今日 人類 が 初めて 木星 に 着い たよ。 たま さよなら人類

さよなら人類/らんちう

今日 人類 が 初めて 木星 に 着い たよ

1990年にリリースされた たまの『さよなら人類』。 その謎めいた歌詞で様々な解釈・憶測を呼んできました。 世間一般では環境問題や人類文明について歌った歌という解釈が多いようです。 しかし作詞者の柳原氏は「大した意味はない」という趣旨の言葉をインタビューに答えています。 柳原氏の発言が本心によるもの、と仮定しましょう。 「大した意味はない」ということは、まったく意味がないわけではないのです。 つまり無意味に言葉を羅列した無意味な歌(いわゆる電波ソング)ではないのでしょう。 ここでは「ラブソング」という仮定に立って解釈します。 前提としては、• ラブソングである。 壮大なテーマの歌ではないが無意味な歌でもない。 時事ワードや小ネタが入っているが、それ自体には大きな意味はない。 あのこ=僕の憧れのあの子。 僕の骨=ちんぽ ということが念頭にあります。 ちなみに私は童貞なので恋愛については想像で語ります。 僕と同じ空気で呼吸しながら、同じ空の下で、このどこか不穏なこの世界で、まだつぼみのように純粋に生きている。 ) いきなり「二酸化炭素」で始まります。 このため、環境問題の歌と解釈されることが多いです。 しかし私は、二酸化炭素という言葉は、「呼吸」に対する枕詞的用法であって、その言葉自体には大きな意味は存在しない、と解釈します。 気になる「あの子」がいること、その人はつぼみのような存在であること、が語られています。 野良犬は僕の骨くわえ 野生の力をためしてる/路地裏に月が落っこちて 犬の目玉は四角だよ (一方で僕は何処の誰とも分からない女にちんぽをくわえさせて、愛のないセックスをしている。 路地裏に月が落っこちて(?)、女は四角いお札に夢中、そんな自堕落な生活を送ってる。 ) どうもこれらの言葉は性的なニュアンスを含んでいるように思えます。 僕の骨=ちんぽという解釈です。 骨もちんぽも人体の一部であって固い棒状の物体です。 この僕の骨=ちんぽという解釈は、私が歌詞全体を解釈するにあたっての出発点となりました。 犬が野良犬であって飼い犬などではないことは、その関係が一時的なものであることを暗示します。 つぼみのようなあの子の話から随分場面が飛躍するように思えますが、「気になるあの子がいるけど、きっと自分には手の届かない存在だと諦めていて、一方で欲に溺れて金で女を買ってる」という現状を歌っているのではないでしょうか。 路地裏におっこちる月がどういう意味なのか、最後まで分かりませんでした。 世間では天変地異と解釈される場合が多いようですが、僕の骨ちんぽ説によれば少なくともその可能性は除外されます。 月は妊娠と関連付けられていることから、堕胎の話のようにも見えます。 しかしそれでは少々話が飛躍し過ぎに思えます。 射精の暗示でしょうか。 あるいは月が沈んで日が昇るということから、単に夜が明けるということかもしれません。 目玉が四角について、お金(四角い紙幣)に夢中になっていると解釈しました。 目が丸くなる、点になるなどの表現は一般的ですが、四角はあまり聞いたことがありません。 海外では、「テレビに夢中になってると目玉が四角くなるぞ」という言い回しがあるそうです。 テレビ画面は四角いからです。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 「木星に着いた」それ自体は大した意味はない、と。 「なんだか世界はすごいことになってる」程度の意味だと思います。 そしてそれと対比して、自分のつまらない現状をピテカントロプスのようだと嘆いているのではないでしょうか。 世間一般では「人類文明が野蛮な状態に陥る」と解釈されていますが、僕の骨ちんぽ説は壮大なテーマを否定し、もっと小さいスケールの素朴なラブソングとの前提に立っています。 よく知られた話として、このサビのメロディーは組曲『惑星』の『木星』のメロディーをベースとしています。 さらに有名SFの『2001年宇宙の旅』が映画版のストーリーで人類が木星に有人探査を行うという筋書きになっていることから連想して「木星に着いた」という一節が生まれた、と言われます。 そのことから考えても「木星に着いた」という言葉それ自体は連想ゲームの産物で、大きな意味はないと考えられます。 アラビアの笛の音ひびく 街の外れの夢のあと/つばさをなくしたペガサスが 夜空にはしごをかけている (世間では中東情勢が話題になってるけど、そんなことより見てくれよ、僕の周りの虚しい現実を。 あそこでは一度道を踏み外した人間が人生を取り戻そうとして、無駄なあがきをしている。 ) 「アラビアの笛」も「二酸化炭素」同様に大した意味はない、「街の外れ」や「夢のあと」への枕詞的に使われた時事ワードだと思います。 「夢のあと」は「虚しい現実」を意味する比喩表現として頻繁に使われる表現です。 ペガサスは天馬ともいわれる翼の生えた馬で、古来から高貴の象徴とされてきました。 武器をかついだ兵隊さん 南へゆこうとしてるけど/サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚してる (あっちでは、やたら勇ましいことを言ってる人間がいるけど、その言葉から滲み出る本音は本人の気付かないところで周りから煙たがられてるんだ。 ) これも別に軍国主義批判という大仰な話ではなく、虚しい現実世界の卑近な住人の話だと思います。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 歌を忘れたカナリア/牛を忘れた牛小屋 (自らの本文を忘れた人々達。 内側にあるべきものを忘れた世界の枠組み。 ) 間にサビが入りますが、「つばさをなくしたペガサス」「武器をかついだ兵隊さん」から続く虚しい現実を表現した言葉だと思います。 こわれた磁石をひろいあつめる 博士はまるはげさ (そんな虚しい世界で、僕は気取って愛の言葉を拾い集めてるけど、その実像なんてカッコいいもんじゃないんだ。 ) 「磁石」「博士」ということで、科学技術に関連するという解釈が多いようです。 しかし僕の骨ちんぽ説では、この博士は僕ということになります。 こわれた磁石をひろいあつめるという一節は、歌詞の最後の方でも出てきます。 そこから考えると、博士=僕と解釈したほうが整合性が高いです。 博士(専門家)のように気取ってるけど、まるはげ頭のダサい奴という自虐と受け止めることができます。 そして博士=僕という仮定で考えると、磁石=言葉では。 言葉は時に人を惹きつけ時に反発させます。 間奏 あのこは花火を打ち上げて この日が来たのを祝ってる/冬の花火は強すぎて ぼくらの体はくだけちる (僕はひょんなことから気になるあの子と恋仲になった。 無邪気なあの子は慣れない恋にはしゃいでいる。 だけど加減を知らないあの子とは上手くいかずに、互いに傷つけあってひと冬の恋で終わってしまったのさ。 ) 長い間奏があります。 サビは挿入されません。 場面が転換し、つぼみのように揺れていたあの子が出てきます。 あの子が打ち上げた花火で僕らの体が砕け散ります。 僕らというのはおそらく僕とあの子でしょう。 そうすると僕とあの子は近くにいたということになります。 花火を核兵器と解釈して、文字通り体が砕け散るという解釈もありますが、僕の骨ちんぽ説によると恋の破綻の比喩となります。 あこがれの人と幸運にも付き合えることになったけど、あっという間に砕け散ったのです。 ブーゲンビリアの木の下で 僕はあのこを探すけど/月の光に邪魔されて あのこのかけらはみつからない (それから僕はあでやかな夜の街をさまようのだけど、あのこの面影を見つけることはできないし、寂しさを紛らわすことはちっともできないな。 ) ブーケンビリアは鮮やかな花です。 「月の光」から場面は夜であることが分かります。 前述した失恋という解釈を前提とすれば、夜の街で寂しさを紛らわそうとして、元の虚しい生活に戻っていくという情景が自然と浮かんできます。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 恋に破れて改めてこのフレーズを歌います。 さるにはなりたくない さるにはなりたくない/こわれた磁石を砂浜で ひろっているだけさ (こんな惨めな生活は嫌だ。 こんな惨めな生活は嫌だ。 僕はただ流れ着く言葉を拾い集めているだけなんだ。 ) 現状を受け入れることへのささやかな抵抗を歌っていると解釈できます。 2行目の歌詞を見ると、こわれた磁石を拾っているのは僕ということになります。 これは前述した「博士=僕」「磁石=言葉」という解釈に繋がります。 彼は街で拾い集めてるのではなく、砂浜で流れ着いたものを拾っているということになります。 「二酸化炭素」だとか「アラビアの笛」だとか意味深な言葉が出てきましたが、それは拾い集められた磁石なのかもしれませんね。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 最後にもう一度世の無常を歌います。 さるに なるよ さるに なるよ (もう、諦めてしまうしかないのかな。 ) 最後に、諦めにも似た心境を寂しそうに歌って幕を閉じます。 以上ラブソングという仮定に立って解釈しました。 この解釈が正しいのか、世間一般で言われている壮大なテーマだという解釈が正しいのか、わかりません。 しかし、いずれにしても色褪せることのない素敵な歌ですね。

