 古式いたせ」 と、一つの門を指さして、命令した。 そこは今は人もなき、旧足利 直義 ( ただよし )の 空館 ( あきやかた )なのである。 するとここの 鬨 ( とき )の声にあわせて、三条河原の空でも、わああっと、武者の 諸声 ( もろごえ )がわきあがっていた。 上将軍の陣であった。 大将軍義貞のほかに、後醍醐の一ノ宮、 中務尊良 ( なかつかさたかなが )親王が、上将に任ぜられ、この日ともに都を立つこととはなっていた。 まもなく、義貞の軍は、 尊良 ( たかなが )親王の騎馬一群をまん中に迎え入れて、その 長蛇 ( ちょうだ )のながれは、順次、三条口からえんえんと東していた。 このさい、親王の 中書軍 ( ちゅうしょぐん )がささげていた 日月 ( にちげつ )の錦の旗が、とつぜん突風に狂い、 竿頭 ( かんとう )から地に落ちたので、人々みな、 「あな 忌 ( い )まわし」 と、不吉感に吹かれたなどと古典太平記にはあるが、作為であろう。 ほんととは思われない。 また兵力なども、 その数六万七千余騎 前陣すでに 尾張の熱田に着きけるに 後陣はまだ大津 相坂 ( あふさか )の関 四ノ宮河原にささへたり などとあるのも大ゲサに過ぎたものだ。 もちろん、物見、伝駅などの小隊は、先へ先へと、先行してはいたろうが、それにしてもの感がある。 じっさいの兵数は、中書軍をあわせても、二万がらみではなかったか。 それからの敬称である。 これになお、他家の大小名がある。 勅にこたえて、一議なく官軍側に 拠 ( よ )った在京中の諸国の武門で、それには、 千葉ノ介 貞胤 ( さだたね ) 宇都宮 公綱 ( きんつな ) 菊池肥後守武重 大友左近将監 塩冶 ( えんや )の判官高貞 熱田ノ大宮司、薩摩守義遠などの百数十家、所領の分布からみても全国にわたっていた。 まさに 王師 ( おうし )とよぶにふさわしい。 なおこのほかに。 同日から三日おくれの都立ちで、尾張黒田から東山道をとって 下 ( くだ )って行った別手の 搦 ( から )め手軍もあった。 それの大将には大智院ノ宮、弾正ノ 尹宮 ( いんのみや )、 洞院 ( とういん )ノ実世、二条ノ中将為冬など、公卿色がつよく、侍大将では、島津、江田、筑前の 前司 ( ぜんじ )ら、二十余家の旗がみえる。 兵力はざッと五、六千騎で、行く行く信濃の反軍を揉みつぶし、甲州を 掃 ( は )いて、鎌倉武蔵口へせまる作戦。 時をあわせ、奥州からは北畠顕家が一路南下の予定である。 「尊氏は以前から戦にかけては から下手よ。 このあいだにも、都の使いは、たびたび、義貞をはげましに下っていた。 まさに天下分け目の様相だった。 鎌倉 泉 ( いずみ )ヶ 谷 ( やつ )の 浄光明寺 ( じょうこうみょうじ )は、ほんの一堂に 庫裡 ( くり )があるだけの、 草寺 ( くさでら )だった。 むかし北条長時が何かの 忌縁 ( きえん )に建てたものだという。 いかにも 侘 ( わ )びた禅室ですぐ裏の泉谷山には朝夕 鴉 ( からす )ばかり啼いていた。 それに時は十一月。 枯木寒鴉図 ( こぼくかんあず )そのままな冬木立の中でもあった。 「もどりまいてござりまする」 馬は山門の外に。 駒のあるじは今、旅ぼこりの身もそのまま、すぐ、ここにさきごろから引き 籠 ( こも )っていた尊氏のまえにあって、平伏していた。 「 和氏 ( かずうじ )か」 待ちかねたぞというばかりな顔である。 が、大いに労をねぎらって。 「早かったな和氏。 大儀大儀。 して、上奏文の響きはなんとあったぞ」 「すでに朝議一決のあとにござりましたが」 「うむ」 「上書は、洞院ノ 実世卿 ( さねよきょう )からただちに叡覧に入れ、 僉議 ( せんぎ )の席でもご披露あったやにうけたまわります。 が、ついにお返し沙汰は何もございませぬ」 「それでいい。 だが、義貞の反応についてはどうだ。 聞きおよぶところはなかったか」 「いや、それは大いにございました」 「大いにあったと? ふ、ふ」 予期していたものの手ごたえに、思わず彼の 相好 ( そうごう )が 笑 ( え )み 破 ( わ )れた。 使者の細川和氏も、これを土産として帰るには、よほどな苦心を要したらしく、やおら 革苞 ( かわづと )を解いて、 「まず、ご一読を」 と、尊氏の前においた。 和氏は殿上の誰かにそっと手を廻して、それの写しを入手してもどって来たものにちがいない。 ……尊氏は手にとるや、眼をそばめてその全文を黙読していた。 一つ、何 一つ、何 と箇条書きにしてある自分への痛烈な八罪なるものに目を通していながら、尊氏の面にはしかしなんの波紋も起って来ず、むしろ容認しているふうですらあった。 「和氏。 老躯 ( ろうく )に 鞭打 ( むちう )たせて、ご苦労だったが、使いの功は上々であったぞ。 これでまず、義貞もじっとはしておられまい」 「されば即日、朝廷からは義貞へ、尊氏追討の総大将を任ぜられ、 中書 ( ちゅうしょ )の宮 尊良 ( たかなが )を上に、約三万騎、東海東山の両道から、ぞくぞく東へ下りつつありまする」 和氏はべつな覚書をふところから取り出して、その 密牒 ( みっちょう )なども、尊氏の前にならべかけた。 しかし、尊氏は手にもとらずこういった。 「待て待て。 わしは世に告げてあるとおり 籠居 ( ろうきょ )の身だ。 