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木星

今日 人類 が 初めて 木星 に 着い たよ

On April 10, as we humans were struggling through our new normal in a world wracked by a pandemic, a little space probe millions of kilometres away was marking a mission milestone. NASA spacecraft Juno made its 26th perijove, swooping in for a close flyby of Jupiter. From this practically cuddling altitude of 4,200 kilometres 2,600 miles , the spacecraft can take close measurements of our Solar System's biggest planet. And, using its JunoCam instrument, it can take photographs that reveal the glorious details of Jupiter's swirling, turbulent clouds. This image, processed from the raw images by NASA software engineer Kevin Gill and enhanced by space enthusiast Michael Galanin, shows the planet's north, an area raging with intense storms known as a folded filamentary region, the clouds stretched and folded by Jupiter's constant winds. These regions are found at both north and south, right up to the cyclones at each pole, and they are often sprawling, chaotic regions. The rotation usually seen in cyclones only appears sporadically in some substructures; the storms are only partially closed, and they blow turbulent streamers into their adjacent jetstreams. Although we've known of these regions from Voyager, Cassini and Hubble photographs, Juno has taken the best images of these wild clouds we've ever seen, allowing us to understand them in much greater detail. Juno has also shown us that these storms aren't just skin deep - they can extend up to 3,000 kilometres 1,900 miles below the cloud tops. 177• 918• 164• 1633• 558• 294• 1640• 373• 178• 190• 857• 276• 995• 307• 343• 272• 442• 463• 102• 221• 108• 144• 114• 146• 125• 248• 111• 280• 528• 738• 225• 215• 153• 12 最近のコメント.