軍事は聞いても、せんかたない。 諸政一切も 直義 ( ただよし )にまかせてあること、戦のことなら直義の許へ報告せい。 この尊氏はあずかり知らん」 晩の 勤行 ( ごんぎょう )、朝のおつとめ。 ここでの禅院生活を、尊氏は出家の身とも変りのない規律と日課の中においていた。 大塔ノ宮の霊 元弘 ( げんこう )の戦歿者敵味方の霊 高時の霊 いくたの 有縁 ( うえん )無縁の霊 に心からな 回向 ( えこう )をささげている姿にみえる。 また心から朝廷へも 恭順 ( きょうじゅん )の意を 表 ( ひょう )している彼かに見える。 もちろん、酒も魚肉も断ち、 法衣 ( ころも )こそつけていないが、道服すがたで、昼は机によって読書 三昧 ( ざんまい )、閑居まだ日は浅いが、 倦 ( う )む色もみえないのだった。 したがって、近習の細川頼春と一色右馬介も、 庫裡 ( くり )の裏で、ぜひなく 薪割 ( まきわ )りや水汲みまでをやっていた。 彼らだけが日々ただ武者張って 無為 ( むい )にもいられないのであろう。 「右馬どの」 「む?」 「貴公には分っておるだろ」 「何が」 「大殿の御本心だ。 本心、このまま世捨て人となるおつもりだろうか」 「さあ、どうかな」 「幼少からのお 傅役 ( もりやく )。 その右馬どのなら」 「いや、ご舎弟(直義)さまでさえ分らぬ兄といっておられる。 どうして拙者などにわかるものか。 ……だが、ああしていらっしゃる今日は今日だけの御本心だとはいえるだろう」 「では、あしたは」 「あしたのことは、おそらく御自身でも……。 まだ又太郎さまだった十代のお若い頃からだ。 ……しかしそれは、ぼんやりしているのとは違う。 何か、人とは 異 ( こと )なる時点と観点に立っておられるせいであろう。 だから、人には矛盾とみえることも平気でなされる風もあるのだ。 またそんな一面が年ごとおつよくなってきた風でもあるな」 「…………」 頼春は、目くばせした。 寺の 庫裡 ( くり )にもよく 里 ( さと )の 販 ( ひさ )ぎ 女 ( め )たちが物売りに廻って来る。 いまもふと山着姿の小娘が、方丈の庭口をとりちがえて、戻って来たらしく、うろうろしていたが、ここの二人へ気づくと急に、 「山の 芋 ( いも )買うておくんなされ。 お侍さん、山の芋はいらんかね」 と、馴れ馴れしく、そばへ来て、 強 ( し )いるのだった。 要 ( い )らぬというと、 「では、麦の粉はどうですえ。 菓子にしたらええがの」 「いらんと申すに」 「お茶は」 「茶もある」 「でも、ことし 摘 ( つ )んだよいお茶なのに、見ても貰わんでは」 「解くな。 荷を解いても、買いはせぬぞ」 追い払っていたときである。 ちょうど 庫裡 ( くり )の縁を通りかけた尊氏がこれを見て。 「頼春。 買ってやれ、何ぞ」 「お。 これはいつのまに」 「愛くるしい娘だ。 その芋の 苞 ( つと )、持っているだけ求めてやるがよい」と、言った。 「運のよいやつだ。 殿さまへようお礼を申せ」 頼春は、 値 ( あたい )をきいて、 販 ( ひさ )ぎ 女 ( め )の手に 銭 ( ぜに )をわたし、 早々 ( そうそう )に追い立てたが、女はぬかずいたまま、縁の上の尊氏の姿へ、 「ありがとうございまする」 なんども、それをくり返し、またお願いいたしますると、やっと立って去りかけた。 その背へ、浴びせるように、 「これこれ。 これに 狎 ( な )れて、またうるさく来てはならんぞ」 右馬介が言った。 けれど女は返辞もしなかった。 そのくせ遠くから縁の尊氏の姿を二度も振り向いて行った。 尊氏はあとで二人へ訊ねた。 「あのむすめは、よくここへ見えるのか」 「いえ、里の物売りは、よくまいりますが、いまのような小娘は」 「初めてか」 「は。 きょう初めて見たようにおもいまする」 「気をつけたがよい」 「それはまたどういうわけで」 「ただの山家女や 浦人 ( うらびと )のむすめとは思えぬ。 何かいわくのある者だろう……」と、そのまま縁を下りて、あり合う 草履 ( ぞうり )に足をつッかけながら。 「右馬介」 「はっ」 「この裏山の 洞 ( ほら )に、地蔵が 祀 ( まつ )ってあるといったな。 ゆうべの炉辺で、そんな話を二人でしておったが」 「は。 いやしかし、つまらぬ地蔵でございますので」 「何でもよい。 地蔵は母の信仰でもあり、わしの守護仏ともいわれておる。 行ってみよう」 尊氏はもう歩いていた。 鎌倉の海もここの山も、冬を忘れたような小春日だった。 右馬介たちが柴採りに来てふと見つけたという横穴を覗いてみると、二尺ばかりな石の地蔵が、ちょこんと石の台座に乗せてあった。 「これか」 「はい」 「地蔵だろうか?」 「 弥陀 ( みだ )とも見えませぬ」 「やはり地蔵尊かの。 しかしお顔も 衣紋 ( えもん )も、ひどく磨滅して貝殻なども附着しておる。 網引き地蔵と」 尊氏は急にその前へうずくまった。 そしてつらつら地蔵を見て、また、うやうやしく 掌 ( て )を合せた。 そのあとで笑いながら二人の近習へ言ったのだった。 「どうだ、地蔵のお顔は、この尊氏と、どこかよう似ているであろうが」 「お戯れを」 「いや戯れではない。 網引き地蔵とは、おん名からして気に入った。 粗略にするな」 このときは、ただこれだけで帰って来たので、二人には、尊氏が何でそのような冗談をいったのか、またひどく機嫌のいい 一瞬 ( いっとき )を顔に見せたのか、主君の心は 酌 ( く )めなかった。 が、その意味がわかってきたのは数日の後だった。 いやその晩、 下御所 ( しもごしょ )の 直義 ( ただよし )がここの禅院を訪ねて来た時からだといってもよい。 「こよいは、お別れにまいりました」 直義は、冷静だった。 尊氏もそうと察していたらしく、かくべつ、怪しみもしなかった。 「出陣は明朝かの」 「は。 すでに 高 ( こう )ノ 師泰 ( もろやす )以下三千騎ほどを、とりあえず一陣として先に急がせ、吉良、細川、佐々木道誉らも、つづいて戦場へむかわせました」 「そうか」 「敵は、東海東山の両道を数万の大軍で急下してまいるよし。 このたびこそは、天下分け目の一戦と期しているもののようにござりまする」 「むむ」 「おそらくはなかなかの苦戦。 直義も生きてふたたびお目にかかれるや否やわかりませぬ」 「ぜひもない儀だ」 「一族の諸将は、このさい、まげても、大御所(尊氏)の御出馬を仰がずにはと、軍議 紛々 ( ふんぷん )ではございましたなれど」 「…………」 「 否々 ( いないな )、一たん寺門に入って、世へ 屏居 ( へいきょ )と触れたからには、たとえ 剃髪 ( ていはつ )はなさらぬまでも、めったにお心をひるがえす兄上ではない……と一族どもを押しなだめて、一切はこの直義が独断にて指揮いたしまいてござりまする。 その僭上は、おゆるしのほどを」 「なんの、軍事も諸政もすべてを捨てた 恭順 ( きょうじゅん )の身。 あとは、あとの者の一存に委すしかない。 ……だが」 と、 間 ( ま )をおいて。 「直義」 「は」 「このたびの戦の相手は一体誰だ?」 「 異 ( い )なおたずね。 おたずねまでもございますまいに」 「いや心得ておかねばならん。 敵は新田義貞であることを。 皇室ではない、義貞であるのだ」 「が。 その義貞は、朝命をこうむって、朝敵討伐の 節刀 ( せっとう )を拝した者にすぎませぬ」 「かたちは、さもあれ、 名分 ( めいぶん )の上においてはだ。 あくまで、わが足利家は新田を 誅伐 ( ちゅうばつ )するものと世上へ 唱 ( とな )えろ。 いや朝廷との対決を、わざと、足利新田両家の確執に 外 ( そ )らして、義貞を陣頭におびき出すためにした挑戦状にほかならぬのだ」 「ではあれも、そうした深いご用意であったので?」 「もちろん、実戦でもその 域 ( いき )を越えてはならん。 ……三河までは足利家の分国(領分)だが、そこから先を 侵 ( おか )せばしぜん反逆の軍になる。 あくまで我は、受けて立つ、そこが足利家の名分であるぞよ」 「心得ておきましょう」 ぜひなく、直義はそう言ってまもなく 退 ( さ )がって行ったが、決して 釈然 ( しゃくぜん )とした色ではなかった。 いや奮然と死を期して別れ去ったものと見られなくもない。 すると、当夜の夜半だった。 何か、尊氏の寝所の方で、異様な物音がしたので、近習の二人は、押っ取り刀でそこへ駈けこんで行った。 「殿っ」 「おうっ、 介 ( すけ )と頼春か」 「なんでございますな、いまの物音は」 「 盗人 ( ぬすびと )が入ったのだ」 「え、盗人が」 「あかりをつけろ」 「は。 ただ今」 室はまっ暗だったのである。 右馬介は 宿直 ( とのい )の方へ灯を呼んだ。 すると尊氏は、 「ほかの侍どもは入れるな」 と、頼春に命じて、廊の仕切り戸を閉めさせた。 寝所の内には、枕が飛んでいた。 また 研 ( と )ぎすました短い刀が落ちている。 尊氏に投げつけられたものであろう。 隅には小さくなって、うずくまっている人影があった。 そやつでございますな、曲者は」 二人はそばへ寄って行った。 山着の筒袖に 膝行袴 ( たっつけ )を 穿 ( は )き、 布頭巾 ( ぬのずきん )で顔をくるんでいたその者は、左右の腕を、いきなり介と頼春の二人につよく捻じとられたので、いやおうなく伏せていた胸を反らし、覆面のうちを 短檠 ( たんけい )の灯に 曝 ( さら )した。 その顔は、思いがけなく、花みたいに白かった。 「やっ?」 二人は思わず手を離した。 きのう 庫裡 ( くり )へ物売りに来たあの 販 ( ひさ )ぎ 女 ( め )なのである。 またとっさに、あのとき尊氏が言ったことばも思い出されていた。 やさしく訊いてやれよ。 なんでこの尊氏の命を狙うなどの不敵を抱いてここへ忍んできたものか。 ましてまだ年もゆかぬ小娘の身でよ。 よほどな仔細がなくてはなるまい」 「では、これに落ちている刃は」 「その小娘の物だ。 それをもって、わしの寝首を 掻 ( か )こうと神かけていたものだろう。 可恐 ( こわ )いな。 尊氏、大軍は何の怖れともせぬが、こういう目に見えぬところの刃には心も 恟 ( すく )む。 何でわしにさまでな恨みがあるのか、介よ、やさしく訊いてみい。 おそらくは娘も逆上していようほどに、あとでもよい、よくいたわって、訊いておけ」 「かしこまりました」 介が、そう答えると、すぐその尾について、小娘が言ったのだった。 「仰せられますな尊氏さま。 いたわってなど、いただきたくはありません」 「ほ。 いうたな」 「逆上もしておりませぬ。 さむらいの娘です。 仕損じた上の覚悟もしておりまする。 