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【ジュノー木星到着】ジュノーってなに?【Doodle】

今日 人類 が 初めて 木星 に 着い たよ

1990年にリリースされた たまの『さよなら人類』。 その謎めいた歌詞で様々な解釈・憶測を呼んできました。 世間一般では環境問題や人類文明について歌った歌という解釈が多いようです。 しかし作詞者の柳原氏は「大した意味はない」という趣旨の言葉をインタビューに答えています。 柳原氏の発言が本心によるもの、と仮定しましょう。 「大した意味はない」ということは、まったく意味がないわけではないのです。 つまり無意味に言葉を羅列した無意味な歌(いわゆる電波ソング)ではないのでしょう。 ここでは「ラブソング」という仮定に立って解釈します。 前提としては、• ラブソングである。 壮大なテーマの歌ではないが無意味な歌でもない。 時事ワードや小ネタが入っているが、それ自体には大きな意味はない。 あのこ=僕の憧れのあの子。 僕の骨=ちんぽ ということが念頭にあります。 ちなみに私は童貞なので恋愛については想像で語ります。 僕と同じ空気で呼吸しながら、同じ空の下で、このどこか不穏なこの世界で、まだつぼみのように純粋に生きている。 ) いきなり「二酸化炭素」で始まります。 このため、環境問題の歌と解釈されることが多いです。 しかし私は、二酸化炭素という言葉は、「呼吸」に対する枕詞的用法であって、その言葉自体には大きな意味は存在しない、と解釈します。 気になる「あの子」がいること、その人はつぼみのような存在であること、が語られています。 野良犬は僕の骨くわえ 野生の力をためしてる/路地裏に月が落っこちて 犬の目玉は四角だよ (一方で僕は何処の誰とも分からない女にちんぽをくわえさせて、愛のないセックスをしている。 路地裏に月が落っこちて(?)、女は四角いお札に夢中、そんな自堕落な生活を送ってる。 ) どうもこれらの言葉は性的なニュアンスを含んでいるように思えます。 僕の骨=ちんぽという解釈です。 骨もちんぽも人体の一部であって固い棒状の物体です。 この僕の骨=ちんぽという解釈は、私が歌詞全体を解釈するにあたっての出発点となりました。 犬が野良犬であって飼い犬などではないことは、その関係が一時的なものであることを暗示します。 つぼみのようなあの子の話から随分場面が飛躍するように思えますが、「気になるあの子がいるけど、きっと自分には手の届かない存在だと諦めていて、一方で欲に溺れて金で女を買ってる」という現状を歌っているのではないでしょうか。 路地裏におっこちる月がどういう意味なのか、最後まで分かりませんでした。 世間では天変地異と解釈される場合が多いようですが、僕の骨ちんぽ説によれば少なくともその可能性は除外されます。 月は妊娠と関連付けられていることから、堕胎の話のようにも見えます。 しかしそれでは少々話が飛躍し過ぎに思えます。 射精の暗示でしょうか。 あるいは月が沈んで日が昇るということから、単に夜が明けるということかもしれません。 目玉が四角について、お金(四角い紙幣)に夢中になっていると解釈しました。 目が丸くなる、点になるなどの表現は一般的ですが、四角はあまり聞いたことがありません。 海外では、「テレビに夢中になってると目玉が四角くなるぞ」という言い回しがあるそうです。 テレビ画面は四角いからです。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 「木星に着いた」それ自体は大した意味はない、と。 「なんだか世界はすごいことになってる」程度の意味だと思います。 そしてそれと対比して、自分のつまらない現状をピテカントロプスのようだと嘆いているのではないでしょうか。 世間一般では「人類文明が野蛮な状態に陥る」と解釈されていますが、僕の骨ちんぽ説は壮大なテーマを否定し、もっと小さいスケールの素朴なラブソングとの前提に立っています。 よく知られた話として、このサビのメロディーは組曲『惑星』の『木星』のメロディーをベースとしています。 さらに有名SFの『2001年宇宙の旅』が映画版のストーリーで人類が木星に有人探査を行うという筋書きになっていることから連想して「木星に着いた」という一節が生まれた、と言われます。 そのことから考えても「木星に着いた」という言葉それ自体は連想ゲームの産物で、大きな意味はないと考えられます。 アラビアの笛の音ひびく 街の外れの夢のあと/つばさをなくしたペガサスが 夜空にはしごをかけている (世間では中東情勢が話題になってるけど、そんなことより見てくれよ、僕の周りの虚しい現実を。 あそこでは一度道を踏み外した人間が人生を取り戻そうとして、無駄なあがきをしている。 ) 「アラビアの笛」も「二酸化炭素」同様に大した意味はない、「街の外れ」や「夢のあと」への枕詞的に使われた時事ワードだと思います。 