あなたはよくよく悪運のつよいお方。 わたくしは不運なお人たちの味方。 それだけのこと。 すぐご処分をしてくださいませ」 「よし」 尊氏は、うなずいた。 「望みのようにしてやる。 だが、一応の理由を問わねば処分をくだし難い。 まず訊こう。 名は」 「 棗 ( なつめ )といいまする」 「棗か。 して生国は」 「 信濃 ( しなの )の 諏訪 ( すわ )です」 「諏訪の 祝 ( はふり )の一族だの」 「はい。 兄の三郎盛高は、鎌倉の亡ぶ日まで、御先代(高時)の近侍の内の一人でした。 そしてわたくしは」 「あ。 思い出したわ」 「ご存知でしたか」 「二位殿(高時の妾)の御所に仕えていた者であろ。 ……かねて 和氏 ( かずうじ )から聞いていた」 いつであったか。 細川和氏の夜話に聞いたことがある。 高時滅亡の直後。 和氏と弟の 師氏 ( もろうじ )は、浜の漁師小屋で、一夜、ふしぎな小娘を見かけたという。 戦後のちまたには、亡家の女たちが、みな身を売ったり浅ましい 生業 ( たつき )のもとに 生 ( い )き 喘 ( あえ )いでいたが、その小娘は、亡主の二位殿と高時との仲に 生 ( な )した 亀寿丸 ( かめじゅまる )の行方を独りさがしあるいていた。 「そのときの 棗 ( なつめ )とやらだな。 棗か、そちは」 「和氏さまのあのときのお情けは、いまも忘れてはおりませぬ」 「ではその折から、兄や父のいる諏訪へ帰って、亡君のわすれがたみ、亀寿さまのおそばに、再び仕えていたわけだの」 「はい。 兄の三郎盛高は、あの日、亀寿さまを背に負うて、信濃へ落ちておりました」 「むむ。 さすが北条遺臣の中には良い武士はあったのだな。 ……足利直義どの以下を追い落し、ふたたび、亀寿さまをいただいて、この鎌倉へ入ったときの、一族方のよろこびは、ことばにも言いつくせません。 けれどそれもわずか二十日、たちまち、京からあなた御自身が加勢に来て、あわれ私たちの夢は、二十日先代と、世の人が笑うほど、つかの 間 ( ま )に、みじんとなってしまいました」 「ぜひもない。 なべて、弱いものは、亡ぶしかない世の中だ」 「いいえ」 と、棗はするどく首を振った。 解け落ちた頭巾の下も無造作な つかね髪にすぎず、紅白粉も知らない顔はただ 一途 ( いちず )で異様な若さだけに 研 ( と )がれていた。 「おことばですが、ほんとの人らしい人は、弱い群れの中にこそ大勢います。 弱いながら人の美しさを持って必死に生きているものを、そんな者は亡んでしまえとは、あなたらしい言い草です。 だから、わ、わたくしは」 ふと、 嗚咽 ( おえつ )になりかけた。 唇をむすぶ。 キラと目だけで尊氏を射、そして、涙をこらえてから、なお次をいおうと体じゅうの敵意を少しも解いていない。 尊氏は、じっと、見すえた。 男にもこれほどの者は少ない。 女である。 しかも小娘だ。 時代の風雲が作った荒磯の奇形な姫小松の一つともいうべきだろうか。 尊氏は、ふと、からかい気味に、 「だから、どうなのだ?」 と、反問すると、 棗 ( なつめ )は、血ぶくろを切られたようにばッと答えた。 「あなたを殺してやりたいと思ったのです!」 「なんで」 「あなたは強い」 「それだけか」 「それだけではありません。 あなたは悪人だ。 先には、ご恩顧ある北条家を裏切り、今また、朝臣の身で朝敵に立っている」 「はははは」 尊氏は笑った。 だが、どこか 空虚 ( うつろ )をおおいえない笑いでもあった。 朝早い寒雀のさえずりが耳につく。 尊氏は三名をそこへおいたまま黙って廊へ出て行った。 まもなくまた、ここへ戻ってきた彼は、衣服もかえ、洗顔や髪の手入れもすましていた。 そして、 「 介 ( すけ )。 …… 袈裟 ( けさ )を」 と求め、その袈裟を掛け、手に 数珠 ( ずず )を持ってから、介と頼春へ、こういいつけた。 「 棗 ( なつめ )の処置は、そちたち二人へ預けておこう。 あわれな者だ。 酷 ( むご )くはするな」 「はっ」 しかし、二人は当惑顔を見あわせた。 小娘とはいえ 尋常 ( じんじょう )な不敵さではない。 もし逃げでもしたらどうしようかという 惧 ( おそ )れである。 で、そのへんのお指図を仰ぎたいと重ねていうと、尊氏は事もなげに笑い捨てた。 「たまたま、わしの室へ舞い込んだ小鳥のようなものだ。 逃げたいなら元の野へ放してやれ。 居たいなら幾日でもここへおいてやれ。 ま、遊ばせておけばよい」 ゆるい、しかし大きな跫音は、もう本堂のほうへ通う暗い廊を踏んで 遠退 ( とおの )いていた。 例の 勤行 ( ごんぎょう )の時間なのである。 まだ夜のような冬の 晨 ( あした )だが、彼はここに 屏居 ( へいきょ )いらい、朝々のそれを欠かしたことはない。 みずから壇の 燈明 ( とうみょう )をとぼし、 香 ( こう )を 拈 ( ねん )じ、経文一巻をよみあげる。 そのあとも、氷のような 床 ( ゆか )の冷えもわすれきって 禅那 ( ぜんな )の黙想をつづけるのだった。 この修行は彼としてはすでに久しいもので、いま始まったことでもない。 師の 疎石 ( そせき )夢窓国師の許へは、在京中にも折あるごとに 参 ( さん )じていたし、その師を都へ迎えたのも彼であった。 また、後醍醐との禅縁をむすぶにいたらしめた蔭にも彼のすすめがあった。 ただにそればかりでなく、後醍醐と尊氏とのあいだには、 疏通微妙 ( そつうみみょう )な 間 ( かん )に、禅の眼があった。 どっちも、禅の人である。 その 観見 ( かんけん )をとおして互いの人間を 量 ( はか )りあっているところがなくもない。 禅は何らの扮飾も見ない。 直指 ( じきし )人心だ。 赤裸と赤裸だ。 いやその赤裸すら禅にはないのだ。 しかも機応自由の中に世を見つくす、世を生きぬく。 そうして今という大地を舞台にこの両者は禅と禅とのたたかいを無意識に意中でしていたともいえないことはない。 「……。 殿」 誰か、後ろでよんでいた。 われにかえると、尊氏の耳にも遠い所の 貝 ( かい )の 音 ( ね )が聞えていた。 直義 ( ただよし )の軍勢が、今朝、由比ヶ浜から西へ立つはずである。 それだな、とすぐ 覚 ( さと )る。 「 介 ( すけ )か。 ……何事だ」 「はっ。 ただいま山門まで、仁木殿が、出陣のごあいさつまでに、と申しまいて」 「見えたのか」 「はい」 「あいさつだけを受けておけ。 屏居 ( へいきょ )の身だ。 会釈 ( えしゃく )におよばん」 「かしこまりました」 退 ( さ )がる。 まもなく、また来て。 石堂父子がお別れに参りましたと告げ。 つづいては、畠山左京、今川 修理亮 ( しゅりのすけ )、小山の判官、武田甲斐、そのほか幾十将が、出陣のいとま乞いにと訪れたが、尊氏はそのたれへも会わなかった。 そして昼はまた、机によって、独り読書に 耽 ( ふけ )っていたが、なに思い出したか、急に右馬介を呼びたてていた。 「介か。 もそっと、ずっと前へすすめ。 急にそちならではの用事ができた」 「は、何事で」 「極秘のこと、書状にしては万一が 惧 ( おそ )れられる。 しかしそちならば年来の 馴染 ( なじ )みだ。 先の道誉も疑うまい」 「お使いでございますな」 「そうだ。 直義の軍勢は今朝立ったが、佐々木道誉らの 先鋒 ( せんぽう )は、すでに鎌倉を立っておる。 味方のたれ一人にも知られてはまずいのだ。 行く行く味方の陣地を通らねばならんが、そちの顔は余りにも味方には知れすぎておる」 「お案じなされますな。 それほどの御秘命なら、頭を 剃 ( そ )りこぼち、寺の備えにある笠、 法衣 ( ころも )を着てまいります」 「俄か坊主か。 それやよかろう。 そちの使いでも、言葉だけではなお、これほどな大事、なかなか信じぬかもしれぬ」 と、机の上の禅書に、目をおとしていたが、やがて朱筆をとって、その禅書の文字の諸所に、朱点を打ったり、棒を引いたり、また欄外に書き入れするなど、苦吟、長いことかかって、 「これでよい」 と、やっと筆をおいた。 朱 ( しゅ )をたどれば、いわゆる「暗文」をなすのであった。 「 介 ( すけ )。 これならば僧侶が持ってもふしぎはない。 また他人が見ても 解読 ( げどく )はできぬ。 併 ( あわ )せて、これを道誉へ渡せ」 「こころえました。 ではおあずかりしてまいりまする」 「ときに」 と、尊氏はことばをかえて。 朝餉を喰べたあとも、釜屋部屋の片すみに坐ったまま、じっと考えこんでいるのみで、べつに泣いてもおりませぬ。 何か、ご処置のことでも」 「いやべつに」 「では、身の支度もございますので、このままおいとまを」 「待て待て」 「は」 「尊氏はつつしみの身、かかることを命じた者は、尊氏ではないぞ。 裏山の網引き地蔵が命じるのだ。 たとえ途中で 直義 ( ただよし )の陣に行き会い、直義と出会うても申すなよ、道誉の件は」 「申すことではございませぬ」 右馬介は退がって、こっそり一と間のうちで頭をまろめ、法衣、 頭陀袋 ( ずだぶくろ )の 雲水姿 ( うんすいすがた )になりすました。 同僚の頼春は、それを見て驚いた。 しかしその頼春にさえ、介は、仔細を打ちあけなかった。 そしてただ、 「どうだこの姿、お地蔵そっくりだろう。 じつは裏山の網引き地蔵尊のお使いで急に西の旅へ立つ。 頼春どの留守をたのむぞ。 わけてあの小娘に油断するな」 とばかり、冗談に言いまぎらわし、たそがれの山門から 飄 ( ひょう )として飛び出て行った。 官軍は、十一月の二十五日、三河の 矢矧 ( やはぎ )まで来て、はじめて足利勢の抵抗をうけた。 海道の合戦は、この日に始まり、交戦三日後には早やそこの 矢矧 ( やはぎ )川も官軍二万の 後方 ( しりえ )におかれていた。 そして序戦にやぶれ去った足利方の 先鋒 ( せんぽう )高ノ 師泰 ( もろやす )は、 鷺坂 ( さぎさか )(遠州見附の北)までなだれ退いて、 「残念だが、味方の来援を待つしかない」 とし、初めからおおうべからざる敗勢だった。 師泰らが、無念がったのも、むりではない。 彼らは、すでに当初、 「矢矧川から西へは一歩も進んではならぬ」 という軍命令の下におかれていたのである。 当然、こんな制約下では士気もあがらず、積極的な作戦もとれなかったにちがいない。 官軍は強かった。 わけて新田義貞の 采配 ( さいはい )振りも、かつての鎌倉入りの日以上な冴えで、その用兵ぶりなど、さすがと思われるものがある。 加うるに、 王軍 の威光もあった。 なんといっても錦の旗には人心がひかれる。 多くの犠牲を捨てながらも、兵数は逆にふくれあがっていた。 土地土地の土豪の参加、降参兵の投入。 