「夢のあと」は「虚しい現実」を意味する比喩表現として頻繁に使われる表現です。 ペガサスは天馬ともいわれる翼の生えた馬で、古来から高貴の象徴とされてきました。 武器をかついだ兵隊さん 南へゆこうとしてるけど/サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚してる (あっちでは、やたら勇ましいことを言ってる人間がいるけど、その言葉から滲み出る本音は本人の気付かないところで周りから煙たがられてるんだ。 ) これも別に軍国主義批判という大仰な話ではなく、虚しい現実世界の卑近な住人の話だと思います。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 歌を忘れたカナリア/牛を忘れた牛小屋 (自らの本文を忘れた人々達。 内側にあるべきものを忘れた世界の枠組み。 ) 間にサビが入りますが、「つばさをなくしたペガサス」「武器をかついだ兵隊さん」から続く虚しい現実を表現した言葉だと思います。 こわれた磁石をひろいあつめる 博士はまるはげさ (そんな虚しい世界で、僕は気取って愛の言葉を拾い集めてるけど、その実像なんてカッコいいもんじゃないんだ。 ) 「磁石」「博士」ということで、科学技術に関連するという解釈が多いようです。 しかし僕の骨ちんぽ説では、この博士は僕ということになります。 こわれた磁石をひろいあつめるという一節は、歌詞の最後の方でも出てきます。 そこから考えると、博士=僕と解釈したほうが整合性が高いです。 博士(専門家)のように気取ってるけど、まるはげ頭のダサい奴という自虐と受け止めることができます。 そして博士=僕という仮定で考えると、磁石=言葉では。 言葉は時に人を惹きつけ時に反発させます。 間奏 あのこは花火を打ち上げて この日が来たのを祝ってる/冬の花火は強すぎて ぼくらの体はくだけちる (僕はひょんなことから気になるあの子と恋仲になった。 無邪気なあの子は慣れない恋にはしゃいでいる。 だけど加減を知らないあの子とは上手くいかずに、互いに傷つけあってひと冬の恋で終わってしまったのさ。 ) 長い間奏があります。 サビは挿入されません。 場面が転換し、つぼみのように揺れていたあの子が出てきます。 あの子が打ち上げた花火で僕らの体が砕け散ります。 僕らというのはおそらく僕とあの子でしょう。 そうすると僕とあの子は近くにいたということになります。 花火を核兵器と解釈して、文字通り体が砕け散るという解釈もありますが、僕の骨ちんぽ説によると恋の破綻の比喩となります。 あこがれの人と幸運にも付き合えることになったけど、あっという間に砕け散ったのです。 ブーゲンビリアの木の下で 僕はあのこを探すけど/月の光に邪魔されて あのこのかけらはみつからない (それから僕はあでやかな夜の街をさまようのだけど、あのこの面影を見つけることはできないし、寂しさを紛らわすことはちっともできないな。 ) ブーケンビリアは鮮やかな花です。 「月の光」から場面は夜であることが分かります。 前述した失恋という解釈を前提とすれば、夜の街で寂しさを紛らわそうとして、元の虚しい生活に戻っていくという情景が自然と浮かんできます。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 恋に破れて改めてこのフレーズを歌います。 さるにはなりたくない さるにはなりたくない/こわれた磁石を砂浜で ひろっているだけさ (こんな惨めな生活は嫌だ。 こんな惨めな生活は嫌だ。 僕はただ流れ着く言葉を拾い集めているだけなんだ。 ) 現状を受け入れることへのささやかな抵抗を歌っていると解釈できます。 2行目の歌詞を見ると、こわれた磁石を拾っているのは僕ということになります。 これは前述した「博士=僕」「磁石=言葉」という解釈に繋がります。 彼は街で拾い集めてるのではなく、砂浜で流れ着いたものを拾っているということになります。 「二酸化炭素」だとか「アラビアの笛」だとか意味深な言葉が出てきましたが、それは拾い集められた磁石なのかもしれませんね。 今日人類が初めて木星に着いたよ/ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ (世間では何か偉業が成し遂げられたらしい。 でも僕はこんなサルみたいな生活を送っていて惨めだな。 ) 最後にもう一度世の無常を歌います。 さるに なるよ さるに なるよ (もう、諦めてしまうしかないのかな。 ) 最後に、諦めにも似た心境を寂しそうに歌って幕を閉じます。 以上ラブソングという仮定に立って解釈しました。 この解釈が正しいのか、世間一般で言われている壮大なテーマだという解釈が正しいのか、わかりません。 しかし、いずれにしても色褪せることのない素敵な歌ですね。

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