勝敗の 帰趨 ( きすう )はもう、それだけでも官軍強し、と誰の目にも 卜 ( ぼく )しうるものがあったのだ。 鎌倉をややおくれて出た足利 直義 ( ただよし )の本軍は、手越で味方の退却とひとつになった。 ほとんど全兵力の足利勢がここに結集したわけである。 直義はすぐ布陣を立て直し、士気をはげまし、 「もしここでもやぶれたら、われらの途は死しかないぞ。 万事は 休 ( や )む」 と、みずから指揮の陣頭に立った。 激戦幾昼夜。 しかしここでも一戦ごとに、足利勢は敗色を否みようなくしていた。 その上にもである。 突如、 「佐々木道誉の一軍が、義貞へ降参をちかって寝返った」 という驚くべき声が陣中を騒がせはじめた。 「よもや?」 直義はなお信じかね、また、とくに、道誉とは 昵懇 ( じっこん )な高ノ師直なども、 「そんなばかな。 おそらく、それは敵方の 流言 ( るげん )だろう」 と、頑強に否定していた。 けれど彼の信念も 半刻 ( はんとき )とは持たなかった。 道誉が守備していた上流から押し渡った官軍の強力な大部隊が、夜のうち早くも味方の後方にまわって、直義の退路を 断 ( た )ちにかかっているとすぐ分った。 「すわ!」 と、ここに暁の総なだれをおこし、その日から翌日へかけ、海道は敗走の足利兵がひきもきらず、直義はやがて、箱根の 水飲 ( みずのみ )(三島口の山中)に拠って、味方をまとめていると聞えた。 このとき。 もし官軍が急追さらに急追撃を加えていたら、直義は危なかったかもしれず、鎌倉も一挙に義貞の 馬蹄 ( ばてい )の下であったかもしれない。 だが官軍も連日の戦いで疲れていた。 それに心も 驕 ( おご )っていたか、義貞はつい国府の三島に馬を 駐 ( と )めて数日は凱歌の快に酔ってしまった。 どんどん、どん…… さっきから山門の外を烈しく叩いている者がある。 朝だが、まだ星があって、浄光明寺の内はまっ暗だった。 だが、尊氏はすでに起床していた。 いつものとおり 勤行 ( ごんぎょう )の 座 ( ざ )にすわるためにである。 かじかむ手、白い息、みずから 灯 ( とも )す 燈明 ( とうみょう )の虹の中に彼はふと耳をすまして、頼春頼春、と二た声ばかり呼んだ。 すぐ 庫裡 ( くり )のほうから跫音がとんで来る。 近習の頼春であった。 釜屋働きの 襷 ( たすき )を解いて。 何ぞお召で」 「お」 と言って、尊氏はまた、遠い所の音を待つように 面 ( おもて )を澄ました。 「頼春。 外は風だな。 聞えなかったか?」 「はて。 何かお耳に」 「しきりに山門を打叩く者があった。 風の音とも思われぬ」 「それはどうも。 …… 竈 ( かまど )に火をたきつけておりましたので、つい、うかとしておりました。 ことによったら、お待ちかねの右馬介が立帰ってまいったのかもしれませんな」 「いやいや、一両人でない、馬のいななきもしたようだった。 うかと門を開けず、まず何者かをたしかめて来い」 頼春はかしこまって、すぐ外へ駈けだして行った。 そのとき、山門の外の者は、あきらめたのか、鳴りをひそめていた。 が、なるほど少なからぬ人馬が 騒 ( ざわ )めいている様子だった。 頼春は、太刀の鯉口をかたくつかんだ。 武者の習性といっていい。 すぐ不測な敵の襲来が胸をつきぬけていたのである。 そこで彼はいわれたとおり、 門扉 ( もんぴ )の かんぬきもそのままに、まず何者か? また何の用か? を大音声でたずねていた。 そしてまもなく。 彼は、門外の者の答えを持って、もとの本堂へもどって来た。 が、尊氏は、はや 勤行 ( ごんぎょう )の座について、読経をあげていた。 そして機をうかがっていたが、近づいていえる機はなかなかなかった。 「…………」 いつか堂の 欄間 ( らんま )に朝の陽の刎ね返りが映していた。 尊氏はやっと、 趺坐 ( ふざ )をかえて、頼春をふりむいた。 「どうした? 門外のことは」 「お味方の 勢 ( ぜい )にござりました」 「味方」 「は。 ……戦場より抜けてこれへ急使としておいでなされた 下御所 ( しもごしょ )( 直義 ( ただよし ))さまのお旗本、上杉伊豆守重房、 須賀 ( すが )左衛門、そのほか十騎ばかりの」 「ならば門をあけてやれ」 「お目通りへ 請 ( しょう )じてもよろしゅうございましょうか」 「む。 二人だけを」 「では、すぐこれへ」 頼春は、飛んで戻った。 そして山門をひらくと、 破 ( や )れ 鎧 ( よろい )、あるいは乱髪、または 負傷 ( ておい )の足をひきずるなど、惨たんたる敗戦の泥土をそのまま身に持った武士大勢が、ぞろぞろ霜を踏んで境内へ入って来た。 尊氏は道服に 袈裟 ( けさ )すがた。 通されて平伏した二人は 血泥 ( ちどろ )もそのままな戦場の身なりである。 尊氏は後ろの頼春へむかって、 「 御壇 ( みだん )の 御明 ( みあか )しを消せ」 と、命じ、さらに、 「堂の四面の扉を閉めろ」 と、先にいいつけた。 それから使者二人の話を聞き、また直義からの書状も見て、さて言った。 「むむ。 いくさは負けか。 直義以下そんなにもさんざんにやぶれたのか」 「まことに面目もござりませぬ。 矢矧川 ( やはぎがわ )の一戦を仕損じてからは、海道の要害でも、いたる所でお味方は討ちなされ、あまつさえ、手越河原では佐々木道誉の裏切りなどもあって、残念至極ながらいかんともなしがたく」 「そうだろう。 さればこそ、恭順の意を 表 ( ひょう )し、戦は、義貞との対決として、直義以下のそちたちにまかせたのだ。 敗れてからの泣き言などは聞きぐるしいぞ」 「ゆめ、泣き言など申しはしません!」と、上杉伊豆守(重房)は大声で言い返した。 これは 憲房 ( のりふさ )の長子である。 したがって、尊氏とも他人ではない。 「……まずはお聞きくださいまし。 直義さまはいわずもがな、足利方の諸士、みな名に恥じぬ戦はしたとおもいます。 けれど、敵は官軍の名に誇り、いまや三万におよぶ大兵を 擁 ( よう )すにいたり、お味方はといえば、からくも箱根山中の一 塁 ( るい )二塁にしがみついて、孤軍、必死のふせぎにあたっておりまする」 「わかった。 いま、直義の書状に見るも、その 辛 ( つら )さのほどはようわかる。 ……だが、それゆえ、わしに 起 ( た )てとすすめに来ても、それは無理だろ」 「なぜ、ご無理ですか」 「尊氏は公約しておる。 本心、朝敵たるは好まぬところと」 「でも、過ぐる日、朝廷では、尊氏ノ官位ヲ 褫奪 ( チダツ )ス、と世に公布しておりまする」 「仔細ない、仔細ない」 「のみならず、軍状その他、すべて官軍の合言葉は、逆臣尊氏でしかありませぬ」 「それもよし」 「いや殿はそうでも、朝廷方では、殿の恭順など一切みとめてなどおりません。 さらには、ご舎弟 直義 ( ただよし )さまをも、お見殺しになさるお腹でございましょうか。 いまや箱根の 孤塁 ( こるい )には、 譜代 ( ふだい )の御一族の全生命が、ただ一つのお救いのみを、ひたすら、お待ちしておりますものを」 重房が言い疲れると、代ってまた、須賀左衛門が言って、尊氏へ迫った。 じっと、恐い目をしたまま、黙りこくっている尊氏へ。 「何としても、おきき入れかなわぬ上はこれまでのものです。 御一門の 魁 ( さきがけ )に、まずわれら両名ここの 御堂 ( みどう )を拝借して、腹掻ッ切って相果てまする」 「…………」 「また直義さまも、孤軍の味方も、箱根の一 塁 ( るい )を枕に、立ち腹切るか、斬り死にか、いずれともみな最期の途をえらぶでしょう」 「…………」 「ですが、これがわが殿のご誓約であったでしょうか。 よもあれをお忘れではございますまい。 いらい拙者どもは、それのみを、ただただ、弓矢の大願とちかい、子を捨て、親の死をも見てきました」 「…………」 「しかるに今日、殿には、恭順を 称 ( とな )えて寺を出で給わず、それもそのお心が、 天聴 ( てんちょう )にとどいているならまだしものこと、そうでもないのに、ひとり何を守ろうとなさるのか。 われら将卒には、得心がゆきません。 ……孤軍の御舎弟を見殺しにし、お味方すべてをも失ッた後に、いったい何があるのでしょう。 ……あわれ、三河におわす千寿王さま、みだい所さま、いや足利一類と見なさるる者、ひとりも世には残りますまい」 ことばは、 切々 ( せつせつ )、ていねいであっても、身はそのまま戦場人の二人だった。 このとき、上杉重房も言った。 「左衛門ッ。 これまでだ。 殿はつんぼとみえる。 もう申すもせんない。 やめろっ、腹切ッてお目にかけるばかりだわ」 「おうっ、 御覧 ( ごろう )ぜよ殿」 二人は坐り直した。 革胴の紐を解いて短刀を左に持った。 しかし、尊氏の蔭に控えていた頼春が、ばっと進み出て二人を止めた。 たかぶる声と声の下に三名のからだは一つものに見え、相擁しながら、主君を後ろに、その主君を罵倒し、 「見損った! ああ、見損ったおれたち家来も馬鹿だッた」 と、無念泣きに泣き入ってしまったのであった。 すると尊氏は初めて、 「頼春」 と、重い口をひらき、身に掛けていた 袈裟 ( けさ )を外して、 「 袈裟筥 ( けさばこ )へおさめておけ。 そしてまず朝飯を食おう。 それからすぐ身仕度だ、 具足櫃 ( ぐそくびつ )を取出して来い」 と、いいつけた。 何か 凛 ( りん )とした語気だった。 そして命じ終るやいな本堂を立って方丈の方へ行ってしまった。 「や、や?」 頼春は 躄 ( いざ )るように、主君の姿を、廊の外へ追いふためいて。 「 殿々 ( とのとの )、よろい 櫃 ( びつ )とは、お身仕度とは、ご出馬のご用意にござりまするか」 「おおよ!」 遠くの 房 ( ぼう )の内で、尊氏の返辞が、大きく聞えた。 本堂前には 大焚火 ( おおたきび )が 焚 ( た )かれた。 浄光明寺のうちも外もたちまち活気と人ざわめきの 坩堝 ( るつぼ )と変り、尊氏は、あらためて方丈へ呼びよせた上杉重房と須賀左衛門のふたりへ、 「すぐ行け」 と、何事かを命じていた。 ふたりはすぐ馬にとび乗って山門を出て行った。 おそらくは鎌倉じゅうを駈けまわり、なお各所の木戸や屋敷には多少残っている留守の将士へ、尊氏の出馬を告げ、 「すぐ御馬前へ集まれ」 と、 布令 ( ふれ )に廻ったものに相違なかろう。 尊氏はそのあとで 芋粥 ( いもがゆ )を三杯も喰べた。 出陣には武門しきたりの古式もあるのだが、家族はおらず、時もこんな場合である。 頼春の給仕のみで、すぐ 粥腹 ( かゆばら )に 鎧 ( よろい )を着込む。

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えま おうが す 炎上

キャラクター自体の炎上。 それはVtuberの特徴の一つである。 他のコンテンツで炎上があったとしても、原作者や声優、制作会社etc……といった背景が燃えているのであって、キャラクターそのものは燃えていない。 例えキャラクターの言動に火がついても、そこから作者に引火していって全ての火は生み手に移るだろう。 良くないことを言えば彼・彼女自体が燃えるし、焦げた跡が残る。 そしてだからこそ、毒のある面白さが生じるのだ。 にじさんじというシステムの核を焦がすような小火で焼き上がった。 新規ライバーを取り入れ続けることで新鮮さを維持し、関係性というオタクホイホイを増加させ、なおかつ事業としてのリスクを軽減する仕組みに対して雑に触れた結果、スク水魔王は焦げたのだ。 彼女はにじさんじの先輩である森中花咲と友人であった上、抱える事情により森中宅に一時同居していた。 その関係・同棲状況を活かした配信の数々は、独特の空気感もあって人気となった。 個人的に評せば最高だった。 しかしその最高さ、面白さはハコが今まで積み上げてきたことありきだ。 そんなライバーが機構に逆らうことを言うのは、火種を作るのに最適なムーブだろう。 そんなこんなで起こるべくして起きた火起こしは終わり、炎上跡には触れにくいことが幾つか誕生し、みっくすあっぷに繋がっていく。 触れにくいことに触れるのは、正直面白い。 禁忌は魅力に溢れている。 vの前世や魂然り、vの叡智然り、vの炎上然り。 無論苦手な人もいるだろうが、魅力を感じる層も相当数存在するはずだ。 ならば、アンタッチャブルなことだらけの中で放送されたはどうなるか? 当然面白くなるに決まっている。 録画という形式が選択されたこともあり、過去に録ったことが複雑な意味を勝手に孕んで黒いユーモアを産む。 収録はスク水に火が通る前にも関わらず、危ないネタがどんどん放り込まれて意味深になる。 チャイカと言えばそこそこ炙られたことがあったし、群道先生と言えばまああれだし、えまおうもアレだ。 センシティブな話題は飛び交い放題だし、共通の話題(森中)もあるし、森中コネネタもあるし、えまかざ同棲に対応するみれろあ同棲もあるのだ。 企画自体がそんなに特異でないとくれば、ラインスレスレの掛け合いを繰り広げようとするのもやむなし。 そうしてぶっこまれた炎上ネタの数々は魔王様のボヤ騒ぎにより、更に意味を持つ。 私見では最高だ。 ぜひ該当回とを見てほしい。 森中宅の床焦がしと森中宅での滝行提案はナイス切り返しだったので。 Vtuberは小規模炎上により拡散するし、輝くのではないかと考えは強まってきた。 小規模であれば、炎上によるメリットがデメリットを上回るのではないかとも考えられる。 (ちなみに魔王様の今回の炎上でも登録者は300人消えただけだったし、それもすぐに戻った)。 問題はここからで、どの程度が『小規模』なのかということだ。 が、かの事例も利の方が大きいだろう。 今回はにじさんじというハコの根幹を燃やしていったが、被害の規模はそう広がっていない。 であれば、どこまでがアウトになるのか。 過去の事例を参考に最悪なパターンから潰していくと、不法行為はもちろん、バーチャルでない魂での性的な関係の炎上も許容範囲外の大火になるはずだ。 しかし、小さい火を積み重ねた末に謹慎まで繋がった事例も存在する。 今後は炎上の頻度にも注目してVtuberを見ていくと、興味深い気づきを得られそうだ。 次の記事では、Vtuberは闇が面白いからこそ物述有栖は光であり輝くんですよという話を書こうかしらん。

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えまおうがすと中の人が気になる!弟が実家放火や新人にブチ切れ炎上でヤバイ!|ぶひチューバ―TV

えま おうが す 炎上

魔界から逃げてきた女の子という設定で、いつもスクール水着を着ています。 また、年齢は驚きの2,477歳で、昭和歌謡や旅行、仮面ライダーなどが好きであることでも知られています。 特定が困難とされる理由には、デビューするまでPCに触れたことがなかったことが挙げられます。 機械音痴ということは、「にじさんじ」に所属が決まるまでは、一般企業などで働いていた可能性が高いですね。 何と、同じく「にじさんじ」に所属している森中花咲からの誘いを受け、オーディションへと参加したのです。 実家にいた際に、弟が台所に油を撒き、火を付けたという衝撃の内容でした。 アイドルオタク用語で、ライブ会場の後方などで、ステージ上の押しを見守るように応援しているファンのことを指します。 彼氏面をしていることから、このように呼ばれていますが、本当の彼氏ではありません。 」と語りました。 この配信は非公開でしたが、新人ライバーを批判するような内容だったので、炎上騒動へと発展してしまいました。 また、にじさんじの運営にも、「無法地帯」など、批判をしていました。 後日、奈羅花とにじさんじに対し、謝罪のツイートをしています。 先日の自分の発言は、考え足らずで最低なものでした。 何一つ正しくなかったです。 我に返りゾッとしました。 ごめんなさい。 新人の方の出鼻を挫くような行動をとってしまい、また、にじさんじ全体の信用も下げるような結果になってしまったこと、本当に申し訳なく思っています。

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